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茂田井宿

2020年11月04日 | 
左端に馬頭観世音  中山道なかせんどうの茂田井宿(もだいじゅく)は、幕府から認められた宿場ではなかったので間の宿あいのやどと呼ばれ旅籠などは存在しなかった。


無量寺

稲刈り後の天日干し                     コスモス


芦田宿の本陣


   
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6 コメント

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茂田井宿 (らいちゃん)
2020-11-05 11:50:33
茂田井宿は白壁の家並みが続いており、往時を偲ばせていますね。
倉敷の美観地区の白壁土蔵を彷彿させます。
気分が落ち着きますね。
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懐かしい茂田井宿の風景 (ウォーク更家)
2020-11-05 19:19:03
茂田井宿の写真を見ているうちに懐かしい思い出が蘇ってきました。

稲刈り後の天日干しも、同じ風景でした。

そうそう、茂田井は間の宿でしたが、他の宿場町に劣らない立派な門構えでした。

私が行ったときと変わらず、雰囲気があってホントに良いところですよね。
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Unknown (りょうかん)
2020-11-05 19:39:41
木曽路は山ん中という中山道に行ったことはないですが、前のお二人のコメントを読んで、行っておくべきだったと思わされられます。
 
いまからでも、行けますがコロナが怖いです。
 
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(らいちゃん) へ (iina)
2020-11-06 08:36:18
> 「仏のうそを方便と云い、武士のうそを武略と云う」
嘘は、イカンだろうと遺憾に思ってました。
とくに、神仏にたずさわる者が嘘をつくなんてありえないとさえ思ってました。

しかし、教えを説くために嘘をついて誘導するのは「嘘も方便」として許されるという経典があるようです。

> 茂田井宿は白壁の家並みが続いており、往時を偲ばせていますね。
いくつかの宿場町を訪ねていますが、街道を歩くマニアでもないためか、茂田井宿はほとんど名残りは少なかった印象でした。



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(ウォーク更家) さん へ (iina)
2020-11-06 08:49:42
閻魔大王の奥さんである奪衣婆が、山門にあるとは不釣り合いですから、何かいわれがありそうです。
義経や弁慶たちは、あちこちに伝説をのこしてのすねぇ~。
https://blog.goo.ne.jp/mrsaraie/e/0c43b2c5911106389dcbd6918e42138a

GO TO トラベルの旅ブログも、ようやく中山道の茂田井宿のにたどり着きました。

更家さんも、iinaと同じ10月に茂田井宿を訪ねたのですね。^^

そうでした、道祖神も見かけました。当たり前すぎたと思ったか、撮り忘れました。(^_^;)
      やはり、街道愛好者さんは素人とは違う視点をおもちです。

長野の3日間は、お昼に蕎麦ばかり食べてましたが、「みそかつ丼」もおすすめだったのですね。



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(りょうかん) さん へ (iina)
2020-11-06 08:56:09
中山道は木曽を通るので「木曽路」とも呼ばれ、参勤交代や大名や皇族のお輿入れにも盛んに利用されたのだそうですね。

街道に69ヶ所の宿場が置かれ、そのうち11宿が木曽にあるのでした。



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