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政宗の墓と日向洞窟

2018年06月24日 | 
九代伊達政宗の墓(儀山)   山形県の置賜地方の高畠に眠る。
伊達家中興の祖といわれ、左隣は妻(紀氏)の墓で足利義満の生母の妹。
「独眼竜」の異名のある仙台藩・初代藩主は、伊達十七代に当たる。

高畑城跡 (現、高畠)
伊達氏の出自は常陸国伊佐郡あるいは下野国中村荘と伝えられる。魚名流藤原山蔭の子孫になる。
鎌倉時代、源頼朝の奥州合戦に従軍し、石那坂の戦いで戦功を挙げた常陸入道念西が、頼朝より伊達郡を与えられ、伊達初代の朝宗(トモムネ)を名乗った。
八代伊達宗遠のとき、1380年頃から高畑城を攻め立て長井氏を滅ぼして、置賜を伊達の拠点とした。以降、奥州仕置まで200年余りに渡って置賜を伊達の支配下に置いた。此処、高畑を本拠地とし、その後に米沢に移った。



きょう24日に、宮城県松島町の国宝・瑞巌寺にて仙台藩祖の法要が行われる。
東日本大震災に伴う修理を終えての落慶法要で、武者行列が22日練り歩いた。
















日向洞窟
(ヒナタドウクツ) 国指定史跡

縄文草創期の土器など多くの出土品が発掘された住居跡。


  大立洞窟

安久津古墳群








 十割蕎麦は注文して調理するらしく20~30分待たされたが、おいしかった。2人前注文したら2皿でた。


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12 コメント

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お早うございます (延岡の山歩人K)
2018-06-24 06:49:28
洞窟
中に入っているとき 地震があったら
生き埋めになりそうで・・・
怖いです

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(延岡の山歩人K) さん へ (iina)
2018-06-24 09:03:35
アジサイと雫のバランスが絶妙でしたょ。配色が美しいです。
雨の多い梅雨を愉しめる撮影ですね。


> 洞窟   中に入っているとき 地震があったら生き埋めになりそうで・・・怖いです
洞窟の崩壊が怖く、リンクした大立洞窟のように柱で支えようとして鳥居を考えつき神さまを思いついたのでしょうか・・・。(ウソ)
https://blog.goo.ne.jp/iinna/e/35234e32af269901af54326e39a2eb3b

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十割蕎麦 (晴れおとこ)
2018-06-24 14:49:49
二人前、行きましたかー
私など、大盛さえ、よー頼みまへん・・・
基本、【もりそば一枚】、空腹で物足りないかもと感じる時だけ天婦羅を追加します。
私のような二枚目はスタイルを維持するのに気ィ使こうてまねん。ははは
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伊達政宗 (六五六)
2018-06-24 17:27:49
仙台の主と思った伊達政宗は、米沢にいたんでしたか。
 
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(晴れおとこ) さん へ (iina)
2018-06-25 09:25:23
山形市では、板蕎麦の2人前を食べたので、ここでは十割蕎麦も2人前を注文しました。

      板蕎麦も十割蕎麦も、なかなか口にできないので無理しても食べたくなるものです。

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(六五六) さん へ (iina)
2018-06-25 09:34:41
伊達政宗は、米沢城で生まれています。

母親が男子の誕生を願い、米沢郊外・高畠の亀岡文殊堂を訪ねたところ、夢枕に白髪の老僧が現れ「姫の胎内に宿を借りたい」
といわれて懐妊し、男子を産む。この子が、政宗です。

米沢城に移る前は、此処 高畑城が伊達家の本拠地でした。

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正宗 (コスモタイガー)
2018-06-25 10:38:26
伊達正宗が2人いたという話は、NHKか何かの番組で伊達家の家系図か何かを見て、「へぇ」と思った記憶があります。
1人は、かの有名な独眼竜で、大河ドラマにもなりましたが、もう一人の方もなかなかの名君だったのですね。
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(コスモタイガー) さん へ (iina)
2018-06-25 11:48:02
芭蕉の句に「 旅に病んで 夢は枯野を かけ廻る 」というのがありました。
「 単身に 夢は枯野を かけ廻る 」と置き直すと (コスモタイガー)さんの心境になりそうです。

iinaブログは、「奥の細道」をたどっているわけではありませんが、一部を巡っています。
米沢城に伊達家も上杉家も統治しています。歩いて確認するのも好いですね。
米沢郊外の高畠まで進むと、日本三文殊に数えられる亀岡文殊があり、伊達家が本拠地とした高畑城と伊達家中興の祖・九代伊達政宗の墓を巡れます。
https://blog.goo.ne.jp/iinna/e/19c03467af75d6f2d5b48d5be9b70332

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独眼竜政宗 (ウォーク更家)
2018-06-26 15:28:58
そうでしたか、独眼竜の伊達政宗は、仙台の前は米沢でしたか。

米沢から、どんどん勢力を拡大していったんですね。

私の奥の細道のバス旅行も、このあと伊達家の菩提寺の松島・瑞巌寺へ行く予定です。
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(ウォーク更家) さん へ (iina)
2018-06-27 10:03:54
多賀城跡を芭蕉が感激したように更家さんもそんなたたずまいです。「壺の石碑」を見たいきさつブログに現れています。^^
更家さんの方が、奥の細道を丹念に歩いてますから、感激の数は多そうです。

多賀城と胆沢城との関係を調べてみました。
多賀城にあった鎮守府(陸奥の軍政の拠点)を、坂上田村麻呂が胆沢城に移したのですね。φ(..)メモメモ
https://blog.goo.ne.jp/iinna/e/cc53840154195f1c52eb3961ed4a2a1d


> 独眼竜の伊達政宗は、仙台の前は米沢でしたか。米沢から、どんどん勢力を拡大していったんですね。
福島県(陸奥国・岩代国)の伊達郡から高畑城(米沢郊外)に本拠地を移し、更に米沢城に移します。

その米沢城で伊達政宗が生まれます。
母親が男子の誕生を願い、高畑の亀岡文殊堂を訪ねたところ、夢枕に白髪の老僧が現れ「姫の胎内に宿を借りたい」
といわれて懐妊し、男子を産む。この子が、政宗です。
https://blog.goo.ne.jp/iinna/e/055aa82699c80a9cc87222be8d6f6303

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Unknown (はまかぜ)
2018-07-02 22:17:37
こんばんは。
東北観光も良いですね
伊達政宗と聞くとロマンを感じます。
食べ物も美味しそうなので名物の食べ歩きをしてみたいです
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(はまかぜ) さん へ (iina)
2018-07-03 09:26:51
靖国神社の「みたままつり」に、ご縁があるのですね。

著名人の揮毫(きごう)と懸雪洞(かけぼんぼり)は、つづいているのですね。

iinaは、一度だけまいりました。^^ そのときは、こんな風でした。
https://blog.goo.ne.jp/iinna/e/9600890ea47c06ccd8382bf45471ee82



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