水上陽平の独善雑記

水上陽平流の表現でいろいろな事を書いています。本館は http://iiki.desu.jp/ 「氣の空間」

「迷想中・迷走中・1397」

2024-10-31 23:24:26 | Weblog


ある気功師・1008


「混合」


私は仕組みの存在を理解しようとした。
グレちゃん(グレートサムシング・創造主)を想うようになった。
想えば通路ができる。
力を抜けば、流れるモノがある。


容量の違いから、微妙分しか理解できない。
私はアホだがら、当たり前分しか理解できない。
いいや、当たり前も僅かしか理解できない。
いいや、それも・・・アヤシイ・・・。


大前提がある。
大前提しかないのかもしれない。


生物、非生物、物質、非物質、思考、時間も含めて、
この世にある全ての個々のモノには本質体がある。
本質体(核)は自由を与えられている。
「自由」は「存在」
「存在」は「自由」という質で成り立つ。
それだけだった。




(本館は、HP「気の空間・気功療法院」検索
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「迷想中・迷走中・1396」

2024-10-30 22:58:08 | Weblog

ある気功師・1007


「混合」


解決を求める時、多くは原因を探す。
科学的思考法が固定概念となっている。
それは一つの方法だが、それだけじゃない。
「仕組み」を観る方法もある。
なにも探さず、観ない方法もある。
それでも解決は出来るのだ。


根性が無いので、いつまでも続かないが、
私は「何故?」と疑問する癖がある。
原因に何故?ではない。
「仕組み」の存在に疑問する。


何故、殺し合い(戦争)が続いているのか?
何故、心身の苦しみが続いているのか?
何故、そういう事が出来る仕組みがあるのか?
何故、自動停止、自動修正装置がないのか?
自然界には調和に向かう大きな力があるはず。




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「迷想中・迷走中・1395」

2024-10-30 22:54:57 | Weblog




ある気功師・1006


「混合」


山を上るだけが尊いのじゃない。
魂は頂だけを目指すわけでもない。
平坦でも奥が深い。
草原も砂漠も岩山も密林も面白い。
山だけでなく、川も海も地下も洞窟もある。


解ってしまうと世界は広いと知る。
何故、世界はこれほど広いのだろう。
何故、これほど深いのだろう。
何故、これほど面白いのだろう。


共通するのは動かないと出会えない。
心が望まないと出会えない。
閉じこもりは最大の難病なんだ。
でも大丈夫。
心や体が動かなくても、魂が叫ぶ。


プロフェッショナル・ヒーラーの役目がここにある。




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「迷想中・迷走中・1394」

2024-10-28 20:52:23 | Weblog




ある気功師・1005


「混合」


諸行無常・万物変化。
自分も変わり、相手も変わる。
今の相手(人や生き方)とズレる事もあるだろう。
成長か退化かは判断できない。


「別れ・離れ」と「出会い」はセットになっている。
次の相手は「混合」の中に用意されている。
浅く軽くてもいい。
多くの「出会い」を体験する為にこの世にいる。


深く静かに潜るのもいい。
底は「混合」の世界とつながっている。
深い「出会い」を体験できる。
生き方は多種多様でいいのだ。




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「迷想中・迷走中・1393」

2024-10-27 20:51:03 | Weblog


ある気功師・1004


「混合」


今は全て必要だと知っている。
それがどんなに欠点があっても必要だと知っている。
未熟な段階であっても必要だと知っている。
「正しい」「間違い」じゃない。
存在するモノは、全て必要なだけだ。


必要とする相手がいるから「存在」がある。
解ってしまえば、単純で当たり前の事だった。
相手が「人」でも「治療法」でも「生き方」でも、
望むモノは必ず存在するように創られている。


その相手に出会うか、否かは別な要素が必要だが、
「混合」の中に「望む光」は必ずあるものなんだ。
必要なモノは(自分も含まれる)全て存在している。
多種多様な「光」がある星に我々は住んでいる。




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「迷想中・迷走中・1392」

2024-10-26 20:45:02 | Weblog


ある気功師・1003


「混合」


この世には多くの「いのち」が混合している。
多くの「生き方」が混合している。
多くの「考え方」が混合している。
多くの「心」が混合している。


私は多くの治療法(修正・回復法を含む)を知り、
何故、多く有る必要があるのか?と思った。
究極の治療法が一つあればいいのでは?と思った。
多くの病み人と(素晴らしい)多くの治療師を観させていただいた。
ならば病状により幾つか凄い治療法があればいいのでは?と思った。


次第に多くのクライアント、病み人、先生方と接して学んだ。
そして人の生き方、考え方、心の多様性を尊重することを覚えた。
そしてやっと、多くの治療法が存在する意味と必要性に気づいた。
私はプロフェッショナル・ヒーラーの世界に入っていた。




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「迷想中・迷走中・1391」

2024-10-25 20:50:07 | Weblog

ある気功師・1002


「混合」


オーケストラによる交響曲は協和、調和している。
それぞれの一つ一つのパーツが他と調和する。
全体として一つにまとまる。
だが、地球交響曲は違う。


調和だけではないのだ。
協和だけではないのだ。
不調和、不協和音を含めている。
その他を含めて、地球、自然、宇宙、いのち、なのだ。


最初から一つの「いのち」として融合してなかった。
今でも多種多様の「いのち」のままだ。
とても優しいグレちゃん(創造主)は、
「地球を一つのいのち」にしなかったのだ。
「地球を多くのいのち」の集まりにしたのだ。
そこに「混合」の理由がある。




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「迷想中・迷走中・1390」

2024-10-24 20:48:13 | Weblog

ある気功師・1001


「混合」


龍村師匠は今の日本には稀な本物のヨガ行者であり、
あらゆる方面の指導者を育成指導するプロの導師だと思う。
だが、プロフェッショナル・ヒーラーではない。
私は(弟子だがヘナチョコすぎて)ヨガ行者にはなれない。
だが、プロフェッショナル・ヒーラーになってしまった。
(このへんの説明はいずれ・・・)


その龍村師匠の実兄に映画の龍村仁監督がいた。
「地球交響曲・ガイアシンフォニー」の監督だ。
ギャラクシー賞受賞の1992年に第1番を完成。
その後継続して撮り続け2021年には第9番が完成。


多種多様なモノ達が集まり、交響曲として地球を奏でる。
地球という星は多種多様なモノ達の「いのち」の歌だ。
一つ一つの「いのち」の声。
そして、それぞれが共生して出す声は「一つ」として聞こえる。
生物も鉱物も見えないモノも時間も空間も仲間だ。
そんな事を観せ、感じさせてくれる映画だ。




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「迷想中・迷走中・1389」

2024-10-23 20:31:44 | Weblog




ある気功師・1000


「混合」


私の場合、氣功師と治療師がヨガで融合解放し、
治療師からプロヒーラーの世界に入ってしまった。
30年間の精神世界を彷徨した経験も融合された。
多くの重病難病の方々から直接学ぶ事が融合された。


治療とヒーリングの違いと重複部分。
プロとアマの違いと重複部分。
氣功とヨガの違いと重複部分。
もう、アマチャアには戻れない自分になっていた。


ダライ・ラマ法王(ヒーラー最高峰)にもお会いできた。
私がどんなに不マジメで根性無しでも、
プロフェッショナル・ヒーラー側になってしまったのだ。
治療師は努力でなれるが、ヒーラーは努力ではなれない。
(能力は誰にでも使えるし伸ばす事もできるが、別の要素が必要)




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「迷想中・迷走中・1388」

2024-10-22 21:04:09 | Weblog

ある気功師・999


「混合」


氣功師の体に変えてくれた故御師匠様がいた。
私にはもう一人師匠がいる。
求道ヨガを中心にして「総合健康」を示した龍村師匠がいる。
体と心だけじゃない、ホリスティックな健康講座だ。
東京の龍村道場に通った3年間は、濃縮した時間だった。


当時40歳を過ぎ、妻子がいて新たな道に入ったから、
何事も10倍の濃さを意識して学んだ。
私のような性格でも3年は何とかなるものだ。
あの3年間(だけ)は30年間分だと、今でも自信がある。


師匠が紹介する多くの先生方は各治療分野の名人達だった。
「間接で数年学ぶより、5分直接会うだけでいい」
龍村師匠の師匠様の故沖先生の言葉らしい。
「氣」というものからなら、この言葉の真実が理解できる。
ホンモノの雰囲気と内容を教授していただいた3年間。
「治療」の深遠な部分を直接見せていただいた。
様々な治療法のそれぞれに素晴らしさが輝いていた。




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