水上陽平流の表現でいろいろな事を書いています。本館は http://iiki.desu.jp/ 「氣の空間」
口の項(こうのこう)
どんな状況下でも口(扉)は付いている。
どんな状況下でも幸は付いている。
とても、そうは思えなくても事実だ。
そして、出口も入り口も付いている。
八方塞なんて、無いのだ。
とても、そうは思えなくても事実だ。
必ず、出口はある。
必ず、何かがやって来る入り口がある。
幸とは、そういうモノらしい。
特別な宝ではないようだ。
最初から付いている宝だ。
ピンチに気づくのが口であり、扉であり、幸だ。
(過去のプログは本館 「氣の空間・氣功療法院」です。)
口の項(こうのこう)
幸とは何か?
大きなヒントが口にある。
求めるモノと幸の違い。
欲しいモノと幸の違い。
幸は求めるモノではなかった。
幸は欲しがるモノでもなかった。
最初から付いている。
オリジナルで付いている。
オリジナルなのに、共通した性質。
オリジナルなのに、共通した働き。
そして、自他に働く。
自には入り口。
他には出口。
(過去のプログは本館 「氣の空間・氣功療法院」です。)
口の項(こうのこう)
超美人の女優さんの口。
どんなに素敵でもワシの口には合わない。
モンタージュ写真を想像してみればいい。
ワシに素敵で綺麗な女優の口は・・・
なのに・・・
つ、つい、多くの人は他の口(幸)を求める。
社会的基準、その時代の風潮、他の情報から・・・
幸は普遍的な宝だと思い込んでしまう。
高級車とプール付きの家。
美人の奥さんと可愛い子供。
有り余るお金。
ワシも立派ではないが、一般庶民だ。
高級車やプール家や美人奥は遠慮するが、
有り余るお金には惹かれるなぁ・・・
それが幸とは思わないが・・・
幸は自分に最初から付いていると知っている。
(過去のプログは本館 「氣の空間・氣功療法院」です。)
口の項(こうのこう)
口は最初からついている。
誰にもついている。
生きているなら、ついている。
口は生命を維持する入り口。
あまりに当たり前で気づかない。
自分の外に口を求める。
他の口が気になる。
他の口が欲しくなる。
だが、他の口は合わないのだ。
アナタにはアナタの口しか合わない。
それでも、外に求める。
口(幸)は内に最初からあるのに・・・
ついている口しか、合わないのに・・・
(過去のプログは本館 「氣の空間・氣功療法院」です。)
口の項(こうのこう)
扉に気づく。
気づけば、扉(口)は開く。
そういう仕組みだ。
開けば、自動的に交流する。
そういう仕組みだ。
それぞれが、それぞれの世界にいる。
だが、どの世界にいても扉はある。
扉の数は違うかもしれない。
大きさも違うかもしれない。
それでも、必ず扉はある。
探しても見つからない。
気づけば、目の前に開く。
こだわると、肩に力が入る。
肩の力は「気づき」を邪魔する。
(過去のプログは本館 「氣の空間・氣功療法院」です。)
口の項(こうのこう)
口というと肉体の口を想像しがちだ。
口の熟語も肉体の口に関係するのが多い。
肉体の口も興味深い意味が幾つもある。
だが、ここでは扉のイメージがいいだろう。
幸の扉。
幸への扉。
この世は多次元世界。
精神的世界は超多次元世界。
一つの世界と別な世界を隔てている。
そして、それらには必ず扉がある。
段階的な扉もある。
跳躍的な扉もある。
多くの扉を持つ世界や、少ない扉の世界もある。
(過去のプログは本館 「氣の空間・氣功療法院」です。)
口の項(こうのこう)
「こう」は、口を使っている漢字が多い。
ならば、幸の入り口のヒントがあるだろう。
「くち」と読む場合も多いが、意味は同じだ。
口はいろいろな意味を含んでいる。
口は開閉するものだ。
開けば、そこから何かが変わる。
開けば、何かがやって来る。。
そこから入れば、別の世界だ。
普段は閉じている。
何かの条件で開く。
開いている時間も不定だ。
一生開く場合もあるだろう。
一瞬で閉じてしまう場合もあるだろう。
(過去のプログは本館 「氣の空間・氣功療法院」です。)
功の項(こうのこう)
相手を尊重する。
相手とは人に限らない。
生物に限らない。
当然、自分も含む。
功の生き方。
幸のヒントになるだろう。
幸を自の内部と思ったら間違う。
そして、迷う。
幸は公に尽くす事で触れる。
公は国家や人間社会や組織ではない。
公は自然界の全てであり、具体的には目の前の相手だ。
そして公は、自分の内の自分も含むと知る。
自も他も同じ。
(過去のプログは本館 「氣の空間・氣功療法院」です。)
功の項(こうのこう)
功。
公に技と力を貢献する。
だが、全力は出さない。
相手に合わすのだ。
これが「見守る」と、観える。
一生懸命しなさい。
一所懸命しなさい。
社会は、ひとくくりでモノを言う。
それは、ありがた迷惑。
大きなお世話にもなる。
相手を観る。
そして、合わす。
今、必要な分だけ技と力を使う。
いや、必要に、少し足りないように使う。
それが、相手を尊重する事になる。
(過去のプログは本館 「氣の空間・氣功療法院」です。)
功の項(こうのこう)
気功が出来る能力ではない。
氣功師の体質になってしまったのだ。
出す、のではない。
常に、止めているのだ。
必要時にストッパーを外す。
というより、スイッチの切り替えだ。
能力で出す中国気功とは違うのだ。
だから「見守る」のが鍵となる。
これは、ヤッカイだった。
手を出す方が、簡単なのだ。
依頼された、今でも同じだ。
全てを開放しない。
セーブして対応するのだ。
それが、お互い、歩く、という事だ。
(過去のプログは本館 「氣の空間・氣功療法院」です。)