水上陽平流の表現でいろいろな事を書いています。本館は http://iiki.desu.jp/ 「氣の空間」
いつか書かなければ、という気持ちもある。
ワシは義務感で何かをしたくない。
それでも書こうという理由もある。
だが、今はまだ書けない。
ワシの仕事は病気治しではない。
浅い意味の健康指導でもない。
故御師匠様の言葉を借りるなら
「人間、100年もすれば皆死ぬ」
治しても若返りをしても同じだ。
だが、
生きている間の質が変わるなら、
それは、とても、意味のある事になる。
何故生きているか、の意味になる。
深い意味の健康こそが、指標になるのだ。
その一部に病からの解放がある。
(過去のプログは本館 「氣の空間・氣功療法院」です。)
霊障の話は簡単に書けない。
実感した人の割合は結構多い。
ウソだと思っている人の方が少ないかもしれない。
だが、霊障を認めない人は攻撃的なのだ。
認めなくてもいいけど、何故か攻撃的になる。
様々な認識があるんだ。
他人の認識を攻撃しなくてもいいと思うけどなぁ。
科学教の信者に多いが、知識は決して多くない。
この世の大部分は不思議で成り立っているのだ。
霊障にも関係するが、「あの世」の話も書けない。
実証できなくても、ある程度はわかる。
わかる部分もあるのだ。
だが、中々書けないんだなぁ・・・
説明が多種になり、メンドウという事もあるけど。
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病の原因は様々だ。
単一の場合もあるが、複雑が多い。
単一だったのが、複雑に増える。
ほとんどの治療は原因を見つけて治療する。
だが、この方法だと困難になる。
しかも原因に対応できる治療ばかりではない。
例えば、霊障。
例えば、遺伝。
例えば、過去や未来の縁。
霊も遺伝も多種多様。
その性質も現れ方も多種多様。
霊は○○だ、と決め付けられない。
まして、そんなのウソだ、という人達も多いのだ。
ウソかホントか、なんてレベルの話などしたくない。
(過去のプログは本館 「氣の空間・氣功療法院」です。)
雑記を毎日少しづつ書いている。
題さえ書けば、内容は勝手に出てくる。
自分で書いていても、なるほど、と思う事もある。
それは、それでいいのだが・・・
今までの経験や気づきがある。
その中で、書きたい事もある。
伝えたい事もある。
だが、それは書けない内容が多い。
伝えるのが難しいのだ。
一人一人の理解度が違いすぎる。
常識という認識とかけ離れている。
見えない世界の部分は誤解も多い。
少人数での直接話なら、何とかなる。
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仮に「本当の道」があるとする。
そして、その道を歩いたとする。
それでも道は順風満帆に進めない。
いつでも、嬉しいばかりじゃない。
楽しいばかりじゃない。
明るい方向の道。
それでも辛い出来事はある。
悲しい出来事もある。
苦しい出来事もある。
だが、大きな差があるのだ。
乗り越える生命力の差がある。
喜べる深さの差がある。
愉しめる余裕の差がある。
信じる強さの差があるのだ。
明るい方向には、光がある。
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明るい方向でもデコボコ道だ。
坂もあるし、イバラだってある。
雨も風も雪もある。
本当に、この道でいいのか?
いいのだ。
心が迷っても、する事は同じ。
明るい言葉、明るいモノ、明日。
心は迷うのが癖なんだ。
心をアテにしては、本当に迷うのだ。
道は最初からデコボコに創られている。
どんな方向の道もデコボコに創られている。
その体験を味わうように創られている。
どうせなら、明るい道のデコボコの方が面白いぞ。
その後の体験の深さが違うからだ。
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順風満帆な道のり。
そういう時期もあるだろう。
深く観れば、生きていれば全て順風満帆だ。
だが、心はそう思えない。
波が高いし、多い。
風が強いし、多い。
雨が激しいし、多い。
時には嵐や竜巻もある。
明るい方に向かっていても同じだ。
同じじゃないけど、同じに感じる。
差があっても、現象は似ている。
ここで、つい、迷ってしまう。
方向が違うのか。
あるいは、方向なんて最初から無いのか。
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明日を信じる。
明るい日だと信じる。
信じる事に力を入れる必要はない。
信じ込む必要もない。
不安はある。
悩みもある。
悲しみも苦しさもある。
あるけど、明日もある。
明日は今日と違う。
意識出来なくても、違っている。
必ず変わっている。
明日を信じれば、明るい日の方向。
信じられなくても、明るいんだけどなぁ・・・。
(過去のプログは本館 「氣の空間・氣功療法院」です。)
「神を信じ、人を愛す」
故御師匠様の言葉だ。
神は宗教組織の唱えるモノとは違う。
「宗教(組織)は信じないが、神は信じる」
同じく故御師匠様の言葉だ。
宗教組織は人だからだ。
人は間違う。
嘘をつく。
迷う。
当たり前だ、人だもの。
至らない存在だ。
だから、信じる対象じゃない。
愛する対象だ。
神は完璧だ。
異を唱えられない。
だから、信じる以外に方法がない。
神とは、自然とかこの世の仕組みとか、そういうモノだ。
信じるモノがまだある。
明日(未来)だ。
明日も神の一部かもしれないが、ようわからん。
だが、明日を信じると、方向が定まる。
そこに差の分かれ道ができる。
(過去のプログは本館 「氣の空間・氣功療法院」です。)
理屈を考えると暗くなる。
バカを言ってれば明るくなる。
社会的な評価など幸せの足しにならない。
言い過ぎた・・・
少しは幸せの足しになる。
多くは、その足を引っ張る・・・。
社会的評価は下がるが、バカを言う方が幸せに向かえる。
ノーテンキな(明るい)言行は一見役立たず。
役立たずも、全体から見れば役に立つ。
まぁ、明るけりゃ、何とかなる。
真実の言葉より、明るい言葉だ。
ポイントは「明るさ」だ。
明るけりゃ、何でもいい。
日と月で明るいなら、月もいい。
赤ちゃんは、明ちゃんだ。
明日は、明るいに決まっているんだぜ。
(過去のプログは本館 「氣の空間・氣功療法院」です。)