水上陽平の独善雑記

水上陽平流の表現でいろいろな事を書いています。本館は http://iiki.desu.jp/ 「氣の空間」

「仕事・17」

2006-10-31 21:36:01 | Weblog



「仕事」は「仕方なくする事」の略じゃないぞ。
「仕事」は厳しくても、辛い働きじゃない。
「仕事」は厳しくても、愉しみがある働きだ。
「仕事」は厳しいから、面白みがある。

生活の為の働きは辛く、苦しい場合がある。
辛く苦しい事が込みで給料になるのだ。
ある程度の生活を望むなら当然だ。
だが、生活の為の働きと「仕事」は別次元だ。
別次元だから、重なる場合もある。
重ならない場合もある。
この世は多重次元で成り立っているのだ。

生活の為の働きと「仕事」を同一視する。
すると「仕事」が辛く苦しい働きだと勘違いする。
だから「仕事」をしない。
しないでも親が食べさせてくれる。
あるいは、ちょっとしたアルバイトをする。
嫌になったら、気軽に辞められる。

それは・・・もったいない。
人生の愉しさを放棄している。
無知故に、深い愉しさを知らずにいる。
「仕事」は生きる喜びの一つなんだぜ。


(過去のプログは本館 「氣の空間・氣功療法院」です。)
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「仕事・16」

2006-10-30 22:24:33 | Weblog



「仕事」と報酬は交換できない。
「仕事」と「生命」は交換できる。
プロは「存在を懸ける」という条件がつくのだ。
だから、料金は勝手に思いつくままの設定でいいのだ。
10円でも100万円でも仕事の区別は出来ない。
ワシはプロだからワガママなのだ・・・。

「生き甲斐」ともいえるが・・・。
「(プロ)仕事」は存在と融けあっている。
だから、人生そのもの、ともいえる。
だが、それほど大上段に構えるモノじゃない。
長い人生なら大冗談で歩く方が愉しい。

「(プロ)仕事」は冗談や鼻歌でするものだ。
真剣だからこそ、ジョークがある。
肩に力が入っていて、「プロ仕事」は出来ない。
愉しくなければ、仕事じゃない。


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「仕事・15」

2006-10-29 23:08:49 | Weblog


今から12年前の中国。
この道への許可を故御師匠様に伺った。
その話の中の一つ。
「僅かの金額で生命を懸ける事になる。
それでも、やりたいのなら・・・」

「命懸け」という言葉は一生懸命。
いつでも真剣だという意味だと思っていた。
マジメにやれよ、という意味に受け取った。
ノーテンキなワシは甘く考えていた。

だが「生命」を「賭ける」場合もあるのだ。
これは実践し、実感している。
「生命」を相手にするのだ。
当然、こちらも「生命」を賭けてしまう。

だからワシは弟子を作れない。
(希望者はいるのだぜぇ)
想像以上にキツイ、厳しいという事が理解できない。
命を懸けるより、命を賭ける「いいかげん」が素質かもしれない。


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「仕事・14」

2006-10-28 23:02:13 | Weblog


依頼されてないのだから途中でも帰る。
ワシはワシが居た時間だけ「仕事」をした。
プロとしての「仕事」をした。
だが最後までメンドウをみるわけじゃない。
それは、肉体あるクライアントでも同じだ。
「仕事中」は「プロ仕事」だ。

つまり・・・
報酬の有無と「仕事」は別次元だ。
報酬の有無や多寡と「プロ仕事」は別次元だ。
本来は、様々な人の「仕事」が多重に集まって社会が成り立つ。
ワシは自分の履くクツでさえ、作れないのだ。
貨幣が無い時代でも「仕事」や「社会」は成り立つのだ。

それにしても・・・キツイ仕事だったぜ。
新幹線の中の1時間半。
治療院に戻ってからの3時間。
セルフヒーリングに専念してやっと頭と肩は軽くなった。
これだけ残るのは久しぶりだ。
かなり多くを相手にしちまったらしい・・・。


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「仕事・13」

2006-10-27 23:58:57 | Weblog



その会場で昔の知り合いにも何人か会った。
だが、ワシはそのまま東京駅に向かった。
新幹線で帰る為だ。
どうやら・・・かなり疲れていた。
依頼以外の「仕事」だ。
ワシは帰る。

あの場所だ。
新宿南口の近くだ。
多分・・・戦争時のモノだろう。
ワシは除霊・浄霊師ではない。
嫌がる相手(霊)をアレコレしない。
積極的にボランティア(浄化)はしない。
それは、ワシの生き方じゃないのだ。
(結果として浄霊になってしまうだけだ)

向こうが来るから治療するだけだ。
自動的に治療(浄化作業)になってしまう。
それが、肉体の無い相手でもだ。
肉体のある相手には依頼されてからする。
(い、いや、自動的な時もある・・・)


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「仕事・11・12」

2006-10-26 22:37:09 | Weblog

「仕事・11」

第六番目の今回のテーマは「音」だ。
「音」というより「震動」だ。
あるいは・・・「波動」だ。
だが内容はもちろん、ここでは書かない。
機会があったら、自分で見てほしい。
来年の4月からだ。

上映が終わってからもラッキーが続く。
映画に出演していただいた「音」の奏者。
その中で日本人の4人が舞台で協奏してくれた。
生で聴けるのは、ありがたいのだ。

第一番は15年前になる。
その時からナレーションをしている俳優さんも挨拶した。
俳優は・・・一般人と・・・見た目が違うなぁ。
俳優以外の職についたら、目立ってしまいすぎる。

ラッキーは更に続く。
〇〇宮妃殿下が舞台上でお話をして下さった。
日本の皇族は清らかだと感じる。
権威とか立場でなく、人として段が上だと感じる。


「仕事・12」

素晴らしい試写会だったが、ワシは「仕事」だった。
イキナリ、仕事になった。
ワシはワシの意志以外でも「仕事」をする。
自動的に「仕事モード」に切り替わってしまうのだ。
元々、ワシの能力じゃないからだ。

会場のシアターに入った時からだった。
だが、席に座ってから更に重くなっていた。
頭と左肩から重さが加わった。
ワシは「人当たり」だと思っていた。
誰か、特に重病者が近くにいるのかぁ。
まぁ、いいか。

ところが予想以上に厄介だった。
これは・・・生きている人間じゃないな。
それも数十人から百人分のものだ。
結構・・・キツイぞ。
ワシはワシの意識で映画を見ていた。
もう一つの意識じゃない意識で「仕事」をしていた。


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「仕事・10」

2006-10-24 22:58:38 | Weblog



アレコレつっこみを受けるのがメンドウ。
だから、架空のお話ということで・・・。

ワシは昨日、東京・新宿にいた。
映画の試写会があったのだ。
来年春から公開される。
といっても、自主上映のの形だ。
これは、そういう映画なのだ。

ヨガの御師匠様の実兄が監督だ。
ワシは極僅の一口スポンサーで参加させていただいた。
ありがたい事に招待状が届いた。
特殊な映画だ。
行ける時は是非見ておきたい。
見て、観て、感じて、学び、気づき、育てる映画だ。

初めての試写会だ。
舞台挨拶の監督はミラクルを呼ぶ。
ガイア理論のラブロック博士が来日していた。
偶然だそうだ。
ガイアの名付け親だ。
86歳になる博士は心に染みる挨拶をしてくれた。


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「仕事・9」

2006-10-23 22:13:30 | Weblog


「仕事」は自分勝手を優先している。
生活を考えないわけじゃない。
だが「仕事をしたい」という心を止められない。
困ったヤツだ・・・。
困ったヤツだが・・・それも他人がアレコレ言う事でもない。
それに・・・イキイキしているし。

そう、イキイキするのだ。
活き活きするのだ。
生き生きするのだ。
生命力が増えてしまうのだ。
「仕事」は存在の証でもあるようだ。

生命力が増えれば、不安は減少する。
不満も消えていく。
不安と不満が少なければ、生活は出来るのだ。
生きる意欲が増せば、何処でも暮らしていける。
裕福な閉じこもりにはならない。
裸でも笑顔があれば、何とかなるさ。


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「仕事・8」

2006-10-22 21:31:50 | Weblog



しなければいけない、のではない。
したい、なら出来るという日本だ。
ここは古より「和」の国だったのだ。
「仕事」は「和」という土壌で成り立つ。

古来より「仕事」が出来やすかった国。
だが、最近「仕事人」が激減している国。
そして、皆「奴隷」となった。
誰の強制もない。
奴隷は自分で選んだ道だ。

もちろん、奴隷もわるくない。
ある意味・・・楽だ。
自分で決めなくても報酬がいただける。
我慢すれば、暮らしていける。
その分、体と心を犠牲にする。


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「仕事・7」

2006-10-21 19:47:38 | Weblog



生きていくために働く。
インドで見たストリートピープル。
毎日、食べるモノを得る為に働く。
毎日、生きる事に必死だ。

物乞いも働きの一つだ。
ドロボウだって働きの一つだ。
そういう状況下もある。
好きな仕事で・・・なんて戯言だ。

生きる為の働きと仕事。
分けて考えた方がいい。
ワシはここでは「仕事」の話だ。
食う為の話は出来ない。
今の日本では幸せな事に「仕事」の話ができる。


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