水上陽平流の表現でいろいろな事を書いています。本館は http://iiki.desu.jp/ 「氣の空間」
逆転の話は今日でお終いにする。
もちろん尻切れトンボだ。
逆転への引き鉄・鍵・キッカケ・条件がある。
沢山あると思う。
神様はケチじゃないからだ。
だが、ワシは幾つも知らない。
少しなら・・・多分・・・と見当はある。
検証してないので詳しく書けない。
検証しても詳しくは書けないだろう。
誤解やその他がウットウシイからだ。
「逆転がある」
それだけは間違い無い。
立派な生き方をしてなくても大丈夫。
安心し、期待して未来を生きよう。
ただし・・・逆転しなければ・・・。
ロクデナシの生き方はロクデナシの結果を生みやすい。
優しい生き方なら大丈夫だ。
ほとんどの果が良くなる。
逆転を期待しなくても大丈夫だ。
つまり・・・逆転を望むよりも
逆転を期待するような生き方を変える方が優先するなぁ。
う~mmm
自分で書いていて、耳が痛い・・・。
(過去のプログは本館 「氣の空間・氣功療法院」です。)
とても不出来なワシだ。
不出来な子ほど可愛い・・・。
ワシはオッサンだが、自分が不出来故に愛おしい。
立派な人は強い精神だが、ワシは軟弱精神だ。
だから立派な因を創れない。
それでも(都合の)良い果になってほしい。
そこで想った。
神様を想った。
神様は不出来なモノに贔屓する。
超優しく、超素晴らしい存在だもの。
「バカな子ほど可愛い・・・」
神様から見れば、我々は愚かな存在だ。
立派な人は放っといてもいい。
だが軟弱なモノは放っとけない。
少し親切になる。
余計な親切にはならない・・・。
果だけ複数用意する。
不出来はモノほど、ラッキーな果が多い。
もちろん(一見)辛い果だって用意してある。
同じ因でも果は複数用意してくれているのだ。
どの果を選ぶのかは、本人の自由にしてくれている。
なんて、優しい仕組みだろう・・・。
(過去のプログは本館 「氣の空間・氣功療法院」です。)
戦争中は相手を殺す、苦しめる為に努力した。
今でも殺人兵器の研究に努力している人がいる。
勢力争いで努力する政治家がいる。
勢力争いで努力するヤクザがいる。
出世に努力するサラリーマンがいる。
全員が報われる事はありえない。
特に争いは惨めな果が双方に待っている。
努力する事は、単純に尊いわけじゃないぞ。
自他共に苦しむモノ達が多く生まれる・・・。
努力は
他に影響しない程度の個人的な趣味にしてくれ。
因果はある。
だが人間の段階では理解出来ない。
因と果は人間が考える法則では納まらない。
因果は
神様の分野の話だ。
まして、知ったかぶりで話すのはなぁ・・・
因果にとらわれず、未来を創ろうぜ。
そうでないと、人間の未来は絶望しかない。
悪因が悪果を招くなら、もう絶望だぁ。
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棚からボタ餅も同じだ。
努力した者だけが報われる・・・。
それは教育指導スキスキ人間の思い込み。
ワシもアナタも知っているはず。
一生懸命努力して、報われない人達を。
ロクデナシの政治家が金も名誉?も子孫繁栄もしている事を。
努力は結果を求める行為じゃないのだ。
努力が無駄という事をいってるのではないぞ。
結果の為の努力は違うといっているのだ。
あれは努力中に価値と報いがある行為なのだ。
努力している最中がイイのだ。
努力が好きなタイプもいるのだ。
結果の為に努力(因)しても、どんな果が出るか不明だ。
だから逆に、棚からボタ餅も往々にしてあるのだ。
イキナリ、ラッキーは起こり得る。
というか・・・この世に生まれているならラッキーだらけだ。
自分の努力でラッキーを得ようとするのが不遜だと思う。
努力は・・・趣味の次元だ。
それぞれの歩き方の話だ。
他人に強要する話じゃない。
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逆転の発想と仕組み。
無茶苦茶じゃないんだぜ。
デタラメじゃないんだぜ。
イイカゲンなのだ。
「因果」は「いんがげん」・・・。
ワシが何度も書いた。
単なるダジャレじゃない。
本当にイイカゲンなのだ。
だから・・・救いがあるのだ。
この世は救いだらけなのだ。
良い因しか良い果を作れない。
宗教関係者や偉い人の言う事は強い精神の味方だ。
ロクデナシを救う言葉じゃない。
ロクデナシに・・・優しくない。
でも安心していい。
立派な人は優しくなくても神様は優しい。
ロクデモナイ因でも都合のいい果を作れる。
神様にとって、そんな事ぁ、どっちでもいいのだ。
アナタが喜べば、神様は嬉しいのだ。
生命が喜べは、神様は嬉しいのだ。
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「因」は「果」を呼ぶ。
呼ぶが・・・決ったパターンじゃない。
「良い因は良い果となる」・・・
この世の仕組みはそんなに固くない。
法則は頭の固い(良い)人が唱えている。
だから・・・信用できないし間違いだ。
グレちゃんは優しい。
優しさは柔らかさだ。
法則なんて決めない。
法則は解放するところに自由と幸せがあるのだ。
だから、この世の法則を主張するのは人間の方だ。
グレちゃん(創造主)は主張しないのだ。
因は果を呼ぶ。
一見、繋がらない果だって呼ぶ。
直線の果だけじゃない。
何でもアリの果を呼ぶのだ。
だから、因にこだわる必要はない。
果も因となる。
果にこだわる必要もない。
大切なのは
笑顔と感謝くらいだろう。
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精神世界の話は勘違いが多い。
「因果」の話もそうだった。
ワシが冥想で得た仕組みと違う。
偉い人達が解説しているから・・・
という理由は通らないのだ。
人間社会で偉くても関係無いのだ。
そんな、当たり前に気づいた。
仕組みを創った神様(グレちゃん)は特殊だ。
人の常識からは、はみ出しているのだ。
どんなに立派な偉い人でも神様の考えには届かない。
そんな、当たり前に気づいた。
でも難しくはない。
難しい話は、頭のいい「人」用なのだ。
グレちゃんは、誰(人間に限らず)に対しても優しい。
超優しい。
だから「因果」の仕組みも優しい。
超優しいのは、超易しいのだ。
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短いスパンで考える。
今生に限って考える。
すると「幸せに生きなければならない」となる。
(ま、まぁ、実際は幸せより満足感を追いかけるけど)
でも、グレちゃんは短くない・・・。
グレちゃんは小さくない・・・。
グレちゃんの優しさは今生に限らない。
だから「幸せに生きなければならない」と言わない。
「幸せになる方向しか創ってないから大丈夫だよ」
病になっても大丈夫。
苦しんでも大丈夫。
でも、嫌なら健康になる事も出来る。
嬉しく、愉しく、気持ちよくもなれる。
ワシは今生では根性無し・・・。
苦しみは遠慮しておきますわ。
それには「果」の表現が愉しみがいい。
「因」はいじれない。
同じ「因」でも「果」が嬉しければいい。
(過去のプログは本館 「氣の空間・氣功療法院」です。)
因果はすでにそろっている。
都合がいい、都合が悪いは同じ「果」だ。
コインの裏表なのだ。
どちらが出ても本体は同じなのだ。
その事がやっと解ってきた。
グレちゃん(創造主)はいつも同じだ。
この世の仕組みを幸せになる為に創った。
幾つも道が分かれているように見える。
だが、行き着く先は同じだ。
道の表現が違うだけだ。
病(闇)も健康(光)も同じだ。
幸せになる為に用意されている。
どちらを選ぶかは、本人が決める。
あるいは・・・本人に関わる魂が決める。
家族や先祖や前世や未来世の者達だ。
行き着く先は同じ境地だ。
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オセロゲーム。
積み重ねたモノが全て逆転する。
(一見)黒の連続が全て白に変わる。
様々な出来事が全て活用される。
何一つ無駄なモノは無い。
(理屈はそうだけど・・・ありそう・・・)
そういう展開がいいなぁ。
思えば叶う、とは限らない。
が
想像すれば叶い易くはなる。
(都合のいい)逆転は想像する。
夢、じゃない。
逆転は日常茶飯の出来事だ。
想像だけでは弱い。
誘因があるのだ。
それによって逆転が起こりうる。
誘因(引き金・キッカケ)は小さな事だ。
誘因に努力はいらない。
(過去のプログは本館 「氣の空間・氣功療法院」です。)