水上陽平流の表現でいろいろな事を書いています。本館は http://iiki.desu.jp/ 「氣の空間」
感情をコントロールするのは「理性」だ。
だが、今までは勘違いして理解していた。
そこに、生命の力を抜かしていた。
生命は自然だと見抜いてなかった。
生命力は理性力。
こんな、当たり前が解けてなかった。
真の理性は生命を活性する。
当然、感情をコントロールする。
抑える為ではない。
自由に愉しめる為にコントロールする。
理性は自然体。
素直に観れば解るはずだ。
言葉は、そのまま、を表していた。
ワシは・・・
理性あふれるオッサンを目指している。
(過去のプログは本館 「氣の空間・氣功療法院」です。)
「理性」と「感性」は対比されやすい。
これも「理性」の誤解からだった。
理性も感性も同根の「性」だ。
「理性」が大きく広いほど「感性」も大きく広い。
どちらも自然体の割合と比例しているからだ。
ワシは今まで判断力は「感性」次第だと思っていた。
だが同じ意味で「理性」次第なのだ。
「感性の時代」というのは「理性の時代」なのだ。
それは「自然体の時代」ということなのだ。
これからの(明るい)時代(未来)の必需品だ。
あらゆる分野で必要であり、リードする能力でもある。
気張って身に付ける能力ではない。
放せば目を覚ます能力だ。
捨てれば得られる能力だ。
別れれば、気づく能力だ。
この世のシステムはヒネクレているのだ。
ブッちゃん(仏陀)は、それを(断)捨離という言葉で示した。
捨離すれば、自然に帰れる。
自然(理)と同調すれば、何とかなるさ。
そう教えてくれたのだ。
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長い間「理性」を誤解していた。
だから、ワシが「理性」を語るなんて無謀だと思っていた。
だけど「理性は自然体」だと知ったら大丈夫だ。
どんな人でも動物でもモノでも「自然体」は語れる。
「性」に自然が無いモノはこの世に存在しない。
ワシは堂々と「理性」を語れるのだ。
ワシ流の自然(理)は「いいかげん」だ。
時々「ヒネクレ」を混ぜる方がいいようだ。
明るく、愉しく、気持ちよく、が指標となる。
そんなのが・・・「理性」というものだ。
冷静な頭脳判断とは違う。
「理性」は誰でもある。
だが・・・人の「理性」は眠っていがちだ。
人間はどんどん自然(理)から離れる方向に進みたがる。
社会通念や社会常識、個人内の固定概念で縛ってしまう。
自分の底(性)にある「自然(理)」を無視している。
無視、無理、無駄は「理性」の逆側にある。
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同調共鳴は調和への扉だ。
扉は「結び」でもある。
「ヨガ」は「結び」という意味である。
「自然(神・生命)との結び」の実践哲学だ。
ワシは本質を見失わぬ「ヨガ」に出会えた。
マハトマ・ガンディー・故沖先生・龍村師匠の本流に出会えた。
ワシは努力無しのラッキーで生きている。
ヨガの強調する一つに「理性開発」がある。
ジャニアーナ・ヨガという。
「理性」の意味を知らなかった頃。
ワシは「理性開発」を誤解していた。
重要視していなかった。
浅はかはワシの得意技だ。
だが、知ってしまうとヨガの深さに畏れる。
ヨガは「理性」を示してくれていた。
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「性」は「底にあるもの」という意味だ。
「底にあるもの」は同調共鳴している。
例えば「仏性」という言葉。
底にある仏の精神。
仏と同調共鳴している事という意味になる。
「神性」も同じだ。
「男性」は底は男。
「性交」は底の交わり。
あるいは、交わって同調共鳴するという意味だ。
「性」は「深い」という事を示しているんだ。
「理」はもちろん自然法則。
「理性」は自然法則との同調共鳴だ。
こんなに素直な言葉だった。
社会通念の「理性」は誤訳もはなはだしいぜ。
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自然は神。
自然は生命。
自然は法則(理)。
神は生命。
神は法則。
生命は法則。
自然体は法則に同調する事だ。
すると生命は活性する。
自然(法則)から外れると生命は弱化する。
当たり前だ。
だが、人間は当たり前(理)から外れやすい。
「理性」は自然法則との同調の事だったのだ。
頭で考える法則ではない。
人間の判断力でもない。
(深い意味の)素直な体に共鳴するものだ。
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苦しみの正体は「こだわり」だ。
生命力の弱化は感情に「こだわり」を持たせる。
心が感情にしがみついてしまう。
生命力の弱化は心の苦しみを引き出すのだ。
感情にしがみついた心。
感情を愉しめる心。
違いは「理性」の目覚めだ。
理性で感情を抑えるのではない。
理性は感情を愉しむ(活かす)のだ。
「理性」の目覚め。
それが自然体というヤツだ。
肩の力を抜くというのは、頭の力を抜くことだ。
自然体は(「氣」が)落ち着くのだ。
落ち着く先は、丹田。
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生命力の弱化時。
ポジティブな感情は途切れる。
嬉しい、愉しい、気持ちいい状態なのに疑う。
こ、こんなのが続くはずが無い・・・
自らポジティブを放棄する。
ネガティブな感情は増幅させる。
必要無いのに長く続ける。
そしてコントロールできない。
感情が勝手に自走する。
それは苦しみに変わる。
ネガティブの闇を彷徨う。
心は生命力で左右させられる。
感情は生命力の差で増減する。
生命力の活性時は好転している。
生命力の弱化時は暗転し、暴走する。
ネガティブな感情にこだわってしまう。
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「生命力」が活性している時。
「生命力」が弱化している時。
いろいろな違いがある。
その中の一つに感情があった。
感情は大きく分けて二つの側がある。
ポジティブとネガティブだ。
明るく愉しいか、暗く苦しいかの側だ。
その感情が「生命力」の活性と弱化に反応する。
しかも、大きく反応する。
生命力の活性時。
ポジティブな感情は純化する。
心の底から明るく愉しくなれるのだ。
嬉しい、愉しい、気持ちいい、が大きく広く深くなる。
ネガティブな感情も純化する。
必要な分の悲しさや淋しさや怒りはある。
だが、必要以上に苦しむ事はない。
感情に翻弄される事もない。
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ワシは何度も目が覚める。
ということは・・・
何度も、また眠ってしまうという事だ。
下手な考えや概念は目を塞いでしまう。
頭のいい人は(心の)目が見えぬ。
心の目が見えぬ人をアホという。
頭のいい人は・・・アホなのだ。
一流大学出身者は・・・アホなのだ。
高級官僚や政治家が証明してくれている。
ワシも普段からアホを自認している。
ワシは・・・頭がいいのかもしれない。
だが高級官僚や政治家ほど卑怯ではないぞ。
一緒にされるのはハッキリ拒否するぞ。
理性の目。
開く時は条件がある。
自然体の時だ。
自然に融けた時だ。
頭を使わない時だ。
目は
体と一体で観るものだ。
(過去のプログは本館 「氣の空間・氣功療法院」です。)