水上陽平の独善雑記

水上陽平流の表現でいろいろな事を書いています。本館は http://iiki.desu.jp/ 「氣の空間」

「透明なモノ・4」

2006-05-31 22:28:03 | Weblog


本来は透明なのに、色を付けたがる。
そうしないと見えないからだ。
見えなくてもいいのに・・・。
見えなくても、それぞれの働き(役目)はするのに・・・。
見えないと不安になるようだ。

古(いにしえ)の頃はそうではなかった。
見えないモノの方が多い事を知っていた。
現代は皆アホに成り下がった・・・。
見えないくらいでオタオタする臆病になった。
人類はあきらかに退化している。

透明の中に様々な色を見つける事が不得意になった。
感性の喪失というやつだ。
人類は歴史と共に感性を減少させている。
透明なモノを感じる事が苦手になっている。


(過去のプログは本館 「氣の空間・氣功療法院」です。)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「透明なモノ・3」

2006-05-30 21:19:09 | Weblog


透明なモノはアチコチにある。
空気。
水。
ワシの心・・・(オイ!)

風。
音。
温度。
ワシの魂・・・(オ、オイ!!)

そして光と闇も透明なんだ。
輝いている時は光になる。
暗くなれば闇になる。
だが、両方とも透明なままだ。
光と闇は同じモノかもしれないぜ。

(過去のプログは本館 「氣の空間・氣功療法院」です。)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「透明なモノ・2」

2006-05-30 08:52:42 | Weblog


透明は勘違いされる。
だが、良い方に勘違いされる。
運のいいヤツだ・・・。
運のいいヤツには近づこう。
幸運の仕組みは結構単純に出来ている。

透明は「純粋」だと思われている。
透明は「清純」だと思われている。
透明は「至上の境地」だと思われている。
そんな事ぁ無いのだが、否定する事もない。
良い方の勘違いは、そのままにしておくものだ。

こだわる根性が無かっただけなんだけどなぁ。
関わってくれる相手が無かっただけなんだけどなぁ。
アキラメるのが超速いだけなんだけどなぁ。
他の色に染まる協調性が無かっただけなんだけどなぁ。

ワシは透明族の亜流だと感じている。
当然、ワシへも勘違いが押し寄せる。
当然、ワシは謙遜も否定もしない。
勘違いは、そのままにしておくもんだ。
説明して理解できるほど、人類は進歩してない。

(過去のプログは本館 「氣の空間・氣功療法院」です。)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「透明なモノ・1」

2006-05-28 21:11:24 | Weblog


安易だよなぁ・・・。
「光るモノ」の次だから「透明なモノ」かぁ。
そうとも。
ワシは安易に生きるのだ。
モンクあっても聞かないぞ。

ワシは根性が無い。
例え重厚に生きたくても(それは無いなぁ)
安易にしか生きられない。
ワシに選択肢は無いのだ・・・。
選択肢が無くても、モンクも無い。
ワシはワシの性格と人生に満足している。

ワシは安易で軽薄で独善な輩だ。
そんなワシは「透明」や「透明っぽい」のに魅かれる。
多分・・・透明族は重厚じゃないからだろう・・・。
正誤や真偽にこだわらないからだろう。

そんなの、どっちでもいい。
正誤や真偽や白黒には関われない。
透明は、他との比較が出来ない。
ある意味・・・自分勝手なヤツだ。
透明族はワシと同じ匂いがするのだ。


(過去のプログは本館 「氣の空間・氣功療法院」です。)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「光るモノ・14」

2006-05-27 20:51:29 | Weblog

生命の輝き。
光るモノは生命あるモノ。
外側が光るのは誰でも見える。
内側の光は観るモノを選ぶ。

内側の輝きは感じる光だ。
感性で観るモノだ。
つまり・・・感性次第で誰でも観える。
いつでも光るモノは観る事が出来る。
輝きは同調するモノも輝かすのだ。

この世は生命に溢れている。
光るモノ達に溢れている。
アナタもワシも生きている。
一応「光るモノ」に属している。
光るモノになるか、ならぬかは自由選択だ。
光るモノを観るか、観ないかも自由だ。

何であっても、この世にいる。
光るモノの中にいる。
これは、
ラッキーなんだぜぃ。


(過去のプログは本館 「氣の空間・氣功療法院」です。)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「光るモノ・13」

2006-05-26 21:38:53 | Weblog

光るのは特殊な事でもないようだ。
言葉が光る。
心が光る。
「場」が光る。
頭が光る・・・(し、失礼・・・)

「生命」は活性すると輝くようだ。
全てに「生命」はある。
存在するモノ「全てが生命」でもある。
「生命即神」
「生命」も「神」も輝くモノ、光るモノである。

ならば、全てが輝く要素を持っている。
この世に存在する全てのモノ達が光るモノでもある。
今はくすんでいるアナタも・・・
輝いていた・・・昔・・・。
輝くだろう(かもしれない)未来・・・。

今も未来も輝く事は出来る。
光るのはいつでも可能だ。
「生命の輝き」は同調すると感じる事が出来る。
感性は同調能力のことだぜ。
感性を邪魔するモノは固定概念というヤツだ。


(過去のプログは本館 「氣の空間・氣功療法院」です。)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「光るモノ・12」

2006-05-25 19:40:48 | Weblog

金粉現象を見ると、決ったセリフが出る。
「集めて指輪作れない?」
イキナリ出現した事に驚け!とは言わないが、
もう少しマシなセリフを言ってくれぇ・・・。
それでは芸人として生き残れない・・・。

ワシは何の意味も解らない事に、ナレッコだ。
ワシの存在理由だって解らないのだから、オアイコだ。
だが、毎回出てきても、他に何の影響も無いのだ。
ナレッコは飽きる・・・。
お前ェ(金粉)何しに出てきたんだ?

飽きたら、あまり目にとまらなくなってきた。
向こう(金粉達)も無視されると出難いらしい。
喜んでもらいたかったら、もう少し芸を磨きなよ。
金粉達はキラキラしているが、イマイチ素人芸から抜け切れない。
たまには文字でも書いてみなよ。


(過去のプログは本館 「氣の空間・氣功療法院」です。)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「光るモノ・11」

2006-05-24 21:06:42 | Weblog

小さな光るモノもある。
金粉現象というやつだ。
金色もプラチナ色もある。
(銀色とプラチナ色では輝きが違うのだ)
綺麗だが・・・小っちぇ・・・。

これは誰でも見える。
老眼だと虫眼鏡が必要だが・・・。
最近はワシもメガネを外さないと見え難い。
近すぎると・・・やはり見え難い・・・。
(近視の老眼は微妙な位置でピントが合う)

見かけは若いといわれるが、衰えは確実にある。
歯・目・〇〇とかいうが、歯は全歯自前で揃っている。
目は若い時から衰えている。
歯科技工士時代に塩酸煙で網膜を傷つけてしまったのだ。
〇〇は・・・秘密だが・・・若くはないなぁ・・・。

金粉現象は誰でも見えるが、時間で消えてしまう。
「ハイ!時間でぇ~す。延長する場合は・・・」
これも何の為に出現するのか、わけわかんない。
特別に瑞兆というわけでもないようだ。
まぁ、綺麗だからいいかぁ・・・。


(過去のプログは本館 「氣の空間・氣功療法院」です。)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「光るモノ・10」

2006-05-23 22:26:52 | Weblog

太陽ほどではないが、やはり光に包まれる時がある。
ワシはいいかげんのナマケモノの根性無しだ。
だから、多分、何者かが守ってくれている。
正しく強いモノは守られなくてもいいのだ。
間違いだらけのスケベなオッサンは守られる・・・。
弱きナマケモノ、汝はラッキーだぜぃ。

光で包まれる時、恐怖心は無くなる。
ワシは「場」の厳しいところで仕事をする。
病院、病室、施設内。
強い霊障害者を相手にする事もある。
キツイとは思うが、怖いとは思わない。
自動的に光に包まれるらしい。
それは意識できる感覚だ。

光はワシだけを包むわけではないようだ。
相手も同じく包まれる。
その感覚を意識できる人もいる。
「何かに包まれているみたい」

相手は「ワシの氣」のせいだと思っている。
だが「ワシの氣」ではない。
説明がメンドウだから、誤解させておく。
誤解しようがしまいが、ラッキーには変わりないだろう。


(過去のプログは本館 「氣の空間・氣功療法院」です。)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「光るモノ・9」

2006-05-22 22:26:19 | Weblog

何かの条件で光に包まれる事がある。
ワシは故御師匠様の「氣」に初めて触れた時だった。
目の前に大きな太陽が現れたようだった。
目は瞑っていたのだが明るく熱かった。
光だか熱だか・・・。

「やっべぇ~、ヤケドするかも・・・」
本気でそう思った。
ヤケドはしなかったが、その後頭に穴が空いた。
空いたというより開いたのかもしれない。
直接太陽の光が脳ミソに届いてる感覚だった。
だから、いつも頭が熱かった。

今でも時々開く事がある。
太陽の光が直接届く。
頭は良くならないが、気持ちはいい。
今でも目の前に大きな太陽が近づく事もある。
ヤケドはしないが、明るくて気持ちはいい。
ワシはラテン系だ。


(過去のプログは本館 「氣の空間・氣功療法院」です。)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする