五箇山で『こきりこまつり』が今日と明日繰り広げられる。「おわら風の盆」と並ぶ富山を代表する踊りだ。(於、富山県南砺市上梨)
直垂括袴で山鳥の羽をつけた綾藺笠を被った狩衣姿に、びんざさらでリズムをとりながら踊る。iinaは狩衣姿の踊り手が踊りの輪を彷徨うように踊りをリードしている様が、ピエロのような狂言回しに思え、暗闇の白山宮でひとり舞うと幽玄の世界を演出するように思えた。
コキリコで使うササラは、108枚の板を重ねて編み108つの煩悩が救われるといい、打ち鳴らしてリズムをとる。
このササラを使う祭は他にないと思っていたら、意外にも浅草の三社祭の田楽舞(ささら舞)で使われていて驚いた。浅草神社のササラは金色で、さすがに都びて雅ている。
なお、ササラを人寄せにかわら版、飴売り等の物売りが演じたのが『南京玉すだれ』のはじまりという。(ナンキンタマスダレさんブログから)
* 「三社祭」でもササラを確認を !
「こきりこ」は、越中五箇山・上梨の山里を中心に伝承された古代民謡である。踊りは後醍醐天皇の霊祭りとして、白山宮に奉納される。楽器は、鍬金、筑子竹、ささら、鼓、横笛、太鼓など往時のままを今に伝え、豊穣を祈り祝う純朴な踊りだ。
最近は、城端の方が賑やかだがご本家は五箇山。城端も越中の小京都といわれ古い町並みにむぎや舞とこきりこ舞は似合う。
「こきりこまつり」スケジュール
●25日●・・・こきりこ輪おどり、舞台競演会、こきりこ総おどり
●26日●・・・こきりこ輪おどり、こきりこ唄素人のど自慢コンクール、子供こきりこ、奉納獅子舞、奉納筑子踊り、舞台競演会、こきりこ総おどり
女性たちが踊る「といちんさ」はリズミカルで可愛らしいのでお見逃しなく。
*こきりこ*


コキリコで使うササラは、108枚の板を重ねて編み108つの煩悩が救われるといい、打ち鳴らしてリズムをとる。

なお、ササラを人寄せにかわら版、飴売り等の物売りが演じたのが『南京玉すだれ』のはじまりという。(ナンキンタマスダレさんブログから)
* 「三社祭」でもササラを確認を !
「こきりこ」は、越中五箇山・上梨の山里を中心に伝承された古代民謡である。踊りは後醍醐天皇の霊祭りとして、白山宮に奉納される。楽器は、鍬金、筑子竹、ささら、鼓、横笛、太鼓など往時のままを今に伝え、豊穣を祈り祝う純朴な踊りだ。
最近は、城端の方が賑やかだがご本家は五箇山。城端も越中の小京都といわれ古い町並みにむぎや舞とこきりこ舞は似合う。
「こきりこまつり」スケジュール
●25日●・・・こきりこ輪おどり、舞台競演会、こきりこ総おどり
●26日●・・・こきりこ輪おどり、こきりこ唄素人のど自慢コンクール、子供こきりこ、奉納獅子舞、奉納筑子踊り、舞台競演会、こきりこ総おどり
女性たちが踊る「といちんさ」はリズミカルで可愛らしいのでお見逃しなく。
*こきりこ*


だから、全ての学校で「こきりこ節」が学習されているかどうかは、ちょっと分かりません。
「越天楽今様」は小学校で学習するように定められていますが……。
富山県西部の 砺波地方の「散村」城端町の「麦や節」そしてさらに山へ向かって五箇山の「こきりこ節」そのつながりすべてが源氏から逃れた平家の落ち武者なんですね、麦や、も こきりこも その踊り手のいでたちは武士そのものなんです、散村も源氏の攻めを分散するため。 落ち武者は息を殺して身を守っていたのでしょうか、それがひとつの「排他的な富山県人」越中魂をつくりあげたのかもしれませんね。 こきりこも立山信仰も大化の改新~養老年間あたりの始まりといわれていますが、こきりこのそれを育てたのは、400年後の平家落ち武者と思うのですが、、いや、決まっていることではなくてようするに歴史は動いて変化していった、、、NHKの義経を見ながらそんなことを考えて故郷越中を想っておりました。 こきりこを記事にしていただいて感謝感謝です。
「こきりこ」についてなのですが、私もあまりよく知らないので適切なお答えができるかどうか(汗)
「こきりこ」という歌詞が出てくるのは、能の「放下僧」です。
特に小歌の部分に出てきます。
「忘れたりとよこきりこは放下に揉まるる、こきりこの二つの竹の。」
ちょうど最初の「こきりこ~」のところで足拍子を踏みます。
(観世流の仕舞の場合です)
私が知っているのはこれだけです。
すみませんお役にたてず(泣)
TBありがとうございます。
白川郷までは 行けたのですが、時間の都合で五箇山へは行けませんでした。今度は こきりこを聞きに行きたいですね。
五箇山は富山県だったのですね。勉強不足でした。
なんと古い歴史のあるところなのでしょう。大化の改新とか…
また、「こきりこ唄の館」横の広場で「どじょうすくい」野外公演を二回させていただきました(笑)。