ポポロ通信舎

(旧・ポポロの広場)姿勢は低く、理想は高く。真理は常に少数から・・

新生・明治大学応援団

2008年04月21日 | 教育・文化
犠牲者を出し解散させられた明大応援団。
今季リーグの東大戦から、吹奏楽部主体の新応援団が登場した。
掲げるシンボルもこれまでの応援団旗から明大校旗に変わった。
学生応援の歴史にとっては、まことに画期的なことだと思う。

生協、学生会も消えた。(学生会の動静はその後定かでないが)
これで、いわば左右両派を整理した形の明大当局。
新生明治大学の発展は、いまだ産みの苦しみ途上にあるといえる。

応援団もその他の団体も行き過ぎは、目に余ったのだろう。
大学当局の措置はしごく当然なことではないかと思う。
ただこれによって学生の自治領域が狭められないことを願う。
三権分立の在野精神、フランス法精神の健在であらんことを

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(以下:産経新聞の参考記事)2008.4.4
「鉄拳に心はあったか」

 北京五輪野球日本代表の星野仙一監督らの恩師で、「御大」の愛称で親しまれた明大野球部の故・島岡吉郎監督は、希代の鬼監督として有名でした。

 “鉄拳制裁”は日常。星野氏は試合で敗れた後、「野球の神様に謝れ」と、球場で土下座をさせられたことがあるともいいます。

 そうした厳しさの一方、体の弱い選手にはひそかにノックの本数を減らしたり、選手の就職志望先に足を運んでいました。採用を頼み込んで、ときには土下座までしたといいます。

 歯を食いしばってついてくる教え子に、愛情と誠意をもって尽くす姿。その指導は「人間野球」とも称されました。

 今年に入り、その野球部を支え続けた明大応援団と、関西の名門立命大の応援団が、部内の暴力事件で解散になりました。

 大学側が「部の暴力体質」を指摘したように、「蛮カラ」の応援団や、体育会の“鉄拳制裁”は今に始まった話ではないはず。ただ、島岡監督は教え子に慕われ続けた一方、明大応援団は自殺者を出しました。

 明大の団員は「今までと同じことをやっただけ」と大学に説明しましたが、その「心」まで本当に同じなのでしょうか。

 選手を殴りながら、自ら涙を流すこともあったという島岡監督。実は野球経験はなく、明大時代は応援団長でした。
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