水上陽平の独善雑記

水上陽平流の表現でいろいろな事を書いています。本館は http://iiki.desu.jp/ 「氣の空間」

プラス志向・4

2005-07-31 18:38:00 | Weblog

何度も何度も何度も何度も書いている。
この世の仕組みはヒネクレている、と。
この世の仕組みは素直と表現してもいい。
素直とヒネクレは同一体だ。
だが、その説明をするとメンドウだ。
ワシ流ではヒネクレを少し贔屓している・・・。

「離捨別」は楽になる方法だ。
嬉しい・愉しい・気持ち良い方向だ。
放すと幸せを得てしまう・・・。
この世はヒネクレているのだ。
その「離捨別」と「プラス志向」は同一体だ。

何でも節操無く「プラス」していく。
何でも認めてしまう。
何でも放すと、何でも認められるからだ。
放す事と加える事は同じなんだ。

難しい話をしているわけじゃない。
ヒントは「こだわり」・・・。
表現の違いは個性の違い。
行いに大した違いは無い。
「プラス」も「解放」も同一体だ。

ワシは通常モードは能天気だ。
出来るだけクダラナイオヤジを目指している。
三流のダジャレを心掛ける。
スケベなオッサンになるように精進している。

ダメな父親像を多く見せるように意図してる。
本妻には甲斐性なし亭主を進んでアピールする。
(実際、嘘を言う甲斐性も無い・・・)
愛人にも魅力で縛らないように注意している。
(魅力は無いから心配ないって・・・)

基本は全てオープンだ。
聞かれりゃ何でも答える。
スパイにゃ向いてない性格だ。
幸せで、楽に生きたいからだ。
(結構・・・努力家じゃん・・・)

普段が能天気だと、反動もある。
それが治療モードだ。
アホでダメでナマケモノだから、
治療時だけは、マトモになれる。

ワシは四六時中、マトモな人を信用しない。
マジメな話ばかりする人に偽善の臭いを感じる。
心はそういう仕組みではないからだ。
心の仕組みは、この世の仕組みと同じだ。
ヒネクレて成り立っている。


(本館は 「氣の空間・氣功療法院」
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

プラス志向・3

2005-07-30 18:16:39 | Weblog

ワシは節操の無いヤツが好きだ。
尻軽なオナゴも支持する。
ラテン系やイタリア人が仲間だと思っている。
人を差別しないで好む連中だからだ。
(本当はどうだか知らないけど・・・)

他を節操なく認めてしまう「プラス志向」
何でもプラスしていく生き方。
異なモノでも、まぁ、いいかぁ、と許しちゃう。
なるようにしかならない、と開き直る性格。
どうなっても、とりあえずは生きていける。

陰気なヤツもインキンなヤツもゲンキンなヤツもいる。
ワシも陽気な時ばかりじゃない。
元気も病気も食い気も色気もある(と思う)。
だから全部がプラスされて、ワシがいる。
それはアナタも同じなんだ。

一部だけ愛するのは・・・フェチという。
変態の仲間だ。
明るいモノだけ愛する「プラス思考」は変態だぜ。
「プラス志向」なら、フェチにならない。
明・暗・グレー・オレンジ・ブルー・ゴールド
出会うモノ、全てプラスしていくからだ。

もちろん節操のない「プラス志向」だ。
変態の「プラス思考」も認めている。
変態は少しなら・・・面白いと思う・・・。
心の底で興味ある人は多いはずだ・・・。
過ぎると害になるから、少しにしておけよ。
と、いうわけで、
たまには「プラス思考」もわるくない。

マイナスとレッテルを貼られた思考も仲間だ。
この思考は奥ゆかしいというか、意気地は少ない。
だから「プラス思考」の強さに必ず押される。
変態の「プラス思考」に押し倒されるのだ・・・。
そして・・・後で一人泣く・・・。

人生の侘寂は「プラス思考」では理解できないが、
「マイナス思考?」は理解しやすい位置にいる。
侘び寂びは、味わい深い世界だぜ。
深みの味が解ってこそ、優しくなれる。
どうだ?マイナスラベルの暗さもわるくないだろ。

能天気で変態の「プラス思考」
意気地無しだが、深みを味わう「マイナス思考」
どちらも自由に引き出せる「プラス志向」
ワシは「プラス志向」で生きるを愉しむ。


(本館は 「氣の空間・氣功療法院」
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

プラス志向・2

2005-07-29 12:01:25 | Weblog

「マイナス思考」と言われる閉じこもり系の考えがある。
「プラス思考」は「マイナス思考」を否定する。
そして「プラス思考」に変えようとする。
こっちの水は甘いぞ・・・。

それでも動かないと・・・
「人間はプラス思考でなくてはダメ!」
お、脅かす・・・そ、そうなのかぁ?
ダメって言われてもなぁ・・・
言われて変わるようなら、世界はとっくに理想郷だ。
あるいは、世界はとっくに滅亡している。

「プラス」は「明るい」という意味を内蔵する。
ワシもそう思う。
だが「プラス思考」は片方を否定し片方を薦める。
「マイナス思考」とレッテルを貼る行為が、
ワシには「明るい」とは思えないぞ。

プラス思考は(賛同者にだけ)明るい・・・。

「明るい」から「正しい」という主張もある。
「正しい」から「明るい」という主張もある。
ならば・・・ラテン系は、皆、正しい・・・。
ワシもラテン系な性格だ。
(い、いや、単なる、いいかげん・・・)
ワシは正しかったのだぁ~・・・。

血液型だけで性格や性向が決るとは思わないが、
話の流れ上、そういうことにしておこう・・・。
キマジメなA型は明るさに欠ける。
三段論法とシャンツァイロンポウから、
マジメなA型は、皆、正しくない・・・。
いいのか? それで?

片方だけが「正しい」「明るい」というのは、
とても幼稚なワガママに観えるけどなぁ・・・。
ワシは「プラス思考」が幼稚だと思っている。
(プラス思考支持者から抗議がありそうだなぁ・・・)

ワシは、ケンカを売るつもりも買うつもりもない。
ワシは根性無しなのだ。言い訳をするぞ。
幼稚は・・・可愛いじゃないか!
幼稚園児を可愛いと思えないなら、アナタはアクマよ。
(今日も雑記が壊れているなぁ・・・)

口が滑るのは先祖からのDNAのせいだと思う・・・。
先祖がオッチョコチョイだからだ。
そうだ、そうだ、悪いのは先祖だ。
要領よく振舞えば、もう少し社会から認められたのに・・・。

黙って目を瞑ることはワシも知っているし、行う。
目は瞑るけど・・・口は滑る・・・。
「プラス思考」では(全部は)輝かない・・・。
(今日は暑いんだもんなぁ・・・クーラーは無いし・・・
支離滅裂、尻めくれる、ハチャメチャ雑記でしたぁ・・・)


(本館は 「氣の空間・氣功療法院」
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

プラス志向・1

2005-07-28 22:17:00 | Weblog

プラス思考じゃない。
実際に行動として向かうから志向となる。
生き方として歩くから「意志」
「プラス」していく方法を「プラス志向」とする。

ワシは「プラス思考」に疑問をもっている。
ちょっと批判的でさえある。
「プラス思考」は勘違いか間違いか無知か無理だと思うよ。
少なくても机上論であり、実践的ではないなぁ・・・。
プラス思考は性格の適・不適があるのだ。
相手を観る事なしに薦める方法じゃないぞ。

何かを薦める人の陥りやすい点がある。
「相手を観る」姿勢が抜けやすいのだ。
自分の主張を押すことに偏りすぎだ。
「強さ・正しさ」にこだわりすぎだ。

一見親切は、一見優しさのように見える。
ところが相手の立場より「正しさ」を押す。
それは・・・薄情という・・・。
相手の情を認めてないからだ。

「プラス志向」は「強さ・正しさ」を求めない。
そう、ロクデナシの味方なのだ。
(ワシがロクデナシだからだけど・・・)
心の(ロクデナシの)味方が出来ないのは薄情という。
自分の味方が出来ないのは薄情というのだ。
(ふ、深い言葉だけど・・・賛同者は少ないだろうなぁ)

ロクデナシの味方は正義の味方じゃない。
体や心や精神の弱い者の味方だ。
正義の味方は強い者の味方なんだぜ。
御旗をたてて、反論できないように進めるのが正義だ。
異論や反論を認めない、薄情な方法だ。
ワシは正義を振りかざすのが好きではない・・・。

正義を進めると「争い」になる。
だからワシは「正しさ」を求めない。
ワシは「平和」が好きなのだ。
ナマケモノだから・・・。
ナマケモノは争わない・・・。
木(氣)にすがっているだけだし・・・。

そのナマケモノ道として「プラス志向」がある。
「プラス志向」は平和を求める道だ。
ハッタリもここまで書けば、そういう気がしてくる・・・。
ワシはハッタリ道の師範免状も持っているのだ。
(でも競争個人主義の国民にはかなわない・・・)

マイナスの逆側ではない「プラス」
「加える」という意味の「プラス」
何でもいいよ、という「プラス」
プラスしかない世界の「プラス」
そんな「プラス志向」を書いてみますね。


(本館は 「氣の空間・氣功療法院」
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

眠れぬ森のB女・12

2005-07-27 15:37:48 | Weblog

親子の愛
    
 愛、といっても愛情の事よ。
 前項で書いたように、「愛」そのものの解説なんてしても理解できないでしょ。でもここでは「愛」と表現したほうがイメージしやすいのよ。
 イメージは理解を先導したり、扇動したり、何かの船頭になったりするものなの。
 理解は「愛」への入り口なんだけど、イメージが先導役だと知るとイメージの重要性が解るかしら?
 ツマラナイ学習より、想像やその先にある創造の癖をつけるほうが、ずっと物事の理解に近づくわ。
 勉強をさせるのは何のため? 何かを理解するためでしょ。それなら頭は遊ばせなくっちゃ。
 遊びからイメージやもっと直接的に理解や発見が起こるものよ。直感ってヤツかな。
 あら?また話しが横にずれていたわ。そうそう親子の愛だったわね。
 人間にとって親子の愛は基本形なのよ。だから人間には例外なく親がいるのよ。人間以外では親がいなくて生まれるモノって多いわ。いきなり発生するモノや、分裂するモノなどさまざまよ。
 ここでいう親は肉体的遺伝的な存在のことよ。すべては「神」という親から生まれた、だから我ら動物みな兄弟、という表現の仕方もあるけれどねぇ。
 いきなり本質的なことを言ったって、それぞれが勝手に受け取ってケンカするのがオチよ。各宗教間の争いを見て。神様がいたら嘆く・・・わけないか。嘆くのは悲観的な人間のほうだったわね。神様はそんな事ぐらい、お見通しのはずよ。そうじゃなければ、神様なんてやってられないわよねぇ。
 神様って超ポジティブよ。悲観的な神様なんてニセモノに決まっているじゃない。まして怒る事は絶対しないわ。神様モドキは人間の創りものよ。よく観てね。
 親子の愛の特徴は「最初から備わっている」事よ。
 通常、愛情は育てたり変化させたりする「行い」が伴うものなんだけど、愛情が最初からあるから親子としてこの世に存在しているの。
 ところで覚えているかしら?きっと忘れていると思うけど、以前に
 「行い」が伴って感謝の形になる、って言ったのよ。この世で学ぶ大切な事はすべて「行い」を通して理解できるような仕組みなのよ。
 これも大切。感謝と愛情は同じモノを違う側面から表現したのよね。感謝って結構「大物」なのよ。つまり親子間では最初から感謝も備わっているのよ。
 それにしても「行い」なしで愛情も感謝も最初からあるんだから、親子ってすごいわねぇ。しかも人間なら例外無しに与えられているのよ。この世のこんな仕組みを考えると、こんなアタシだって神様の仕業と思うわよ。
 あら?アンダーラインばかり。ここのお話は重要なのかなぁ。
 「鏡よ鏡、お前にも親はいるの?」
 「ワイらは己を映すことによって、神、つまり大親を観るために創られたんや」
 「へ~、そう。で、アンタに親はいるの?」
 「ウッ! ワイ、人間やない!」
 「知っているわ。で、アンタに親はいるの?」
 「ワ、ワイかて人間が羨ましいことだってあるんや」
 「つまり、アンタに親はいないのね。フフフ、案外アンタが可愛くないので捨てられたのかもよ」
 「そ、そ、そうやろか?」
 「あ~。何故か今夜は気分良く眠れそう」
 (魔女に限らず、オナゴは底意地が悪いものです・・・)


(何故かB女の評判がいいので、つ、つい、今日も続きをコピペしてしまった
やはりキチンと最後まで書いて、出版という形にしたいなぁ・・・)



(本館は 「氣の空間・氣功療法院」
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

眠れぬ森のB女・11

2005-07-26 21:09:32 | Weblog

愛と愛情

 これからが本番よ。まず愛と愛情の違いからよ。これは基本的な事だけど、ほとんど理解されていないのよ。まぁ仕方ないけど。
 愛はこの次元に限らず最も大切なことなのだけど、今までの人間の段階では言葉が先行していただけで、なかなか本質にせまる表現が出来なかったのよ。愛ってめちゃくちゃ大きな相手なのよ。
 普通は「愛」というと、優しいイメージや、神聖なイメージを抱くものだけど、そんな単純な範囲じゃないわ。
 この世の仕組み、いいえ、この次元の仕組み、いいえ、次元を超えた仕組みの質自体を「愛」というのよ。
 どう? 想像できるかしら? 無理でしょう。
えっ、無理なのは文章表現が稚拙だから? 解ってないわね。
 リードするものが精密正確なほど、想像レベルは貧しくなるの。表現の稚拙はアタシの思いやり。
 とにかく、「愛」をストレートに学べないのだから、人間のレベルでは「愛」より「愛情」を学ぶことが優先するのよ。そのためにこの「愛情」あふれる地球に生まれたのよ。
 貴方が人間を超えたレベルならば「愛」を語ってもいいけど、シッタルーダやイエスクラスはめったにいないわよ。
 その彼らさえ、つい「愛」を人々に語っちゃったけど、ごらんのとおり今の人間には無理解だったでしょ。宗教関係者は「そんな事は無い」って言いたいでしょうけど、これは単なる事実よ。
 釈迦さんもキリストさんも、人間には無理だと「解っちゃいるけど、止められねえ」というわけだったのよねぇ~。ホントに優しいんだ。
 えっ、アタシ? だから普通の人間じゃないわよ、って断っていたじゃない。だから当然エラソウに「愛」についても書くわよ。解ってもらおうなんて、最初から思っていないわ。
 アタシは和(柔)らいでほしいだけ。もちろん人間の意識のことよ。考えて理解なんてしないでね。無理は無駄になりやすいのよ。
 愛も愛情も「考える」相手ではないわ。難しくいうと「智と行」なのよ。 
ほとんどの人間は「智と行」を「痴と業」にしているから大変なのよ。「痴と業」にすると、愛や愛情がねじれて見えてしまうから、「苦」の原因になってしまうのよ。
 愛や愛情の本当の姿が「苦」のはずが無いでしょ。嬉しい、楽しい、愉しい、気持ち良い、安心、和(柔)らぎなどの幸せを知るためにあるのだから。
 ねえ、人間って不思議よね。素直に「愛と愛情」を学んで幸せになればいいのに、ワザワザ「愛と愛情」をひねくれさせて、苦しく生きる方を選ぶのだから。
 素直が一番なのよ。字のとおり、なんでも理解には素直が一番早いし速いのよ。
 「鏡よ鏡、今日は素直に言ってね。この世で一番綺麗な女性はだ~れだ?」
 「どこの綺麗や? 顔か? 心か? 体か? 魂か?」
 「う~ん・・・。顔の綺麗な女性」
 「歳によって違うねん。何歳くらいや?」
 「う~ん・・・。30代でいいわ」
 「国によって基準が違うねん。何処の国や?」
 「う~ん・・・。日本では?」
 「時代によっても違うねん。何時の時代や?」
 「現代よ」
 「一人の人間でも体や心の状態で顔も変わるんやけど、どんな状態の時や?」
 「もういいわ。なんだかバカバカしくなってきたわ」
 「大切なのはそれや。素直の前では利害や感情なんてツマランもんや」
 「それって、アタシの質問が素直でなかったという意味ね」
 「いいや。アンさん自身や」
 「ムッ! これ、針の座布団です。どうぞ」

(まだありますが、一応これでB女の話は中断しようかと思ってます。
また雑記を書く時間が無い時に続きをコピペしようかと・・・)


(本館は 「氣の空間・氣功療法院」
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

眠れぬ森のB女・10

2005-07-25 18:46:03 | Weblog

「眠れぬ森のB女・10」

嘘つきB女

 いきなり告白しますけど、アタシは嘘付きだわ。でも、嘘付きが悪いなんて思わないでね。本当のコトが解らないからこの世にいるのに、嘘付きで無いなんてアタシには言えませんわ。
 えっ、自分で自分の事を正直者というヒトがいるの? 強い性格ねえ。
 強い事はいい事ではないわ。といって、弱い事も同じよ。やわらかい事が大切だし、それを学ぶために存在しているのよ。
 無知と強さは紙一重。覚えておいてね。
 とにかく、そんなアタシの云うことだから本気にならないでね。本気ってウットウシイだけなのよ。嘘でもナンでも適当に受け入れることを活用というのよ。適当というよりテキトーって感じかな。
 でも、いくら嘘だからといっても無視してはいけないわ。出会ったモノが何であれ、無視だけはこの世のルール違反になってしまうわ。
 私達って、出会うためにこの世に生まれたのよ。何かを学ぶために出会いがあるのだから、良い出会いとか悪い出会いとか関係ないわ。謙虚になれるかどうかがポイントよね。
 えっ、アタシがえらそうに云うべき言葉じゃない? ほら、その態度が謙虚じゃないのよ。相手のことを気にするよりも、自分の内面に注意をはらってね。
 この章では「愛」についてお話しするわね。
こういう大きなテーマは嘘(方便)で顕すほうが都合いいのよ。最初から嘘だと断っておけば、アタシにとっても、書いているダンナにとっても、受け取る貴方にとっても気が楽だわ。
 気が楽になれば真実に触れやすくなる、とお師匠様もおっしゃっていたわ。
 そもそも本当に大切なモノとは、「いいかげん」に接するのが基本姿勢なのよ。大切なモノは柔らかである、という共通した質があるのよ。
 マジメな態度で柔らかを理解するのは無理があるわ。マジメ自体が硬いのよ。その点、「いいかげん」ならば何とかなるものよ。何とかならなくても、どうってこともないし。
 「鏡よ鏡、今までご苦労様。今日であなたを解放してあげるわ」
 「そんなストレートな嘘、ワイ寝ぼけてても引っかかりませんがな。」
 「あなたの心をそんな風に捻じ曲げてしまったなんて、アタシって悪い女ね」
 「決まってまんがな。アンさんが悪くなければ世の中に悪人なんておらん」
 「ちょっと~。ずいぶんな言い方じゃない。鏡の表面をキズ付けてやろうかしら」
「ま、まて!落ち着いて考えてみようやないか。美人ならば何をしても許されると思わんか? 嘘ぐらい何でもあらへん」 
「そうよね~。今夜は座布団一枚あげるわ」
(「嘘は使い方で活きるもんや」)


(本館は 「氣の空間・氣功療法院」
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

眠れぬ森のB女・9

2005-07-24 23:38:51 | Weblog

「眠れぬ森のB女・9」

魔法は愛情?

 夜はともかく、アタシの昼間はほとんどゴロゴロしているわ。そんなアタシが唯一ダンナに褒められるのが料理なのよ。料理っていっても、難しいことはしないわ。いつでも同じようなものよ。家のまわりに生えているのを使うだけよ。
 「世界一美味い」とダンナは言ってくれるわ。世界はおろか、お隣さんの料理さえ知らないのに。でも、こう言われると嬉しいものよ。自分でもおいしいと思うし、おいしく変わってきたと思うわよ。
 ダンナはそれが「氣の活用法」だと信じているみたい。実はアタシが魔法を使っているのを知らないのね。魔法はあまり使わないのだけれど、料理には使いやすいし、使うほうが食べ物さんが喜ぶのよね。ダンナも喜ぶけれど。
 マトモなオンナなら魔女だといったでしょう。特別じゃないのよ。だから魔法も特別なことではないわ。不思議なことは当たり前にあるのよ。こう受け止められる心の広さと柔らかさがイイオンナに変えるし、魔女の条件でもあるのよ。
 魔法って愛情のことなのよ。愛と愛情の違いはそのうちお話しするけれど、地球は愛情が満ちあふれている星だわ。大宇宙はスベテ愛に包まれているけれど、愛情だらけの星って珍しいのよ。
 勘違いしないでね。褒めているわけじゃないのよ。だから地球というのは魔法がいっぱいの星でもあるし、この星の中では魔法は特別じゃないの。
 「魔」つまり「愛」の表現方法が魔法なのよ。だけど表現方法は理解度によって変わるし、変わるモノは未熟な証拠でもあるのよ。
 愛情は愛の未熟な姿なの。魔法は未熟なのよ。
でもね、この世は諸行無常というじゃない。アタシたちは未熟な世界を選んで生まれてきたのよ。そのことは基本として忘れちゃいけないわ。
 最近はその愛情が涸れてきているわねえ。魔法が涸れてきているのよ。未熟ならいいんだけど、腐り始めたらヤバいわよ。
 未熟は未来に向かって熟す動きがあるけれど、魂の進化が止まると腐ってくるの。見えるモノだけの進化を求めると、魂は止まってしまうのよ。見えるモノと見えないモノのつなぎ役が愛情であるし、魔法でもあるのよ。
 愛情や魔法は段階があるわ。我の解放度によってだから、かなりメイワクな愛情や魔法だらけなんだけど、それでもいいの。
 見えないモノに重点をおいていれば、「気づき」が起こるから。それも自動的に起こるものなのよ。だから愛情は大切なのよ。未熟なモノは大切なのよ。そうよ、そうよ、ダンナも大切なのよ。
 ああ、今夜のアタシは愛情があふれて眠れそうにないわ。
 「鏡よ鏡、アタシの愛情を分けてあげるわね」
 「押し付けるのが愛情。受取る行為が愛。ワイ、まだ魂が未熟なんや。遠慮しときまっせ」
 「なによ~」


(本館は 「氣の空間・氣功療法院」
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

眠れぬ森のB女・8

2005-07-23 17:13:59 | Weblog

「眠れぬ森のB女・8」

夜のB女?

アタシが夜、眠れないのは知っているわよね。でも、不眠症じゃないわ。ドラキュラでもないわよ。夜は魔の時間なの。前にも言ったけれど、魔も真も間も変わりゃしないわ。愛の変形よ。変体よ。変態よ。この文章など、変大よ。
 夜っていうのは、昼よりも見えない力が濃く感じられるのよ。けっして昼よりも邪悪なわけではないわ。夜のほうがホントの姿を観る機会が多いのよ。
いいえ、ホントもウソもないのだけれど、隠れているモノや抑えていたモノが現れやすいの。
 邪悪なモノが本当に存在するか、という議論は後回しにして、邪悪っぽいモノは昼間は隠れてしまうの。何故って、昼は浄化力が強いのよ。邪悪っぽいモノの一部は溶(解)けてしまうのも事実よ。
 でも、自分で邪悪だと決めつけている感情が一番大きいかしらね。これは心の底に抑えてしまって、昼間はなかなか出てこないわ。
 実はこの底にあるモノが大切なのよ。大切な気づきを教えてくれるのよ。まあ心に限らず、ほとんどの事は、底のほうがおもしろいものよ。
 心は基本的に曖昧なんだけれど、理性で操れる部分はまったく信用できないの。つまり、マジメな人は信用できないってことよ。本人も気づいていないんだから、コマッタちゃんなの。といって、デタラメな人は初めから論外よ。
 ホントの理性は無理強いをしないものよ。人間には未だ操れる段階じゃないわ。だから理性ではなくて我性なのよ。我性の強い弱いはあるけれど、強いのはホメられたものではないわ。我も我慢も同じなのよ。人間社会では我慢を理性的なんて褒めるけれど、都合がいいからよ、誰かさんにとっては。
 人間としては「いいかげん」が最適かな。この件に関しては、ダンナと同じ認識だわ。実際に魔女として夜に人間を観ると、「いいかげん」な人は黒い固まりが出てこないわ。抑えたモノもあるのだけれど、固まりになる前に動かしてしまうみたい。自分で抑えたくせに、抑え続ける根性が無いみたい。ホントにいいかげんなんだから。
 ところで夜の力は複雑よ。成長や再生も夜の分野よ。変化も夜に起こるのよ。昼は体験をして、夜に消化、吸収、変換が行われるのよ。でも、これらは我性が休んでいるから出来ることなのよ。だから人間にとっては夜は眠るのが自然なの。
 我性を休ませるって、とても大切なのよ。我性が続くと破滅するだけなのよ。
 アタシは昼間、トド妻の真似をしているけれど、夜に魅力が全開する魔女よ。ダンナは眠っているから、いまだにアタシの魅力を知らないんだわ。魅力は隠している間が華よ。だから世のオトコたちはパートナーの魅力を知らない。でも、知らせれば魅力で無くなるから、ちょっとムナシイわねえ。
 そういえば猫たちも同じようなことをしているわね。昼間は眠って、夜になると秘密の行動をしているわよ。気まぐれだし、魅力はあるし。魔力も使えるけれど、役に立てないのも似ているわね。
 これも力の正しい扱い方よね。自分たちのためだけに力を役立たせるなんて、地球さんからみればメイワクだわ。
 使わないことを学ぶために授かった力もあるのよ。イイオンナはナンでもカンでも見せびらかさないものよ。
 そんなわけで、特に何もしないけれど、今夜も眠れないわ。
 「鏡よ鏡。お前にとって夜とは何?」
 「ライバルでんがな。夜は己を映す鏡なんや」
 「じゃあ鏡なんていらないわね」
 「そのとおりや。今すぐクビにしてや」
 「ご希望にそえないわ。アタシは役立たたずを集めるのが趣味なのよ」

(本館は 「氣の空間・氣功療法院」
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

眠れぬ森のB女・7

2005-07-22 16:43:43 | Weblog

「眠れぬ森のB女・7」

     お師匠様って?

 アタシにはお師匠様がいます。アタシだけではなくて、貴方にもいるはずですわ。お師匠様に気づくか気づかないかの違いはありますけれど、どんな人にもお師匠様はいらっしゃいます。そして、必ず貴方と接触しているはずですわ。
 気づきにくいのは、お師匠様のイメージが固定化されているからよ。イメージは自分の中にあるアコガレが顕すものなのよ。
 地位や名誉や有名な人を求めたり、その逆に仙人のような人を求めたりするわね。みんな貴方自身の願望よ。
 何かの達人や特殊能力人にアコガレたり、父性の強い鬼コーチタイプにアコガレる人も多いわね。そういうお師匠様もわるくないけれど、貴方に必要なお師匠様はもっと身近にいることが多いものよ。
 年上とは限らないわよ。身内の可能性もあるのよ。夫や妻かもしれなくてよ。子供がお師匠様の場合があるのよ。しかも多いの。部下や従業員かもしれないのよ。こうなると簡単にイバれないわよ。大切なことを指導してくれるのは、人間だけじゃないこともあるし。
 お師匠様を意識しだすと、けっこう謙虚になるものよ。とくにアタシのように図に乗るタイプには有り難い存在だわ。
 えっ、ちっとも謙虚に見えない? 
や~ね~。細かいことを気にするものじゃないわ。もっと大きな人になってよね。
 幸いにして、アタシは納得できるお師匠様に巡り会えたわ。巡り会えてわかったけれど、求めたものは必ず用意されているわ。
 いいえ、求めたものより一歩先のものが用意されているわ。それを示してくださるのがお師匠様。
 そんなわけで、時々エラソウなことを言うのはお師匠様の影響よ。アタシの言葉じゃなくて、受け売りなんだから本気にしてね。異論やモンクがあったらお師匠様にどうぞ。アタシは言ったそばから忘れちゃうから。
 不出来で無責任な弟子を持つと、お師匠様も苦労するわねえ。まあ、しょうがないわよ。アタシが苦労するわけじゃないし。
 苦労をするためにこの世に来たのではなく、苦労を超えるためにこの世に来た、とおっしゃったのはお師匠様自身なんだし。
 そういえばダンナにもお師匠様がいるみたいよ。しかも二人も。でも、どんなにお師匠様が素晴らしい人で幾人いても、学ぶのは本人次第よね。ダンナをみてると、つくづくそう思うわ。だからダンナは先生でもあるのよね。反面教師だけれど。
 この世界には自分以外に、お師匠様が必ずいらっしゃって、残りのスベテは先生なのね。そして、一番出来が悪いのが自分なのかもしれないわ。
 あら、今日のアタシはずいぶん謙虚だわ。美しさに謙虚を兼ね備えたら完璧ね。どうしよう。自分がステキすぎて怖いわ。これでは今夜も眠れそうもない。
 「鏡よ鏡。この世で一番のお師匠様は誰?」
 「鏡に映る自分自身が最高のお師匠はんや」
 「冴えているわねえ」
 「そう思ったら、たまには心と一緒に鏡も磨いてや」
 「その一言が座布団をフイにするのよ」


(本館は 「氣の空間・氣功療法院」
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする