水上陽平流の表現でいろいろな事を書いています。本館は http://iiki.desu.jp/ 「氣の空間」
桜は面白いヤツだ。
日本の象徴として使われる。
だが、あの咲き方はラテン系だ。
節操も恥じらいも無く開く。
いきなり満開になる。
ラテン系だから「解放の氣」も放つ。
満開の木の下、人は踊り狂う。
閉じる事無く、開く一方だ。
だから、後に引けない、引かない。
脱ぎっぷりがいいというか・・・
日本人の本質も桜のようなのかもしれない。
本来は、ラテン系なのだと思う。
火を囲んで踊り明かした縄文の日々。
日本人はラテン系だった。
江戸文化の明るさ。
大和魂はラテン系だった。
(過去のプログは本館 「氣の空間・氣功療法院」です。)
ワシの住む群馬県北部山岳地区は寒い。
豪雪地帯でもある。
したがって桜も遅い。
遅いが町の面積も広いから順番に咲いていく。
桜前線というのがある。
我が町を通り過ぎて北に向かう。
新潟、福島、宮城、秋田、を過ぎる。
青森の北と同じくらいだ。
今日、ワシの実家の桜が散り始めている。
ワシの実家は豪邸だ。
い、いや、間違えた・・・
住む家は、ウサギ小屋より小さいネズミ小屋だ。
豪邸ではないが、豪庭だ。
庭内には竹林がある。
イチイの大木がある。
柿の老木がある。
紅葉がある。
そして、桜がある。
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おわりに(5)
題字を抜かして二百六十六文字の経。
偶然にも、書き始めて二百六十六日目だ。
今日で経の迷説を終りにする。
迷訳でも般若心経は最後まで訳しきれない。
チャレンジしてみればいい。
それが、何とか訳しきった。
突っ込み所は多々あるだろう。
だが、訳しきった事には変わりない。
多分、何かが応援してくれた。
イイカゲンの神様かもしれない。
読んでくれた人達かもしれない。
先祖の徳かもしれない。
少なくても、ワシの徳や実力ではあるまい。
ならば、
ありがとうの言葉しかない。
ありがとうごさいました。
合掌
水上陽平
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おわりに(4)
般若心経は広く深い。
ならば訳も正統派で無くても含まれる。
だが、般若心経を訳すほとんどの人はマトモだ。
不マジメで落ちこぼれのワシは少数派だ。
その落ちこぼれさえ救うのが心経だ。
ならば、ヒネクレた訳もアリだと思う。
ヒネクレ者は正統派では救えない。
ワシは意識してヒネクレた訳をしてみた。
ところが・・・ど真ん中だったかもしれない。
今、書き終わって読み返してみると、そう思える。
もちろん、自画自賛、我田引水だ。
なんだっていい。
もし、この訳で素直に響く人やケモノや妖怪がいたら、
それは、ワシの幸せになる。
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おわりに(3)
書いてくれるのは手だ。
勝手に動いてくれる。
だが、手はワシの一部でもある。
方向は意識で動かす事ができる。
内容はワシにはわからない。
だが方向は、ある程度決められる。
ワシは思った。
今まで無かった訳にしたい。
(どんな内容かはわからないが・・・)
という事は・・・正統派ではない訳だ。
正統派の訳本など本屋に山とある。
正統派と争っても無駄だ。
向こうの方が遥かにマトモだ。
ワシとは知識が違いすぎる。
というか
ワシの知識など無いに等しい。
間違っている事も多々多々多々あるだろう。
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おわりに(2)
書くのは自動だ。
考えなくても言葉が出る。
(す、少しは考える・・・・)
手が勝手にキーボードを打ってくれる。
それでも表現部分はワシが意識している。
できるだけ、個性溢れる表現にしたい・・・。
だが、内容はワシの意識から外れる。
だから、出来上がって読んで、自分でも感心する。
毎日書く時間は5分くらいだろう。
当然、日によってテンションが違う。
その為、文体も違う。
そんなことは、どうでもいいと思っている。
(一まとめする時があれば、少しは統一しよう)
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おわりに(1)
以前より書いてみたかったテーマだった。
だが、下書きがあるわけではない。
最期までの訳があるわけではない。
書き始めれば、何とか続いて書ける。
そんな気がする・・・
その書き始めの覚悟が無かった。
マトモな知識も智恵も無いのだ。
覚悟などと格好つけても意味がない。
それも解っていたが、手付かずだった。
ある時、急に思い立った。
260日前の事だった。
一歩踏み出してしまえば、後悔しても仕方が無い。
毎日少しづつ書き綴った。
インターネットブログに載せた。
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第二十一章(16)
合掌
般若心経
(何が無くても、大丈夫。
般若心経は、誰でも、どんなモノでも大丈夫。
呪が唱えられなくても、大丈夫。
何も解らなくても大丈夫。
生きる心があれば大丈夫。
幸せになりたければ大丈夫。
愉しく生きたければ大丈夫。
皆で楽しくなりたければ大丈夫。
身体も心も何とかなる。
壁があっても何とかなる。
苦しくても何とかなる。
未来も何とかなる。
般若心経に関われば、何とかなるぜ)
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第二十一章(15)
合掌
羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦 菩提僧婆訶
(ガティー ガティー パーラガティー
パーラサンガティー ボォディ スヴァーハ
唱えれば、心が消えて、行く、行く。
唱えれば、魂鎮まり、来る、来る。
何かを超えて、何処かに行く。
何かを超えて、何処からか来る。
唱えれば、全てを超えて行く事が出来る。
唱えれば、全てを超えて、やって来る。
サトリは、その時叶うだろう。
全ては、その時に成就する。
般若の心経は、この呪に集約される。
何も心配はいらない。
何も苦労はいらない。
修行も精進も関係無しに
誰でも成就を成す事ができる)
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第二十一章(14)
合掌
真実不虚 故説般若波羅蜜多呪 即説呪曰
(この世の出来事は全部真実だと認めてくれよ。
嘘もデタラメも真実だぜ。
だから、お前ぇ等も真実の人間だ。
真実のケモノだし、真実の妖怪だぜ。
真実から外れた嘘なんて無ぇ。
大丈夫だ、この世にいるモノは皆同じだ。
全てを認めると、苦しみは取り除かれるように出来ている。
この呪を唱えると、全てを認められるようになる。
つまり、苦しみが無くなるってことだ。
それが、この般若の呪だ。
自分だけじゃ無ぇぞ。
誰かが唱えりゃいい。
心の中で唱えてもいい。
行いで示してもいい。
全てを認めるってことをよ。
今までアレコレ話してきたけど、忘れてもいいぜ。
空とか無とかの説明なんか、知りたいヤツだけでいい。
覚えるのは呪の部分だけだ。
短けぇから覚えられるはずだ。
実際に役に立つ経は少ねぇんだ。
ほとんどが理屈だからよ。
理屈は屁みたいなもんだ。
マトモに受ければ臭ぇ・・・。
だけど、この般若心経は役に立つぜ。
最後の呪の部分だけだけどな。
これからそれを教えるよ。
期待してもいいぜ)
(過去のプログは本館 「氣の空間・氣功療法院」です。)