ワシは意識して時事ネタを書かない。
特に社会時事ネタは避けるようにしている。
理由はあるが、ワシ流の方針だ。
それでも言いたい事はある。
時には皮肉と溜息を込めて書くが、
戦争に係わる事以外は抑えているほうだ。
だが、季節の時事ネタは書く。
日本の季節の移り変わりの綺麗さは、
多くの人と分かち合いたいものだ。
どの季節も、どの季節の変わり目も美しい。
風も光も香りも空も海も山も美しい。
日本のチベットと(個人的に)称される、
ワシの家の周りにも桜が咲き出した。
2日続きの異常な暑さ(28度)で、
根性の無い桜達は一斉に膨らみ、そして開いた。
(根性が無いと、ラテン系になるらしい・・・
ケセラセラ、なるようになる♪ いいやぁ、開いちゃえ♪)
コブシの花と梅の花と桜の花が競演している。
花の開いている期間は短いが、
花の命が短いわけじゃない。
花の美しさが終わるわけじゃない。
毎年、同じ木がより大きくなって美しく咲く。
命は見た目の形を変えて、続いているのだ。
そして再び花となる。
花は自分の命が短いなどと思っていない。
再び花を開く事ができると知って生きている。
枝も根もつながっていると知っている。
他の地へ離れた種も家族だと知っている。
だから、再び花開く。
それは「生きとし生けるモノ」全てにあてはまる。
命が続くというのは、花が開くという事だ。
花は一つじゃなく、つながっている。
花の命が短く、終わったと思えば・・・
花は開き難いものなのだ。
「美しさ」は「命」そのもの。
命を輝かせるのは、本人の意識。
桜の花は一年待たなくては咲かないが、
人の花は、いつでも、何処でも咲く事ができる。
人は、いつでも、美しくなれる。
どんな状況でも「命」があれば素敵な事だ。
悲しまないで・・・美しさが曇るから・・・
枝も根も種も家族でつながっている。
そして、花は、必ず開くものだ。
(本館は http://iiki.desu.jp/ 「氣の空間・氣功療法院」