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忠臣蔵 仇討ち

2019年12月14日 | 歴史
師走は忠臣蔵で、吉良邸への討ち入りは、きょう12月14日。
     *1    *2

江戸時代、仇討ち処置を定める式目が「徳川成憲百箇条」にある。
これは、「長曾我部元親式目」慶長2(1597)年の仇討条項を参考にしたもので、次のように定めた。

「敵討の事。親の敵を子、兄の敵を弟打ち申すべし。弟の敵を兄が打つは逆なり。叔甥の敵打事は無用となすべき事」
分かりやすく書くと「殺された者の子葉が敵討を願い出たなら、登記して希望とおりにさせよ。ただし又敵はいけない」
ここで肝要なのは、兄が弟の敵を討ったり、叔伯父の敵を甥が討つ「又敵」は駄目ということ。
逆縁の敵討が許されるのは、最適格な肉親がいないときに限られた。

となると、赤穂の殿様・浅野長矩ながのりの恨みを晴らしたいのであれば、長矩に子がないから、弟の浅野大学が仇討をしなければならない。
基になった中国「礼紀」にも「長曾我部式目」にも「百箇条」にも、君臣の義の敵討ちを認めていない。大石内蔵助たち家来が代わって敵討ちなんてルール違反もいいところである。

松の廊下の刃傷も赤穂浪士の吉良邸討ち入りも、ともに私闘であると論じ、人情論を断固として排した荻生徂徠の言い分はまことに正当であった。

「ぶらり日本史散策」半藤一利

      

コメント (13)    この記事についてブログを書く
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13 コメント

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お早うございます (延岡の山歩人K)
2019-12-14 07:07:16
 忠臣蔵
吉良の殿様が一方的に悪者になって
語り継がれてますが
実際には すごく立派な方だったそうですね
 松の廊下の刃傷も
実は・・
いろいろな説が有りますね
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(延岡の山歩人K) さん へ (iina)
2019-12-14 08:40:39
駐車違反区域でしたら、船といえども駐車違反です。
           でも、寒村らしいですから、そんな無体な区域に指定されてないと思います。

それはさておき、江戸城内での刃傷沙汰は、ハイ、ご法度です。
                      「その身は切腹、お家断絶」ですょ。辛抱、辛抱。
                      https://blog.goo.ne.jp/iinna/e/d423729f151f4a9959464b683c1b3c49

     Kさんの当該ブログ記事のアドレスをコメント上のURLに置きました。

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Unknown (よたろう)
2019-12-14 20:25:35
12月14日は、討ち入りの日でした。

赤穂の忠臣に着目しがちですが、討たれた側からみると無体な反感です。
吉良側の家臣は、歯噛みして悔しがったことでしょう。

でも、「忠臣蔵」は面白いです。はい、勝手なものです。
 
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(よたろう) さん へ (iina)
2019-12-15 09:54:33
「忠臣蔵」は、代々豪華俳優が勢揃いして映画公開されたりテレビ放映されますから、我われも楽しく観ます。

よくよく考えれば、浅野内匠頭が辛抱できなかったことが、最大の因果です。
https://blog.goo.ne.jp/iinna/e/d423729f151f4a9959464b683c1b3c49



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錦之助ざんまい さん へ (もののはじめのiina)
2019-12-15 10:00:03
東映の「赤穂浪士」は、中村錦之助が脇坂淡路守を演じたのでしたか。
このころは若くて端正な顔立ちですから、浅野内匠頭でも似合いそうです。

この映画を映画館で見ましたょ。 「総天然色」の表示がなつかしいです。

*    錦之助ざんまいさんの当該ブログ記事のアドレスをコメント上のURLに置きました。

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習慣HIROSE さん へ (iina)
2019-12-15 10:04:54
「決算!忠臣蔵」は、「討ち入りにはお金がかかる」ために、お金をケチって 撮影したのですかね("^ω^)・・・
お金を払ってみた方の悲喜劇こもごもというところでしょうか

大チャンバラの立ち回りをいれて出血大サービスして欲しかったですね。・・・当たりはずれはあるものです・・・

*    習慣HIROSEさんの当該ブログ記事のアドレスをコメント上(iina)に置きました。

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栗太郎 さん へ (iina)
2019-12-15 10:11:13
「上野介の忠臣蔵」は、吉良家から見た忠臣蔵のようですね。^^
吉良側の剣の使い手である清水一学の名を久しぶりに見ました。

愛知県の西尾市華蔵寺を訪ねましたが、もちろん今も名君として慕われていました。

悪者にされた吉良邸は、本所松坂町に規模が小さくなって残っています。

*    栗太郎さんの当該ブログ記事のアドレスをコメント上のURLに置きました。

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(マカ) さん へ (iina)
2019-12-15 10:17:52
「忠臣蔵の恋~四十八人目の忠臣~」は、テレビに放映されたのを見ました。
                 それを24回に分けてブログに投稿とはお好きですね。^^

忠臣蔵は、映画-講談-浪曲などに採り上げられてきましたから、さいきんは切り口を変えて扱う作品を散見します。

当方は、すこしちがった角度から記事にしてみました。 (^_^;)

*     (マカ)さんの当該ブログ記事のアドレスをコメント上(iina)に置いています。

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okudaidou さん へ (iina)
2019-12-15 10:25:45
テレビ時代劇『大忠臣蔵』は、三船敏郎の大石内蔵助も、豪快でおもしろそうですね。内蔵助の妻りくが、司葉子ですもの。

浅野内匠頭が尾上菊之助で、堀部安兵衛を渡哲也でしたか。
             敵役の吉良上野介が市川中車。そして、清水一学に天地茂。
やはり、配役が豪華です。^^

睦五朗は、デビッド・ジャンセンではなく大須賀治部右衛門を演じたのですね。(^_^;) 
https://blog.goo.ne.jp/iinna/e/7eb4d848ff4ff182984ee2bb3af254f1

*    okudaidouさんの当該ブログ記事のアドレスをコメント上のURLに置きました。

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忠と孝 (ウォーク更家)
2019-12-22 17:46:57
そうですかか、ルール上は、弟の浅野大学が仇討をしなければならないのでしたか。

主君の敵討ちがダメというのルールは知りませんでした。

弟の浅野大学の仇討を、大石内蔵助たち家来が助太刀をするというかたちにすればOKだったのでしょうかね。

孝の殺傷はよいけど、忠の殺傷はダメというのも、イマイチ、ピンときませんが・・・
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