1988年・・ベルリンの壁、ソ連崩壊も天安門事件も起きる前。
わたしは、懐疑的ながらも平々凡々としたサラリーマン生活を送っていた。
一枚の写真、弁当を食べる健康的な働くオバさんの写真にひかれた。
深刻になることはない、楽天的に行きましょう。なんとかなるがね~
1988年・・ベルリンの壁、ソ連崩壊も天安門事件も起きる前。
わたしは、懐疑的ながらも平々凡々としたサラリーマン生活を送っていた。
一枚の写真、弁当を食べる健康的な働くオバさんの写真にひかれた。
深刻になることはない、楽天的に行きましょう。なんとかなるがね~
2006年6月23日。ブログ「ポポロ広場」を開園します($^^)/~~~。
当初は、1988年2月10日に発刊した「ポポロ通信」のWeb版としての再出発を
考えていましたが、ここGooのBlog群には、すでに同名の「ポポロ通信」と
いうサイトがあることがわかりました。Blog上では当方のが後発になります
ので、混乱を避け、双方性をも期待して「ポポロの広場」といたしました。
以下は、18年前、紙媒体(B4サイズ)の「ポポロ通信」第1号の拙文です。
今、読み直しスピリットは、このときといささかも変わっていないことを
改めて再認識しました。参考までに掲載し、本広場スタートの挨拶に代え
させていただきます。奇しくも「広場」という言葉も出ていました。
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≪ポポロ通信発刊のことば 1988.2.10≫
みなさん お元気ですか。
80年代も終盤となりました。世相は繁栄と飽食の中ですべてが一見
「順調」のように見えますが、本質的に果たして好転しているので
しょうか。現象形態は確かに刻一刻と激変してはいるのは明らかで
はありますが・・
「自由」ひとつを取ってみても本当に「自由」が保障されているで
しょうか。建て前の「自由」は、限られた許容範囲での「自由」で
しかありません。
新聞の投稿欄は比較的人々の本音が出ていますが“社論”の制約が
徐々に強くなり、正義の良い主張がボツになる傾向が表れています。
「ポポロ通信」は超ミニコミではありますが、右も左も、上も下も、
軟も硬も、すべてを包含した自由な発言を認め合う「広場」にした
いと思います。
ポポロは国際語エスペラントで「人々」の意味です。
松田聖子のファンクラブは3万人。ヤングアイドルのファンクラブは
少ないところでも数千人はいるといいます。
60年代、70年代とマジメな人たちはコチコチになりすぎていました。
「気分はファンクラブ」!
肩の力を抜き、長距離を走るイージーライダーの調子で行こう・・(以下略)