本丸御殿
2012年11月20日 | 旅
本丸御殿を天守閣から見下ろした。↑
熊本城の本丸御殿は、2つの石垣を跨ぐように建てられたため、左のような地下通路になった。御殿への正式な入口であり「闇り通路」と呼ばれる。
このような地下通路を持つ御殿建築は、全国にもあまり例がない。
「鶴之間」(60畳)から奥に向かって「梅之間」「櫻之間」「桐之間」「若松之間」と続く。それぞれの部屋境は襖で仕切られ、左脇には縁側が配されている。
大広間↓
昭君之間の天井↓。縁側は「広縁」「落ち縁」「濡れ縁」の3段で構成され幅約6m↓。
昭君之間
昭君之間は、本丸御殿の中でも一番格式の高い部屋で、藩主の居間であり、対面所(接客の場)としても使用されたと考えられている。
室内は床の間や違い棚、付書院などを持つ書院造り。
壁や襖などには中国の前漢の時代の話で、匈奴(現在のモンゴル)に嫁がされた悲劇の美女、王昭君の物語が描かれている。
「本丸御膳」で往時の食文化を体験。
つづく
熊本城の本丸御殿は、2つの石垣を跨ぐように建てられたため、左のような地下通路になった。御殿への正式な入口であり「闇り通路」と呼ばれる。
このような地下通路を持つ御殿建築は、全国にもあまり例がない。
「鶴之間」(60畳)から奥に向かって「梅之間」「櫻之間」「桐之間」「若松之間」と続く。それぞれの部屋境は襖で仕切られ、左脇には縁側が配されている。
大広間↓
昭君之間の天井↓。縁側は「広縁」「落ち縁」「濡れ縁」の3段で構成され幅約6m↓。
昭君之間
昭君之間は、本丸御殿の中でも一番格式の高い部屋で、藩主の居間であり、対面所(接客の場)としても使用されたと考えられている。
室内は床の間や違い棚、付書院などを持つ書院造り。
壁や襖などには中国の前漢の時代の話で、匈奴(現在のモンゴル)に嫁がされた悲劇の美女、王昭君の物語が描かれている。
「本丸御膳」で往時の食文化を体験。
つづく
この大広間に、家来たちが勢ぞろいしたら圧巻でしょうね。
毎日、贅沢な食事ばかりだと飽きてしまいそうです。実際の食生活はどんなものだったのでしょうか。
(「のべR山会」のK)さん へ
雨で足元の悪い中を、ずいぶん歩きまわりましたね。その昂揚感が伝わります。
清水の舞台をはじめとする清水寺の美しさは、世界遺産に登録されるほどですから、天気に左右されません。
電気の無い時代に、身分の高い侍や貴族は、壁を金色にして明かりにした気がします。
京都の三大祭は混雑に嫌気がして行く気が失せる気持ちを理解しますが、葵祭・祇園祭・時代祭は行進する
道程が長いので、空いている場所を探せば人出は気にならぬほどなのですよ。もちろん、宿をとるのが難しい
かもわかりませんが、大阪とか奈良に泊まっても一時間ほどで京都に着きます。目的地を外して宿泊する妙手
があるのです。
Kさんの見学した「銀閣寺」を待ちます。
すごく豪華絢爛ですね
でもローソクや行燈の明かりだけでは夜は暗かったでしょうね
電気の無い生活~今の私たちからは想像できません。
歴史と風情の京の道についての~いろいろ情報ありがとうございました。
平安建都1200年祭
全国の祇園祭関係の山車や曳山が勢ぞいは、さすがに観てて圧巻だったでしょうね
京都の3大祭り、一度でも観たいですが・・・余り多くの観光客に足踏み(躊躇)してしまいます。
「笑撃」は、WEB上から~ですか
私はてっきり自分で編集、加工されたものと思ってました。
凄い忍耐と集中の作業をされるものだあ~と、拝見しるだけでも少し肩が凝ってましたが(単なる加齢によるものか?)
これからは素直に楽しませていただきます。それにしてもすごい数ですね
大広間に、家来を大勢かしずかせ殿様気分です。
本丸御膳を食べて贅沢して、たまに『下々の「めざし」を食べたい』とわがままいってみたいものです。