水上陽平流の表現でいろいろな事を書いています。本館は http://iiki.desu.jp/ 「氣の空間」
調べても脳や顔面などに異常は見られない。
それでも痛がるから、現代医療は神経痛という言葉を使う。
痛いのは神経・・・当たり前だ。
それは病名でなく、症状名。
ひらたく言えば、わかりません、という意味だ。
出来ることは、痛み止めと神経ブロック。
母は両方とも拒否した。
だから我慢する。
健康器具、健康食品の類もたくさん試した。
一時的に変化がある場合もあるが、それで回復まではいかない。
いろいろ勉強した。
謳い文句の一割程度変化が起こればいい方だった。
それでも諦めるわけにはいかない。
目の前で痛がっているのだ。
そして、試すモノは山のようにあった。
全ては試せるはずもない。
そのうち、パンフレット類の謳い文句などで判断できるようになった。
その会社の姿勢で試さなくても、おおよそ判るようになった。
病、病人に対して、商売の一つとしている会社が多い。
そういうところのは、はとんで建前だけで実力がない。
それでも、試して、いろいろな意味で勉強になった。
この時期、幸いにも母に多くのお金を使う事ができた。
バブル期のお陰だと思っている。
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この頃、母の状態がかなり悪い時があった。
三叉神経痛の重い状態だ。
風が吹いても痛い。
瞬きしても痛い。
当然、眠れない、話せない、食べれない。
声も出せないような痛みでうずくまる。
お湯や火で温めると、少しだけやわらぐ。
だが、日にちが経つにつれ、どんどん衰弱する。
病院に連れていった事もあるが、痛み止めしかもらえない。
痛み止めに限らず、母は薬と相性が悪かった。
胃を含め、かえって状態が悪化するのだ。
私達兄弟は、この状態になると密かに覚悟していた。
出来ることをするが、母が動けないのだ。
それでも、5日目くらいから少し流動食をとれる。
それまでも一日かけて、一食くらいは何とか食べていた。
すると、薄皮一枚ずつ生命力がついてくる。
僅かに眠れる、少し話せるようになる。
首の震えも、たまにになってくる。
そして、ようやく、私達兄弟は一息つけるのだ。
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今日の独善つぶやき・・・
今日は東京出張治療。
虎ノ門病院は初めてだった。
医師はわからないが、看護婦さん達は優秀だと感じた。
看護師を指導する人が優秀なのだろう。
病院内は基本的には場が悪いというか、氣功しにくい。
その中でも、虎ノ門病院は、いい方だと感じた。
「母のこと・157」
案の定、バブルがはじけて以後の日本は変わった。
不景気と嘆く経済中心の考え方が未だに続いている。
社会と商売そのものの在り方が変わった事を無視している。
日本という社会の元気は、職人系が土台だったのに・・・
今は、土台は商人系の経済だと思い込んでいるのだ。
こりゃ、たぶん、ダメだな・・・
ま、それは兎も角として・・・
商売の才能も無い私の店でさえ何とかなっている。
頑張っても赤字だったのに・・・
お金をいただくだけになったら黒字・・・
私は商売の才能が無い。
お金の流れや利用の方法も無知。
何もしなくても、何とかなる。
勝手にそう思い込んでいた。
まぁ、日本中のほとんどがそう思い込んでいた。
立派な(皮肉です)経済学者も政治家も官僚も。
私もアホだが、アホ類として変わらない。
今、私はアホだと自覚しているが、自覚していない立派な人達が多い。
だから、これからの日本、こりゃ、たぶん、ダメかも・・・
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シーズンに入って驚いた。
一日に手にする金額が大きい。
喫茶店時代、忙しい一日でも2万が難しい。
それが、休日なら午前中だけで10万近くにもなる。
いかにも悪徳不動産のオヤジが朝来る。
いかにも水商売のオネ~チャンを連れて来る。
世は不動産の天下のバブル期だ。
オネ~チャン達も遠慮なく、店で一番高い土産をねだる。
しかも20個30個で買ってくれるのだ。
元々私は水商売系の人には好意を持っている。
社会的にマトモといわれる人達より、ずっといい。
私はゲンキンなのだ。
オネ~チャン達の、その軽薄さの奥の優しさを感じる。
ありがたい・・・
土産店に変えて、思った。
世の中、歪んでいるなぁ・・・
私は職人系だ。
いいモノを丹精込めて作って、お金に変えた。
喫茶店も同じだ。
微妙な味を出すには、真剣に気を使った。
姉も懸命に美味しいケーキを作った。
なのに・・・赤字だった。
土産店は、ありきたりの土産を問屋から買うか預かる。
そして、客に渡すだけだ。
いや、ただ置いているだけだ。
客が勝手に手に持って、レジまで運んでお金を払う。
商売というのは、変な仕組みだ。
作らない、誰でも出来る、そして儲かる。
ふざけた、歪んだ、変な仕組みと思った。
こんな商売が威張る社会は、いずれ崩壊するぞ。
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バブル期の始まりといわれるのが、約1986年末から。
喫茶店を閉め、土産店に改装したのが1988年。
何しろ開店以来黒字が無い店だったのだ。
私が複数のアルバイトをしても、何もならない。
それでも常連さんを思うと、簡単には閉店できなかった。
一緒にというか、ほとんど店を仕切っていた姉。
元々、我が家は職人系の血が濃い。
何でも作る姉が、陶芸という道を見つけた。
土から造形、絵付け、アイデア、色、その他の総合作品だ。
極めつけは、焼き上がらないと完成品にならない。
その焼き上がりは計算できない割合が高いのだ。
だから、面白いし果てが無い。
姉も自分の道を見つけて、独立しだした。
私も長年の付き合いの現本妻と結婚をする事になった。
それを期に、喫茶店を閉め、一見相手の土産店にした。
アルバイト掛け持ちなので、自由に店を閉めてもいいようにだ。
この地はスキー場が多い。
シーズンは冬。
その他はアルバイトをすればいいや、と・・・
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ある意味、社会を甘くみていた。
借金しても、幾つか掛け持ちで働けば返せる。
仕事はいくらもあるのだ。
要求以上に仕事が出来れば、次から優遇される。
人脈が出来れば、仕事は選べる立場になる。
時代が好景気だとは思っていなかった。
好景気が普通なのだと思っていた。
仕事が少なくなるなんて、思ってもみなかった。
いつまでも続く景気なら、早く返済にまわさなくてもいい。
適当に息抜きしながら、生活できる。
それが借金との腐れ縁を結ぶ指輪だとは気づかなかった。
たら、れば、は悔やみしか生まない。
もっと懸命に働けたのになぁ・・・
それは、喫茶店を閉めて土産店に変えてから一層だった。
なにしろ、世の中はバブル期というのにかかっていた。
夜のホテルのショー会場には、コンパニオンが山のようにいた。
何も出来ないネ~チャンでも、いい日当を稼げた時代だったのだ。
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20代時の歯科医院勤めは給料をいただいた。
だが雇い主の医師は一切を任せてくれた。
だから仕事とはいえ、私の思うように出来た。
当然責任も負うから、夜中までしたが充実していた。
やらされてする仕事でなく、主体的な仕事だった。
仕事に熱中できたから、技術も上がるし面白さもあった。
まぁ、仕事以外も熱中していたけど・・・
学生時に幾つもアルバイトはした。
何も知らない学生だから、命令通りに動くしかない。
一所懸命はするが、熱中も面白さもなかった。
ところが今回のアルバイトはもっと深刻だ。
とにかく稼ぐ為にしているのだ。
それも、空いている時間にするのだから要領よく。
ある意味、純で、順で、準な私だったのに・・・
アルバイトの仕事は、やり方で時間と収入が変わる事を知った。
仕事内容を愛してないのだ。
もちろん仕事が出来ないのは論外だ。
それよりも、人間関係と自己主張で変わる事を覚えた。
純な職人気質だったのに、仕事の裏を知ってしまった・・・
上手く立ち回る事を覚えてしまった。
それには他の人よりも、仕事が出来るようにしておく。
その上で、自分の要求を伝えるのだ。
ほんの少しのコツだ。
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夜だけでは、赤字分だけ。
そこで、昼も幾つかアルバイトを掛け持ちした。
店がヒマな時は、たっぷりあるのだ・・・
臨時で、何でも屋のような仕事をした。
スキーで膝を壊したが、急斜面でなければ自由に滑れる。
冬の臨時インストラクターのアルバイトもした。
略して、インスタントラクター・・・
あるいは、インチキラクター・・・
小学校、中学校のスキー教室の生徒を教えるのだ。
何しろ初めてスキー靴、スキーをする子供たちだ。
一人一人にスキーを装着するところからだ。
だいたい10数名を受け持つ。
そして、歩く練習、転ぶ練習。
ゆるい斜面を登る練習、ボーゲンで降りる練習、止まる練習。
それらを繰り返して、午前中が終わる。
午後は、ゆるいゲレンデに出る。
初めてのリフト、そして、下まで降りられるように。
教えるようになって、気づくことも多い。
雪を怖がらない生徒は、上達が早い。
子供たちは、上手くリードすれば全員が一日で滑れる。
大人と違い子供達は覚えが早く、初めてでも楽しい一日となる。
実質4時間で、昼食、交通費付きで、かなりいいアルバイトだった。
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雇われたなら、どんな仕事もする。
嫌な事込みで給料は成り立っていると知っている。
だが自営は違う。
嫌な事にも幅があり、ワガママだから自営なのだ。
というわけで、3ヶ月もしないで酒は扱わない店になった。
当然、赤字で、経費さえままならない。
その上に、大きな返済があるのだ。
当時、まだ日本は景気上昇の最中。
その先には、バブルという絶頂まであるのだ。
わが町は観光地。
宿泊施設は好景気だった。
人手が足りない。
アルバイト、パートは常時必要だった。
私は夜のホテルのアルバイトをすることにした。
ここは嫌な事込みで仕事をする場だ。
お金の為に働く場だ。
大きなホテルのショー会場が仕事場となった。
特殊な仕事の為、時間は短い。
建前は6時から12時まで。
実質は9時少し前に入って、10時半頃帰る。
それで、一応建前通りに6時間分をいただく。
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やがて家も出来上がった。
姉の手作りケーキと本格的珈琲の店。
当時の山の中には珍しく洒落た店となった。
私も姉も張り切っていた。
そして・・・
開店一ヶ月目から赤字。
仕方が無いので、夜はお酒も出した。
確かに珈琲よりお酒の方が金額は多くなった。
だが、私が耐えられなくなった。
自分では酔っ払うし、酔っ払いの相手は嫌ではない。
ただし、商売抜きの仲間や知り合いならばだ。
私は水商売の才能が無かった。
商売の才能も無かった。
店を持って、営業して気づいた。
これは・・・アカン
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