水上陽平流の表現でいろいろな事を書いています。本館は http://iiki.desu.jp/ 「氣の空間」
人間は時代を経るから進歩するわけじゃない。
むしろ退化しているようにさえ観える。
退化しているわけでもないのだが・・・。
見た目だけは時代を経ると変わる。
この世の仕組みはヒネクレている。
グレちゃん(創造主)がオチャメだからだ。
余分なモノが無いほど豊かになれる。
そういう仕組みで出来ている。
心の豊かさ。
心に余分なモノが無いほど豊かになる。
見た目が豊かになると・・・
心や精神は貧しくなる。
何も無かった時代は、心を意識しなくても豊かだった。
人間は時代を経て、見た目が進歩した。
だから心の豊かさを意識して暮らす事が必要になる。
心から余計なモノを捨てる意思が必要になった。
そうでないと、心は苦しみを増すようだ。
裸に戻る風呂の意味は大きいかも。
(過去のプログは本館 「氣の空間・氣功療法院」です。)
当時は気候ももっと温暖だった。
植物繊維の布を一枚まとっているだけだ。
それで充分暮らせた。
昼の仕事で汗を出す。
同じく昼のうちに河川で身体を洗う。
心身をさっぱりと清めて昼の部が終わる。
夕方からは焚き火を囲んでディナーパーティだ。
毎日、全員でディナーパーティだ。
歌と踊りと語らいの食事だ。
皆で楽しく食べれば、何倍も美味しくなる事を知っていた。
現代より、ず~と智慧を活かした暮らしだった。
現代より、ず~と豊かな暮らしだった。
お金や財産を貯めるという概念は無かった。
何でも皆で協力し、分け合えばいい。
分け合う方が、ず~と豊かに暮らせると知っていた。
毎日、水で余計なモノを清めていたのだ。
心身の澱は溜まらない。
残るのは、大らかな心と明るい心。
楽しみと愉しみが生きる意味だと知っていた。
(過去のプログは本館 「氣の空間・氣功療法院」です。)
古代の風呂。
温泉は別として、お湯風呂は無かった。
身体を洗うなら川か雨。
当時の身体は生命力に溢れていた。
だから身体は常に熱かった。
お湯でなくてもいいのだ。
お湯で無い方が楽だった。
雨水も今と違って綺麗な水だ。
河川は超綺麗な水だ。
水に触る、浸かるだけで充分だった。
現代人のような油(脂)まみれの身体じゃない。
表面のホコリだけだ。
水で簡単に綺麗になれる。
環境と人の身体は同じだ。
身体が綺麗になるのは環境を汚す事じゃない。
当時のホコリは汚れではないからだ。
(過去のプログは本館 「氣の空間・氣功療法院」です。)
ワシはオトコの裸に興味があるタイプではない。
(まどろっこしい書き方だが、生理的に好きじゃない)
オトコの同性愛を否定はしないが、生理的に受け付けない。
TVなどの、その気を売りモノするオトコもあまり・・・。
人それぞれだから否定はしないが、近寄りたくない。
だが風呂はオトコだけしかいない。
オトコの裸がウジャウジャしている。
おまけに毛深いから、本当にウジャウジャしている。
ワシはケムシなどのウジャウジャも苦手なのだ。
風呂施設はワシのとって楽園ではないのだ。
それでも慣れるもんだなぁ。
それにつれ、ワシの仕事目が開く。
依頼されてないのだから、あまり観察はしない。
でも観えてしまう事が度々ある。
アブナイ状態の人、準アブナイ状態の人も多いぞ。
サウナ室などで、霊障タイプがいると息苦しい。
ワシは霊障に強いので、ウットウしい。
でも、余計なマネはしないぞ。
ワシは目立たぬように、淡々と風呂にいる。
(過去のプログは本館 「氣の空間・氣功療法院」です。)
御婦人達の風呂場内。
「どうどうとしてるわよぉ」
前を隠す人は少ないらしい。
サウナ室なども・・・どうどう・・・。
オトコの方がシャイなのか。
一応オトコどもはタオルをかけている。
オトコは服(見栄)が無いと意気地無しが多い。
裸(素)では威張れないのだろう。
威張っても・・・様にならない。
風呂に来てまで人物観察する気はない。
が・・・目に入ってしまう。
もちろんマナーが悪い連中は何処でもいる。
どうしようもないオッサンもいる。
刺青のオッサン達は意外に大人しい。
ガキ共は騒がしい。
その親や祖父はマナーに甘すぎる。
(過去のプログは本館 「氣の空間・氣功療法院」です。)
御婦人と風呂の話になった。
風呂施設での話だ。
オトコと御婦人では風呂内での態度が違う。
もちろんオトコもオナゴも一様ではない。
それでも傾向というのがある。
よくいわれる事だ。
オトコは歩く時、タオルで前を隠す。
隠すほどじゃないが、それとなく前に持つ。
マナーのようなものだ。
それぞれに個性があるモノだ。
それほどミットモナイモノではない。
(まぁ、奇妙な形ではあるが・・・)
ミットモナイと思っているわけでもない。
が、人前に堂々と出すようなモノでもない。
とオトコは(変なところで)マナーを持っている。
(過去のプログは本館 「氣の空間・氣功療法院」です。)
風呂は溶かす所。
流す所。
解放する所。
そして元に戻る(裸)所。
外国式のシャワーとは違うのだ。
石鹸の泡だらけのバスタブではないのだ。
日本の風呂は深い叡智がある。
見えないモノの扱い方を知っていたのだ。
風呂は・・・洗い場ではない。
大きな湯船に浸かる。
お湯風呂と水風呂を交互に浸かる。
本来の風呂(サウナ)から水風呂に浸かる。
時間をかけて、ゆっくり過ごす空間なのだ。
ワシはカラス(の行水)だった・・・。
最近は一時間以上はいるように変わった。
(過去のプログは本館 「氣の空間・氣功療法院」です。)
風呂は身体を洗う所。
そう思っている人が多い。
ワシは少し違う。
身体を洗う事も出来る所。
身体を洗ってもいい所。
そう認識している。
身体は石鹸で洗う。
それは固定概念だ。
石鹸は特別な場合のみだと思う。
通常は水かお湯が適している。
身体の声を聞いてみれば解る。
頻繁に石鹸類を使うと身体は弱化する。
皮膚を守るモノを壊されてしまうからだ。
石鹸やアカスリでゴシゴシ擦る。
すると身体(皮膚)は悲しむのだ。
自分(身体)を大切に扱ってもらえない。
自分(の管理能力)を信用してもらえない。
身体はやる気を失くし、年老いてしまう。
(過去のプログは本館 「氣の空間・氣功療法院」です。)
身体は疲れない。
疲れは生命の澱。
輝きを曇らせているからだ。
身体は(必要なら)休眠してしまう。
この世は見えないモノが物質化する場だ。
この世にあるモノは全て物質化したものだ。
誰かが想像し、創造した。
人工的なモノは人間が。
それ以外のモノはそれ以外の存在が。
大元の存在は創造主。
風呂で疲れが取れる(溶ける)。
それは澱が取れるからだ。
澱は(疲れ)物質化現象する。
その一部が身体から出る。
汗に混じって身体から出る。
風呂は澱を出す機能がある。
というか・・・
本来の目的は澱を出す事にある。
澱の無い人は風呂の必要も無い(らしい・・・)
(過去のプログは本館 「氣の空間・氣功療法院」です。)
心の病(病)。
多くは心を解明して解決しようとする。
心の中を覗こうとする。
心を弄ろうとする。
原因を上手く認識すると闇が消える。
精神科医や臨床心理士の仕事だ。
だが・・・上手く認識出来ない場合が多い。
闇が消えていれば病人はもっと少ないはず。
心は自己防衛で嘘をつくのだ。
扉を厚くするのだ。
原因を正直に見せたくないのだ。
心の澱は汗で流れる。
澱の正体など、どうでもいい。
流れてしまえば、軽くなる。
心の中を覗かなくても、闇は晴れるのだ。
汗のかき方の一つに風呂がある。
(過去のプログは本館 「氣の空間・氣功療法院」です。)