水上陽平の独善雑記

水上陽平流の表現でいろいろな事を書いています。本館は http://iiki.desu.jp/ 「氣の空間」

「迷想中・迷走中・637」

2022-09-30 21:00:07 | Weblog



ある気功師・242

自分の生活で精一杯。
自分の目標、スキルアップで精一杯。
自分が認めてもらう事だけで精一杯。
自分の家族の事だけで精一杯。

自分が所属する組織の事だけで精一杯。
自分が住む自治体の事までで精一杯。
自分の国の事までで精一杯。
人間の事だけで精一杯。

そういった自分に関係している事。
それは自分の人生のほとんどを占めている。
だが、自分の事以外で行動する人達がいる。
社会から離れたところで行動する人達がいる。
その行動では生活の糧にはならない。
それでも最優先で行動する人達がいる。


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「迷想中・迷走中・636」

2022-09-29 21:03:46 | Weblog



ある気功師・241

微細な波動は世界・地球全体に影響する。
読経という形で影響する。
経のすごさは内容だけではないのだ。
その言葉から万物に共鳴する。
それなりの経で、それなりの人達ならば。

自分の為ではない。
自分の宗教組織の為ではない。
自分の国(チベット)の為でもない。
他の動物を含む世界の為に毎日読経するのだ。

地球の片隅で、誰からも支援されず。
交換条件などなく。
アピールも評価も関係なく。
静かな意識のまま、平和を祈る人達がいる。
それで、我々は、今、こうしていられる・・・


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「迷想中・迷走中・635」

2022-09-28 21:18:18 | Weblog



ある気功師・240

やたらと人の人生に干渉しない。
影響力が強い人ほど、人社会と距離を置く。
長年疑問だった超人たちの隠遁生活。
人の人生は、どんな内容でもとても貴重。
僅か100年くらいしか生きられないのだ。

一人一人がとても貴重な人生だ。
何故、一人一人が違うか、の答えがここにある。
他人の評価を気にする時間は、全くの無駄になる。
実力が付くほど、人は人から離れる。
そして、己の世界を充実、研鑽する。

世界から無関心になるという意味ではない。
チベット亡命政府のあるダラムサラだった。
早朝のナムギャル寺での朝行に参加した事があった。
そこでの読経は、世界にむけてのものだった。
世界平和への祈りだった。



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「迷想中・迷走中・634」

2022-09-27 21:04:26 | Weblog



ある気功師・239

私が龍村師匠の導きで出会った先生方。
その中には、とんでもない人達がいた。
それは、教えられたのではなく、感じた。
あぁ、人に教える、伝えるのは、ほんの僅か。
おそらく、その人の能力の10パーセント以下。

それは、そのまま、伝えていいのは、と、同じ。
それは、そのまま、使っていいのは、と、同じ。
力の全てを出さないのではない。
力の全てを出してはいけないのだ。
そういう事が、後になって理解できた。

当時はまだまだ浅かった。
貴重かもしれないが、講座は一つの学びだと思っていた。
それから10年、更に10年。
そして、やっと、その講座の深さが生きてくる。



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「迷想中・迷走中・633」

2022-09-26 21:15:06 | Weblog



ある気功師・238

超過去を観る者。
未来を知る者。
空を飛ぶ者。
時空を飛ぶ者。

極限られた人にしか姿を現さない。
マスメディアや商売にしている者は絶対いない。
つまり、TⅤなどに出演する者は・・・
娯楽だと割り切って見て下さいね。

仙人ほどではないが、かなりの超人もいる。
かなりの智恵者もいる。
一般社会に馴染んでいる。
ただし、その実力は10パーセント以下しか出さない。
様々な分野の始祖などがそうだ。
伝えられない、教えられないのだ。
教えられるのは、10パーセント以下だ。
それでも、超特別な能力に思える。
この世界は、とんでもない人達がいる。


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「迷想中・迷走中・632」

2022-09-25 20:59:30 | Weblog



ある気功師・237

この妙な世界に触れるようになって、いろいろ知った。
どうやら通常の世間と別な世界がある。
固定概念外のモノと触れ合うと見えない世界を知る。
真偽や正誤とは別な世界だ。

漫画や映画の世界のような現実がある。
ただその現実は通常知る事はない。
そういう現実を見た、行った人から直接聞く。
すると、漫画や映画は逆輸入だと判る。

実際にある世界をフィクションとして描く。
そういう世界が沢山、沢山有る事を知った。
超智恵者、例えれば仙人のような人達がいる。
想像するよりも、結構多いのだ。
世界各地にいる。
ただ、マスメディアには決して姿を現さない。


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「迷想中・迷走中・631」

2022-09-24 22:41:46 | Weblog



ある気功師・236

全力でやります、やりました。
スポーツの世界ならいいだろう。
あるいは、個だけの世界もいい。
創作や、生き延びる手段など。
全力だろうが脱力だろうが自由だ。
他に影響しない。

力が他に影響する場合。
それも大きく影響する場合。
制御、力を使わない事が意義になる。
例えば、クジラの一生。
例えば、原子力。

超偉大な智者がしばしば山奥で暮らす。
長い間、何故だか理解できなかった。
その智恵で多くの人に貢献すればいいのに。
あるいは、そうすべきだ。
そう、単純に思っていた。


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「迷想中・迷走中・630」

2022-09-23 21:16:46 | Weblog



ある気功師・235

使う氣は私のモノではない。
私は単なる中継装置。
それでも、それだから、効果はある。
難しい病の回復に大きな影響がある。

病の依頼者は私ではない。
私の人生でもない。
病もその後の人生の方向もその人のものだ。
その人が決めて、その人が歩く。

私はヤケでもなく、無責任でもない。
むしろ、責任の範囲や大きさを認識したからだ。
病の回復に対する影響が大きいからこそだ。
力の全てを使えばいいわけではない。
大きな力を意識したからこそ、制御する。
それが、責任というものだ。


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「迷想中・迷走中・629」

2022-09-22 21:09:20 | Weblog



ある気功師・234

治療師が治療を一部しか使わない。
治せても、治さない。
これでは閉店するのも当たり前だ・・・
現代社会常識とは外れている。

患者の要望にも反対する事がある。
何でもいいから楽にして・・・
それなら病院で痛み止め貰えばいい。
一時しのぎなら、他の治療師に行って。

しばらく、そういう態度だった。
今は、更に別の方針になった。
何でもいいから楽にして。
はい、やりましょ。
一時しのぎ。
了解です。
何しろ、その人の人生だ。


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「迷想中・迷走中・628」

2022-09-21 20:57:50 | Weblog



ある気功師・233

治療師として、私は様々な先生に学んだ。
そのほとんどが龍村師匠の紹介や講座だった。
そのほとんどがその分野のトップだった。
あるいは始祖、名人だった。

学んでいる最中は理解できないままだった。
それでも、その後の治療道を進むと、理解できるようになる。
すると、通常の治療師とは考え方が違ってくる。
道として進むと、経営は難しい。

なにしろ、治さない治療などを目指すのだ。
勝手に消える治療を目指すのだ。
治療しきれなくてもいい、と考えるのだ。
病のままでもいい、と思ってしまうのだ。
生命というものに対すると、そうなる。
人生というものを尊重すると、そうなる。


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