
九段下駅で下車し、長いエスカレータを登りきると、一面が桜。目の前の田安門は、日本武道館への入口で北の丸公園の北部に位置し、東方に牛ヶ淵、西方には千鳥ヶ淵を望見できる。
慶長12年(1607)には既に存在しており、現在の門は寛永13年(1636)に再建され、現存する門の中では最も古いという。
第一の門(高麗門)

奥に第ニの門(渡櫓門)、いずれも国の重要文化財

御三卿の一つの田安徳川家がこの御門内にあった。享保十六年(1731)八代将軍吉宗の子田安宗武(むねたけ)が田安家を起こし、田安門内に屋敷を与えられた。田安門は古くは代官町門といった。
田安門の辺りは、古くは「田安口」または「飯田口」ともいい,上州方面への道が通じていたという。太田道灌時代、江戸城の合戦といわれているのはこの辺りだったらしい。門内は田安台といって、はじめ百姓地で田安大明神があった。江戸城経営後は北丸と証し、代官屋敷や大奥に仕えた女の隠遁所となった。千姫,春日局や英勝院の屋敷などもここにあった。
東方の牛ヶ淵


西方の千鳥ケ淵 →

北の丸公園内の紅しだれ桜は、見事。

当ブログに公開済↓の千鳥ケ淵の桜
小さい写真を触ると、上枠に表示。
ことしは、桜三昧の日々でした。毎年、隅田川を周遊するのをことしは千鳥ケ淵まで遠征したため、気分転換できました。今日アップの田安門も、二度目の半蔵門駅下車で九段下駅まで北の丸公園内を横切ったもの。
初めのイメージでは、隅田川の桜に軍配を上げたものの、北の丸公園周辺も広域で変化に富み好いかなという気分です。


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4/07(月) 1719pv 149ip -位(993769 BLOG中)
慶長12年(1607)には既に存在しており、現在の門は寛永13年(1636)に再建され、現存する門の中では最も古いという。
第一の門(高麗門)

奥に第ニの門(渡櫓門)、いずれも国の重要文化財

御三卿の一つの田安徳川家がこの御門内にあった。享保十六年(1731)八代将軍吉宗の子田安宗武(むねたけ)が田安家を起こし、田安門内に屋敷を与えられた。田安門は古くは代官町門といった。
田安門の辺りは、古くは「田安口」または「飯田口」ともいい,上州方面への道が通じていたという。太田道灌時代、江戸城の合戦といわれているのはこの辺りだったらしい。門内は田安台といって、はじめ百姓地で田安大明神があった。江戸城経営後は北丸と証し、代官屋敷や大奥に仕えた女の隠遁所となった。千姫,春日局や英勝院の屋敷などもここにあった。
東方の牛ヶ淵


西方の千鳥ケ淵 →

北の丸公園内の紅しだれ桜は、見事。

当ブログに公開済↓の千鳥ケ淵の桜
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1.半蔵門< | ![]() < | ![]() < | ![]() < | ![]() < | ![]() |
ことしは、桜三昧の日々でした。毎年、隅田川を周遊するのをことしは千鳥ケ淵まで遠征したため、気分転換できました。今日アップの田安門も、二度目の半蔵門駅下車で九段下駅まで北の丸公園内を横切ったもの。
初めのイメージでは、隅田川の桜に軍配を上げたものの、北の丸公園周辺も広域で変化に富み好いかなという気分です。

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趣向を凝らして
田安門を額縁にしたのが、新鮮です。
斜めに写ったのが印象的ですよ。
こんど参考にさせていただきます。
(ブログライブ)さん へ
千鳥ヶ淵の夜桜ライトアップは、なかなか好いですね。
隅田公園のライトアップもよかったですが、こんど千鳥ヶ淵の夜に寄ってみよう。
(Playball Party)さん へ
美智子皇后に、お会いできたなんてラッキーですね。
しかも、笑顔で手をふっておられるなんて、まるで
観音さまのようです。
しだれ桜はため息がでそうな美しさです。
shoランチは、おいしそう。
さいきん、ラーメンは食べるものの、中華はご無沙汰です。
それにひきかえ、桜をことしは良く見回ってきました。
でも、北の丸公園内の紅しだれ桜も見事ですねえ!
それに、田安門の桜も捨てがたいです。
駒込駅に行き、帰りを日本橋まで歩いて帰ろうとしたのですが、あまりに寒くて途中の根津駅から地下鉄に乗ってしまいました。
しかし、江戸は下町の印象でしたから、道中に馬場があるなど高台を歩いて地形を肌でかんじました。
千鳥ヶ淵の桜は、絶景でした。またをもって行かなくちゃ。
http://blog.goo.ne.jp/iinna/e/46e9d9546ad23471401b1715ec82cec1