水上陽平流の表現でいろいろな事を書いています。本館は http://iiki.desu.jp/ 「氣の空間」
私の実家は大きな古い家だった。
(父方)祖母が半分売ってしまった。
それでも50坪(二階含め)ある。
だが、きちんとした台所やトイレは無かった。
売ったお金で改造しなかったのだ。
不便な暮らしで育ったのだ。
母はもっと辛かったと思う。
小さくてもいいから、きちんとした家をプレゼントしよう。
身体の弱い母が元気でいるうちに。
そう思ったのは、私が25歳の時だった。
幸い仕事は忙しく、私は特に欲しいモノもなかった。
山岳会で知り合った人が銀行関係だった。
金の事なら相談してくれ。
その言葉に乗った。
今と違って、日本中景気がいい。
銀行は借り手を探していた。
歯科医院勤めの私に、簡単に貸してくれた。
利息は(今と比べるととても)高かったが、初めての借金をした。
以後、借金は生涯の連れ合いになる・・・
(過去のプログは本館 「氣の空間・氣功療法院」です。
治療・若返り・悩み相談受付中。日本中出張します)
結果的には山岳会と同じだ。
膝の靭帯が無いから、長時間の正座が出来なくなった。
薄茶の20分くらいは大丈夫でも、濃茶となると無理だった。
ある程度の段階までは習ったが、中途半端で終わってしまった。
自分としても残念だった。
ずっと後、故御師匠様と出会って、氣功師の身体にされた。
気が付くと、正座ができるようになっていた。
2時間くらいは平気になった。
もちろん、私が靭帯が無いとは誰も気づかない。
だが、靭帯が再生したわけではない。
この氣功は理屈に合わない出来事が山ほどあるのだ。
職人仲間連中グループ。
山岳会グループ。
茶道のグループ。
職場も人数が増え、7人のグループになった。
一応、私がスタッフリーダーだ。
一応、職場としての飲み会やミニ旅行もした。
忘年会などは、どうしても重なってしまったり・・・
(過去のプログは本館 「氣の空間・氣功療法院」です。
治療・若返り・悩み相談受付中。日本中出張します)
今なら何となくわかる。
顔スタイル性格はともかく、私は若いオトコだった。
しかも従順(相手はかなり年上の主婦だもの・・・)。
酒も冗談も付き合うから、可愛がられたようだ。
私も熟女人妻は、気を使わず楽だった。
そうか。
その頃があったからか。
私は熟女(できれば)人妻が好みなのだ。
若ぇオナゴは苦手なほうだ。
まぁ、職人とか熟女とかは一緒にいて楽だった。
母は、本格的な茶道を習っていなかった。
抹茶とその雰囲気は好きだったようだ。
だから、私が茶道をすることを喜んだ。
ハチャメチャなB型で、型通りをしない私だ。
だが、基礎を習うのは当然だと思っている。
背筋のまっすぐな先生との茶道の稽古は気に入っていた。
(過去のプログは本館 「氣の空間・氣功療法院」です。
治療・若返り・悩み相談受付中。日本中出張します)
熟年主婦グループとの付き合い。
お茶の先生は、当時60歳は超えていたと思う。
私とは40歳くらいの差があった。
私は週一回の夜の稽古だった。
次第に主婦達の名前と顔がわかってきた。
私はとにかく、人の名前や顔を憶えるのが苦手。
おそらく、一番若くても10歳以上年上。
20歳、30歳以上年上のグループだ。
しかも男は私一人だけだった。
お茶の先生は、最後まで男性を仕上げたい、と言っていた。
いわゆる師範というところまでなのかな。
稽古が終わってから、主婦達に誘われる。
すぐ近くが温泉街だ。
当時は活気があった。
飲み屋さんも沢山あった。
私は当時から、年上も年下もあまり気にしない性格だった。
(過去のプログは本館 「氣の空間・氣功療法院」です。
治療・若返り・悩み相談受付中。日本中出張します)
仕事は益々忙しくなっていた。
歯科医の先生は、気を使って時々飲みにも誘ってくれた。
普段行けない値段の高いところだ。
芸者さんなどが、そばに付いたりして・・・
それでも、時間をやりくりして、いろいろと付き合った。
その他、東京のセミナーにも出席した。
精神世界を彷徨ってもいたのだ。
少しの時間があれば、本を読み、また下手な文章を書いた。
連休は、一人旅をした。
当時の私の考え方。
誰とでも付き合う。
誘われたら、断らない。
生きている間に知り合いになれるなら、誰でも仲良く。
無理してでも八方美人に(美人じゃないけど・・・)
今の私とは違う考え方だった。
まぁ、体力、スタミナがあったからなぁ・・・
知りたいこと、してみたいこと、行って見たい所。
全てチャレンジしてみる。
そんな考え方であり、行動でもあった。
(過去のプログは本館 「氣の空間・氣功療法院」です。
治療・若返り・悩み相談受付中。日本中出張します)
地元の谷川岳連峰や尾瀬系の燧ヶ岳、至仏山。
近くの新潟県側の苗場山、神楽。
そして北・南アルプス連峰。
数年間だったが、登山は経験財産となった。
ラリーにしろ、登山にしろ危険は付きものだ。
だが、母は一切口出しをしなかった。
今の私の息子(二十歳)も少しずつ山に親しんでいる。
いろいろな思いはあるが、私も口出しはしないでいる。
ただ見守る方が気持ちが深いと知っているから。
もちろん、相談されれば乗る。
年下の仲間連中と、年上のグループ。
もう一つ、別のグループにも関係する。
茶道だ。
裏千家を習いだした。
そこには、主婦グループがいた。
(過去のプログは本館 「氣の空間・氣功療法院」です。
治療・若返り・悩み相談受付中。日本中出張します)
ラリーのグループは私より4・5歳年上だ。
私は一番年下に近い。
基本的にドライバーではないから、気は楽だった。
また、瞬時のナビゲーターが少ないので重宝された。
下りダートで車が滑りながら曲がるのも、怖くなかった。
やがて、計算は自動でできる計算機が普及する。
各クラス分けや、細かい条件がつくようになる。
大らかなラリー大会から、シビアなオフィシャルになる。
金をかけた車が圧倒的に強いレースになった頃、手をひいた。
その後、地元山岳会に入る。
どこかスリルを求めていたわけでもないが・・・
ここでも、全て私より年上の人達との付き合いだった。
夢中になるほどではないが、山に惹かれたのは間違いない。
やがてスキーが原因で膝の半月板の手術をする。
その時には前十字靭帯が吸収されて失ってしまっていた。
その後は、山岳会としての山登りは無理になって辞めた。
(過去のプログは本館 「氣の空間・氣功療法院」です。
治療・若返り・悩み相談受付中。日本中出張します)
仕事もプライベートも充実していた。
すると、面白いもので更に意欲がわく。
別な事に手を出してしまうのだ。
いつもの仲間連中とは別の人達との付き合い。
一つは、ラリーチームのナビゲーター。
当時の群馬県は山岳ラリーの中心だったのだ。
未舗装の山道が沢山あり、夜間はほとんど人がいない。
当時は真夜中のレースだ。
およそ400キロから500キロ。
計算は、円盤計算尺(知らないだろうなぁ)でした。
やがて、計算機のメーター(高い)が使われるようになった。
未だ、電卓などない頃だ。
アンダーガードとロールバー。
四点式シートベルトとヘルメット。
ダートラリーだから、横転は珍しくなかった。
山道だから、皆で横転車を道脇に除けてレースを続けた。
SS(スペシャルステージ)というメチャクチャもあった。
区間でかかった秒数全てが減点だ。
とにかく速く走る為の区間だ。
今では、決して許可してくれない内容だった。
(過去のプログは本館 「氣の空間・氣功療法院」です。
治療・若返り・悩み相談受付中。日本中出張します)
暖かくなると、よく川辺でテントを張って酒盛りをした。
釣りが得意の連中は、魚をサカナにしてくれた。
もちろん、山や川にゴミを捨てるような事はない。
ゴミを捨てるようなのは、人間のクズだと日頃言っていた。
地位や金や世間的な評判はどうでもいいが、クズにはなるな。
当時から比べると、現代はクズがものすごく多いようだ。
私は立派でもマトモでも普通でもないが、クズにはなれない。
ゴミを自然界に捨てて平気でいられるほど強心臓ではない。
私も仲間も基本的に硬派の側だ。
有体に言えば、異性と上手く付き合えないタイプだ。
異性と面倒な付き合いをするくらいなら、仲間とバカ話をした方がいい。
それでも、モノ好きなオナゴもいた。
仲間連中には、オナゴも数人加わっていた。
顔を出す総人数は職場仲間を入れれば、30人に近くなっていた。
こうなると、何をするにしてもある程度の規模になる。
何処に行くにしても、定員で車5・6台になる。
小さな店なら貸しきり状態になる。
仕事は遅くまでギッシリだったが、毎日は面白かった。
また、休みの日はいつも予定が詰まっていた。
(過去のプログは本館 「氣の空間・氣功療法院」です。
治療・若返り・悩み相談受付中。日本中出張します)
今の私は、ほどんど酒を飲まない。
飲みたいとも思わない。
断るのが面倒だから、通常は飲めない事にしてある。
だが、当時の私はコミュニケーションは酒だと思っていた。
だから、酒に関しては最低限の常識を仲間に約束させた。
酒を飲んだら、車は運転しない。
いつも、酒を飲めない仲間が常に運転手役になっている。
運転手役は皆に頼られる事で存在位置を示した。
もちろん、運転手役に余分な料金はかけさせない。
こうして酒を飲むときは、送迎付きなのだ。
深酒をしても、次の日に仕事を休まない。
休むようなら、仲間と認めない。
誰からも仕事で一人前と認められるようにだ。
基本的に楽しいバカ話の酒の場にする。
無理して付き合わない。
自分を管理できて、一人前だと認める。
(過去のプログは本館 「氣の空間・氣功療法院」です。
治療・若返り・悩み相談受付中。日本中出張します)