水上陽平の独善雑記

水上陽平流の表現でいろいろな事を書いています。本館は http://iiki.desu.jp/ 「氣の空間」

「生老病死・23」

2012-08-19 18:42:16 | Weblog


今日の独善つぶやき・・・

15日から昨日まで長野県の野辺山にいた。
標高も高く、日中でも22・3度だった。
もちろん出張治療だが、避暑にもなり快適だった。
夏は涼しいところから、冬は暖かいところから依頼があればいいな。

「生老病死・23」

人が解説する死の意味は、生きてきた意味と重なる。
何らかの人間社会に影響を与えた人は堂々と意味を語る。
それは、結構みっともないミエにも似ている。
自分なりに、ある程度満足した生き方をした人も同じだ。
生きてきた意味があった、と死を語る。
それも、自分勝手な解釈だと思う。

生まれて、社会に参加せずに亡くなる場合がある。
ならば、その人の死は生きてきた意味がないのか?
幼児が死ぬ。
小学生で亡くなる。
中学生も亡くなる。
高校生も亡くなる。
まだ、自分の道もみつけてない。
ならば、生きてきた意味はないのか?

時々、その死が他の人々の生きる事に影響する。
すると、その死が意味があったという言い方をする。
無謀交通事故で亡くなってから法律が改正された場合などだ。
ならば、改正されなければ意味はないのか?
価値が無ければ意味にならないのか?


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「生老病死・22」

2012-08-18 10:52:43 | Weblog


この世での生と死。
そこに時間は無い。
出現という現象が生。
全てに意味があるなら、生に意味がある。
おそらく意味はあるだろう。

だが、その内容は勝手な推測でしかない。
前世を知る方法から、この世に生まれた意味を解く人もいる。
催眠で生まれる前まで遡るなど。
しかし、事実の証明にはならない。
まして生まれた意味まで確定させるのは無謀だろう。

死についても同じだ。
死に意味を持たせたい気持ちはワシでもある。
それまで生きてきた事実があるのだ。
意味はある。
あるが、解釈が正しいかは判らない。
人間では無理だと思う。
人間の考えを超えて、この世の仕組みはあるのだから。



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「生老病死・21」

2012-08-17 17:20:35 | Weblog


死に至るまでは、この世の出来事。
個人的であっても体験できる。
想像も推察もできる。
死が(この世の)生命の最終形だと言い切れるだろう。

だが、死の状態、その後に関しては誰もわからない。
いろいろな人、組織が死後の世界についてアレコレいう。
だが、誰も確かめられない。
仮に死後の世界に行って戻ってきた人がいたとしても同じだ。
他の人が確かめられない。

死後の世界から生の世界につながっているだろうという推測は自由だ。
ワシも勝手にそう思っている。
そう思う方が説明しやすい。
それでも本当はわからない。
それに、大切なのは本当を知る事でなく、生命に優しく生きる事だろう。



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「生老病死・20」

2012-08-16 16:58:13 | Weblog


病が観えると、死との関係に気づく。
死を単独でとらえてい時は解らなかった。
生命はつながっているのに・・・
大きく広く観れば、肉体を離れてもつながっているのかもしれない。
だが、かもしれない、と段落をつけておこうね。
確定して話を続けてしまうと、今生を軽く扱ってしまう。

今生は特別な世界だと思う。
物質(肉体)が優先している。
そこに大きな意味があるようだ。
時という、常に変化変質を併用する世界だ。

肉体にとっては、最終形になる。
この世の生命の最終形にあたる。
それは「時」からの解放なのかもしれない。
しれないが、この世にいる間は想像でしかならない。
大切なのは、この世では肉体と時ということになる。
誰であっても、この世では貴重な存在となるようだ。
結構くだらないワシでも・・・



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「生老病死・19」

2012-08-15 10:38:37 | Weblog



生命だけを見つめる。
すると生き方が判る。
正誤ではない、と判る。
違う道になる、と判る。
生き方は、本人が決める事だと判る。
当たり前なんだ、と判る。

病が誤りじゃない。
健康が正しいわけじゃない。
苦しい病が悪じゃない。
もちろん善でも正でもない。
違い、だけ。

おおよそ、100年くらいの今生だ。
正誤にこだわるより、自分の判断を優先させよう。
ただし、違いは認識した方がいい。
生命(肉体)の大切さは、今生では絶対優先と決まっている。
時が一方に常に流れる約束とは、生命最優先という意味だから。
肉体を離れてからの生命は、その後から始まる。
それも当たり前なんだ。
だから精神最優先の宗教組織は、間違いか嘘か詐欺か未熟かのいずれかだ。



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「生老病死・18」

2012-08-14 20:03:42 | Weblog



更に一歩進む。
必然なら、不都合や不調和まで必然に入る。
病の苦の面さえ必要であり必然かもしれない。
人が生きていくのに必然な病。
老と同じく、必ず起こるモノ。

気をつけても精進努力しても病になる。
なるが、デタラメでいいわけがない。
何も気にしなくていいわけじゃない。
生命を大切にしなければ、苦の病になる。
苦が大きく深く厳しくなる。
不必要な病になる。

生命最優先。
それで起こる病は、必要な病だけになる。
苦が好きなら生命(この世では肉体)に負担をかければいい。
苦が嫌なら、生命を大切にすればいい。
それで病の質が変わる。
すると、老の質や速度が変わる。



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「生老病死・17」

2012-08-13 19:02:27 | Weblog



そもそも諸行無常の世界だ。
時が存在する世界だからだ。
時とは、変化(移動)することだ。
時が、常に存在する世界だ。
病という状態を決めるのにも意味がないかもしれない。

老と病は同じ根からの別面。
そう気づくと、生死の間にあるのが解る。
生から死までの変化。
老は肉体のメイン変化。
結構規則正しくプログラムされている。
一定の時間で成長し、衰退する。

その老に付随して精神がある。
そして、刺激として病(怪我を含む)がある。
個を超えた刺激として、事故や天災がある。
事故には個から発するものと、集団から発するもの(戦争等)がある。

老と病は「生きる事」の一面。
病を不都合であり、不調和であり、不要とするだけだと観えなくなる。
最初から老にもれなく付いてくるオマケだと思えば観える。
最初から必要必然だと思えば、不都合だけでもなくなる。



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「生老病死・16」

2012-08-12 18:39:03 | Weblog



天寿、天命。
心身が健康。
不慮の事故、災害等にも無縁。
最後は蝋燭が燃え尽きるように、そっと終わる。
そんな老の最後の瞬間。
そういう固定概念があった。

その前に、病気と事故は全く別のモノだと思っていた。
病は内側からの不調。
ある程度の時間が必要。
事故は外側から不慮に起こる。
時間は一瞬。
だから病はほとんど防げる。
事故は、不注意によるものなら防げるが多くは無理。

次第にその違いがアイマイになってきた。
一つは病の現れ方だ。
肉体は多少の不調和を修正しバランスをとっている。
それが崩れると、更に大きな修正をする。
それさえ崩れ、変性などを経て病になる。
ならば、病はどの時点からだったのだろう。



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「生老病死・15」

2012-08-11 19:10:05 | Weblog



ある時、何かで読んだ言葉でひらめいた。
人はキッカケが無ければ死ねない。
そんな風に考えたことがなかった。
これが正しいかどうかは問題ではない。
ひらめいたのは、病だ。

病には幾つもの役目があるのだろう。
それは病によって生き方を見直す人が多くいた。
病によって人と人の係わりが深まる人もいた。
病によって、幸せを感じる人さえいた。
だが、死の為にわざわざ用意されているとは思わなかった。

自然のままの生き方。
それが出来たら、自然死しかない。
自然死とは、何の不都合もなく自然に火が消える。
単純に、そんな固定概念の想像しかなかった。
老衰死とは、そういうものだと思っていた。
だが、この仕事に係わり、生命の凄さも知った。
だから、自然死に説明できない違和感があった。



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「生老病死・14」

2012-08-10 19:20:40 | Weblog



西洋医学的な病名による病の区分けにモンクを言うつもりはない。
病名による区分けで、多くの病が回復している。
病に対する理解と対策も出来る。
病名は苦の病からの脱却に大きく貢献している。
それは間違いないだろう。

だが。
病名によって区分けされた病が同じではない。
同じように対策すると効果率が高い。
高いが・・・同じではない。
弊害は、同じだと思い込んでしまうことだ。

例えれば、一つの囲いの中の牛。
囲いの名前が病名だ。
中の牛は似ているタイプを集めたが、個々にいる。
病は個々なのだ。
タイプが似ていても、存在の目的が違う。

人生、イロイロ。
人が多種多様(個々)だから。
同じ日本人でも、同じ県民でも、同い年でも違う。
病は、イロイロ。
同じ病名でも、同じ進行状況でも、結果も目的も違う。
人が、多種多様(個々)だからだ。


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