雫にたまゆら(玉響)の紫陽花
prsented by ka-ma-kun 「玉響」は、勾玉同士が触れ合ってたてる微かな音のこと . . . 本文を読む
1651(慶安4)年造営(国指定重要文化財)銅灯籠。 全48基(国指定重文)
五重塔 お化け灯籠
東叡山寛永寺の鐘 「花の雲鐘は上野か浅草か」芭蕉
上野大仏のお顔と上野の鐘
西郷どん
彰義隊の墓
日本橋のにぎわい [三越の地下街にて]→
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東叡山(とうえいざん)寛永寺
江戸城の鬼門(東北)にあたる上野の台地に寛永寺を建立した。
山号は東の比叡山という意味で東叡山とした。
←德川家綱の霊廟勅使門
開山堂:天海僧正と慈惠大師をお祀りするところから〝両大師〟ともいう。
根本中堂:上野戦争で焼失のため川越喜多院の本地堂を移築
黒田記念館 →
日本美術の近代化に尽くした洋画家黒田清輝(くろだせいき)。
その遺言をもとに建てられた。
小 . . . 本文を読む
特別展「100年前の東京と自然-プラントハンター ウィルソンの写真から-」を見てきた。
この博物館は、次の常設展示もしているということで観覧させていただく。写真展は65歳以上が無料で、常設展は一般も無料。
[地球の多様な生き物たち]・・・クジラ、象などから生きた化石のシーラカンスからパンダなどの剥製と多彩。
[地球史ナビゲーター]・・・人類の進化の歩みを、類人猿からホモサピエンスの頭蓋骨を展 . . . 本文を読む
浅草・今戸神社を北に進むと妙亀塚(みょうきづか)がある。「梅若伝説」にちなんでつくられた。
この地は、かつて浅茅ケ原と呼ばれた原野で近くを奥羽街道が通じていた。
平安時代、吉田少将惟房の子梅若が信夫藤太という人買いにさらわれ、奥州に連れて行かれる途中、重い病にかかりこの地に捨てられ世を去った。
わが子を探し求めてこの地まで来た母親は隅田川岸で里人から梅若の死を知らされ、髪をおろして妙亀尼と称し庵 . . . 本文を読む
新撰組・沖田総司は、ここ今戸神社で幕府御典医・松本良順に看取られた。[2005年6月4日大祭式の最中]
沖田総司終焉之地の石碑は、今戸焼発祥之碑と狛犬の間に立っている。
この神社は、「招き猫」が名高い。
江戸末期、浅草に住む老婆が、貧しさゆえに愛猫を手放したところ、夢枕にその猫が立って
「自分の姿を人形にしたら必ずや福徳が授かる」と告げた。
そこで、老婆が横向きで片手を挙 . . . 本文を読む
古代中国では訴訟の際、原告被告双方が神様の前に「羊」を差し出し、神の裁きを受ける「羊神判」が行わた。
この羊神判の様子を表した字が「善」の元の字「譱」。前回に説明したように、今回も神に捧げる生けにえとしての「羊」の紹介になる。
まずは「正義」「義理」の言葉に使われている「義」。これは「羊」と「我」を合わせた字。
「我」の部分は古代文字が理解しやすい。「羊」の下部に加えられているのは「鋸(のこぎり . . . 本文を読む
ハンマーダルシマーとギター演奏の30分。
女性が箱型に張られた多数の金属製の弦を、ばちで打って演奏する。軽やかな音色で心地よい。「ピアノの先祖」と呼ばれるとか。
冒頭は、前日のジャズ・セッション。
先日ブログに貼付けた日産セドリックを再アップ。
このクルマの説明書きを読むと、
1964年東京五輪のときに、聖火を搬送した特別車だった。
車内を、よく見ると後部座席に聖火の火が消さぬクッション . . . 本文を読む
ボランティアでパソコンを教えたとき、コピー(複写)と貼り付け(ペーストを知らない方がいたので初歩をまとめる気になった。
同好会の幹事さんがEXCELを習いたいと要請を受け赴く。
メールで届いた文章を印刷して、WORDに手打ちしているのに驚き、「コピペ(コピー&ペーソス)」を教える。
こんな要領。
コピーしたい個所を左クリックしてなぞると文字が反転するので、ソコを①右クリックすると、② . . . 本文を読む
松尾芭蕉の句
宝蔵門右手の二尊仏の更に奥の小高い丘に弁天堂があり、時を報せた「時の鐘」が建つ。
鐘は、元禄5年(1692)に五代将軍徳川綱吉の命により改鋳され、江戸市中に時を告げていた鐘のひとつ。
ご本尊は、手が八本の八臂弁財天。
江ノ島弁天、布施弁天(柏市)と並び「関東の三弁天」として名高い。
次の写真には、焼失前の五重塔が見える。この鐘の奥に本堂にがあるので、本堂の左でなく右に建っていた . . . 本文を読む