水上陽平流の表現でいろいろな事を書いています。本館は http://iiki.desu.jp/ 「氣の空間」
第七章(8)
是故空中無色 無受想行識
「それぞれの感じ方(受)もイイカゲンだぜ」
「考えや思い(想)も揺らいでいるし、変わるだろ」
「身体も変化しているんだ。行動(行)だって変わる」
「受想行が変われば、世の中の見方(識)も変わる、当たり前さぁ」
ブッちゃんは衆生に丁寧に話した。
天気だって、川の水だって変化する。
木や花だって、変化している。
動物も妖怪も毎日、いろいろな事がある。
人が作る村だって、決まり事だって変わる。
人の気持ちも身体も行いも変わる。
そんな事ぁ、当たり前なんだ。
だから、一々「こだわる」と苦しむ。
「こだわり」ってぇのはよ、
変わっているのに、無理して逆らっている事なんだぜ。
こだわっていちゃあ、物事は解放できねぇんだ。
お前ぇ等、楽になりてえんだろ。
簡単だぜ。
手、離せばいいんだ。
それが「無」ってことさ。
(過去のプログは本館 「氣の空間・氣功療法院」です。)
第七章(7)
是故空中無色 無受想行識
「ぜ~んぶ、イイカゲンだったんだぁ・・・」
こんな当たり前に気づくまで、何年も修行した。
ブッちゃんは命懸けで修行しまくった。
死にそうになって、修行を止めた。
真理を追う「こだわり」を解放した。
すると修行への「こだわり」から解放された。
放したら、気づいた。
当たり前に気づいた。
解った時、きっと、大笑いしただろうなぁ。
とびきり素敵な笑顔だったと思うぜ。
その後もず~と素敵な笑顔のままだ。
全ては「空」だった。
そして、全ての歩き方は「無」だった。
大丈夫。
何をしたっていいのだ。
こだわらなければ、正道だ。
こだわらなければ、中道になる。
(過去のプログは本館 「氣の空間・氣功療法院」です。)
第七章(6)
是故空中無色 無受想行識
「このように(是故)イイカゲン(空)だからよ(中)、
この世の出来事(色)に、一々こだわんなよなぁ(無)」
20世紀の極東の日本、植木等師が同じ事を言った。
「そのうち、何とか、な~るだろう~」
更に600年遡ると、一休禅師も言ってたなぁ。
「大丈夫、何とかなる」
両者ともブッちゃんの教えを正面で受け取った弟子だ。
この世は万物流転の世界。
万物の中には心も入る。
常に動き、変化している。
こだわるの(固定)は不自然なのだ。
絶対法則とか黄金律とか・・・
あるかもしれないけど、本気にしないほうが・・・
因果の法則とか・・・
言霊の法則とか・・・
○○の法則とか・・・
法則好きな人は「こだわり」が強いと思うぜ。
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第七章(5)
是故空中無色 無受想行識
「無」はどこから生まれたか?
それは「空」からだ。
ブッちゃんが冥想で観たモノ。
全ては「イイカゲン」だった。
それを「空」と名づけた。
「空」は「色と受想行識」全ての構成だ。
ならば、生き方も同時に解る。
仕組みが「イイカゲン」なのだ。
生き方としては「こだわらない」だけだ。
それを「無」と名づけた。
「空」と「無」はセットになっている。
「イイカゲン」だから「こだわらない」
当たり前なのだ。
両方とも楽に生きられる要素だ。
簡単だけど、気づき難い事だった。
ブッちゃんは気づいたから、伝法の行いをした。
伝法は優しく、わかりやすく。
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第七章(4)
是故空中無色 無受想行識
否定しない訳の表現は幾つもあるだろう。
ワシは「無」を「こだわんなよ」と訳した。
すると意味がとても優しく、わかりやすくなった。
「無」はブッちゃんの伝えたかった事なのだ。
これによって、ブッちゃんは「仏陀」となったのだ。
「こだわらない」という姿勢。
それをブッちゃんは「無」と表現した。
「無」を深く観てみな。
心静めて観てみなよ。
・・・・・・・・・・
「こだわるなよ」という意味になるだろ。
ワシの独善解釈ではあるが、
それは「無」が訴えてきたからだ。
本来の「無」の意味なんだろうな。
無の付く言葉を「こだわらない」と訳してみなよ。
それまでより、ず~と深い意味になっているぜ。
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第七章(3)
是故空中無色 無受想行識
「不」を否定語にしない。
「~もあるよ」という訳し方。
「不良」という言葉。
「悪いヤツ」と否定するよりも、
「良い事もあるよ」「良い子でもあるよ」
という理解の方法だ。
可能性はいつでもある。
決めつけない観方。
この方が深く観ていることがわかる。
否定より肯定の方が深いのだ。
肯定の意味での「不」の使い方もあるのだ。
そのまま「~にあらず」では、そこでストップする。
「無」も単純に「無い」と訳したら心経が薄くなる。
否定しない訳にするのがポイントだ。
同時にブッちゃんやゲンちゃんの深い教えでもある。
「いろいろな事があるけど、否定すんなよなぁ。
否定すれば、ツマラン人生になるぞ」
心経って・・・優しいから深いのだ。
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第七章(2)
是故空中無色 無受想行識
第五章で「空即是色 受想行識亦復如是」と言った。
今度は「空中無色」といい「無受想行識」という。
「無」を「無い」と訳したら、メチャクチャだろ。
無理やりこじつけると、
「空は色ではあるが、空の中には色が無い」・・・
かなり苦しい言い訳で、これでは国会答弁のようだ。
だから「無」の訳し方にポイント(宝)があるのだ。
だからその前の「不」にもポイントがあったのだ。
「不」と「無」を何故使っているか。
心経は全体がとても優しい言葉で綴られている。
衆生が生きる力を湧き出せるように綴られているのだ。
誰が誰に対して言ったのか。
誰が誰に対して何の目的で綴ったのか。
優れた人というのは、優しい人という事なのだ。
それを踏まえれば「不」「無」の訳は解ける。
仏陀達は、決して難しい事は言わないのだ。
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第七章(1)
是故空中無色 無受想行識
「是故空中無色」の直訳。
「それ故、空の中には色(世界)が無い」
そりゃ、変だな。
「色即是空・空即是色」と矛盾する。
マジメに直訳すると、自分で自分の首を絞める・・・。
ゲンちゃん(玄奘)は優しいオッサンだ。
マジメに直訳してはならないよ、と示してくれている。
心に余裕が無いと身動きがとれなくなる、と教えている。
遊び心が心経にはちりばめられているのだ。
それは、大切な宝でもある。
心経を解くポイントでもありヒントでもある。
ここから「無」の連続が続く。
「無」をどう扱うか?
それが、心経を解く愉しさでもある。
ゲンちゃんは、魅力的なオッサンであり、
同時にイタズラ坊主なのだ。
(過去のプログは本館 「氣の空間・氣功療法院」です。)
第六章(14)
舎利子 是諸法空相 不生不滅 不垢不浄 不増不減
ワシ的訳。
「お前ぇ等、よ~く聞けよぉ。
これから、この世のイイカゲンさを説明すっからよ。
まず、いろいろなモノは生まれるよな。
命だけじゃなく、悩みも病も楽しさも地位も財産も。
それらは、いつかなくなる。
いろいろなモノは汚れたり間違ったりする。
だけど、綺麗になる事も修正される事もある。
いろいろなモノは増えることもあるけど、減ることもある」
誰でも普通に聞いていられる。
普通の言葉だが、何か惹きこまれている。
普通の言葉だが、とても大切な事だと思える。
伝法な口調だが、とても優しく受け止められる。
「空という法則は、生じる事なく滅することもない・・・」
などという説明より、ず~と解りやすいだろ。
そして、そんな言葉では心に響かない。
優しいとも思えない。
優しさが伴って、経は活きるんだぜ。
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第六章(13)
舎利子 是諸法空相 不生不滅 不垢不浄 不増不減
ブッちゃんは言った。
「いろいろ増える事もあるよなぁ。
悩みもそうだろ。増えるんだよなぁ。
だけど、減ることもあるよなぁ。
苦労も減るんだぜ。心配すんなよ」
小難しい事など言わない。
宇宙の法則がアアタラ、ウンタラなんて言わない。
日常で解りやすい例で言ったのだ。
優しく、解りやすく。
そんなこたぁ、当たり前なのだ。
当たり前が解らなければ、何も意味がない。
話を文字に短くまとめれば、
「不生不滅」「不垢不浄」「不増不減」になる。
深い意味では「あらず」も「それもあり」も同じだ。
だが、話し言葉では「~もあるさぁ」になる。
否定語では、話にならねぇだろ。
(過去のプログは本館 「氣の空間・氣功療法院」です。)