ポポロ通信舎

(旧・ポポロの広場)姿勢は低く、理想は高く。真理は常に少数から・・

群馬の剣聖人、上泉伊勢守(講演)

2009年09月26日 | 地域・一般
「群馬が生んだ剣聖、上泉伊勢守 その技と心」と題した講演を聴きました。
(大泉町歴史同好会主催)
講師は、上毛新聞社太田支社長の宮川勉氏。

上泉伊勢守(かみいずみいせのかみ)こと、上泉信綱は群馬県前橋市上泉町
の生まれ、昨年生誕500年。
(柳生)新陰流の創始者。江戸時代の剣客で有名な荒木又右衛門も新陰流。

講演中に竹刀より柔軟な革袋に包まれた「袋竹刀」を手に講師の宮川氏と
お手を合わせることができました。
私は中学時代、剣道部で竹刀は少々なじみがあります。
宮川氏の指示の通り面とコテを狙って二回、袋竹刀で向かった。
面、コテとも双方見事に外された。
コテを打つより早く、氏の“剣先”が当方の右コテを射った。
お見事!

柳生宗厳(石舟斎)は型にこだわる「殺人刀」
対して上泉伊勢守は、型にこだわらない「活人剣」

「活人剣」(かつじんけん=人を殺めるのでなく生かす剣の道)の一端を
肌で知る思いでした。
感服!
守りと攻撃が一体、打たせるようにして実はこちらが打ち倒す剣術。

上泉伊勢守(上泉信綱)の孫、上泉泰綱は、上杉家の家臣で直江兼続の
配下であったという。NHK大河「天地人」でも次回以降、上泉泰綱が登場
するかもしれないとのこと。
登場人物名をしっかり注意して見てみようと思います。

大谷休泊につづき、群馬の偉人をまた一人知ることができました。



上泉信綱 (人物文庫)
永岡 慶之助
学陽書房

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【中学下宿記】(3) 「先生」だった母

2009年09月24日 | 中学生下宿放浪記
創設期の女子寮の中は連日、てんやわんやの大忙しさでした。
母は次から次と仕事に追われ、私とじっくり話す時間は限られていた。

寮には私より3才上のお姉さんたちが、主に東北地方各県を中心に
集まり新しい生活を始めていました。そこでは母は“先生”と呼ばれ
ていた。
一つひとつ規則を定め、厳しい管理体制を創り、礼儀作法、果ては
躾に至るまでうるさく?指導し、たしかに私から見ても「先生」に
ふさわしく感じた。
しかし一方では、ホームシックに陥る寮生には実の母親のような
優しさで接していた。

男子寮生からは、女子寮では寮母を先生と呼んでいることに、あざけた
声があることも母の耳に入っていた。私も後に、その男子寮生の一員と
なったが、男子寮生と男子寮監の距離感は、とても女子寮生と女子寮母
との親密な関係には及ばず、その比ではなかった。

母には、寮生の日常生活は全責任を持つ、そのためには厳しく接すると
いう信念が感じられた。寮生を狙い襲いかかる無法者、変質者などの
外敵に対しては、体を張って防戦していた。
現役寮生はもちろん、後には退寮OGの家庭内騒動にも相談にのっていて、
今でいうDV(家庭内暴力、デート暴力)夫や男とサシで対峙したことも
一度や二度ではなかった。

「先生」呼称を母に尋ねると、その管理方式は戦時中の東京芝浦電気
(東芝)の寄宿舎を範にしていると教えてくれた。
戦前・戦中の東芝方式は、戦後教育で育った若者たちには少々きびし
すぎたかもしれません。その点については、
「最初の一期生、二期生が寮の大事な礎(いしずえ)になる。家庭でも
長女、長男をしっかり教育してレールを造れば以下は良く育つ、それと
同じ」と語っていました。

三洋電機は男子寮は会社の敷地の外に一方、女子寮は会社の構内に保護
されているかのように位置していました。これは女子寮生を守る治安の
面で良かったと思います。
西小泉駅から三洋東門までの道のりだけでも、痴漢や今でいうストーカー
がずいぶん出没していた。妙齢な乙女たちは、常に性的な誘惑、暴行の
危険にさらされていたのです。男子中学生の私でさえ、同じ道で不良集団
に因縁をつけられ危うく襲われかけたことがあります。

早めの門限設定、それを厳守し、仕事に専念できる規則正しい団体生活。
まだ15、6才の女子寮生たちを悪者から守ることで母は苦心さんたんして
いるようにみえました。

当時、寮は1部屋に5人。どうしても2対3のような形で不和になること
が多い。当の寮生の皆さんたちもよく頑張りました。今の時代では想像が
つかないほどの生活条件でした。部屋の内紛のたびに、母の所には、入れ
替わり立ち替わり相談者の姿が絶えることがありませんでした。
また、なんといっても多かったのはホームシックにかかった寮生たち。

ある時、居合わせた私を母が指して「この子も皆さんより3才も年下なのに、
すでに親と離れて暮らしているのですよ、もうこの子から見たら皆さんは、
ずっとお姉さんなのですからしっかり頑張らないと!!」と励ましていた。
しかし、実は言われた当の私も母が恋しくて恋しくて、寮生のみなさんに
負けないくらいホームシック状態で、母なしの暮らしにはすでに限界に
達していたのです。
ですから女子寮生の皆さんの辛い気持ちを聞きながら、心の中では一緒に
泣いていました。。   (つづく)


【写真】女子寮機関紙「ポプラ」。
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60年代以降の現代史を読む

2009年09月23日 | 研究・書籍
高校の時、授業で使用した日本史?世界史?の教科書は、たしか
山川出版社のものでした。
その頃から今日までの歴史は、実際に同時代を生きて来ましたので
自覚はありますが、果して教科書ではどのように記述されているのか
確かめてみました。3年前に購入した扶桑社の「新しい歴史教科書」も
横に置いて参考にしました。

山川版では、固有名詞が原語読みに近づけたのだと思いますが、
ずいぶん変えています。( )内が、私がまなんだ時の表記。

ティトー(チトー)ユーゴスラビア大統領
パフレヴィ(パーレビ)イラン国王
ゴ・ディン・ディエム(ゴ・ジン・ジェム)南べトナム政権
ローズヴェルト(ルーズベルト)米大統領


ベトナム戦争、パレスチナ問題、中東戦争の記述は、かなり詳しい。
1970年以降のアフリカ、ラテンアメリカの状況。南北問題、さらには
南南問題。
ベルリンの壁崩壊から、東西ドイツの再統一。
ソ連邦の消滅以降、民族紛争の表面化。非同盟・積極中立国家だった
ユーゴスラビアもティトー死後分裂しボスニア・ヘレツェゴヴィナでは
深刻な武力対決となりコソヴォ(コソボ)ではNATOが介入した。

フランス撤退後アメリカは、南北統一選挙を拒んだようなゴ・ディン・
ディエム政権のいるベトナムに介入した。
イラン・イラク戦争では、イラクが突如イランを攻撃。
89年、学生らの民主化要求が、武力弾圧された天安門事件。
ミャンマー(ビルマ)では、アウン・サン・スー・チーの全国民主連盟が
90年総選挙で圧勝したのに軍部が実権手放さず。。

歴史をひもとくことで、頭の中が時系列で整理されますね

今、私は中学から高校三年の頃に気持ちがタイムスリップしています。
また「中学生下宿放浪記」も書きます。



もういちど読む山川世界史

山川出版社

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「音・セラピー らいぶ」

2009年09月22日 | 音楽
桂宏美、
昨夜はNemu Nemu(ねむねむ=ネム屋)でアコーステックライブに
参加しました。午前中は太田のFM太郎に出演しライブ予告を。

“唄う介護士”からきたのか「音・セラピー」と題しました。
一見、演歌は似合わない洋風な雰囲気ではありましたが、
お子様連れのお客さまもお越しいただき、とてもアットホーム。
そこは三十路の「女一代」、包容力豊かに絶唱いたしました。

Nemu Nemuさんは、足利市葉鹿にあるミュージックカフェです。

ほかにバンド「HIGE」、「bluemarie」さんたちが出演、

楽しいひと時でした♪



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YEBISUの音楽列車に乗車

2009年09月19日 | 音楽
わが家の歌姫“桂宏美”が東京・恵比寿麦酒記念館で
18日、「サッポロビールの音楽コンサート」

YEBISU MUSIC TRAINに出演しました。

「Mr.サマータイム」のヒット曲でおなじみの「サーカス」のリーダー
叶 高氏(写真左)がMC兼ボーカル。サックスのTSUBO-KEN氏(写真右)、
ピアノの寺岡大悟氏らと、ヴィオリラ奏者として「桔梗」「ムーンライトセレナーデ」
冬のソナタの「マイメモリー」などを披露しました。

実力者の皆さんと共に、“上州女一代”桂宏美、がんばりました。
美味いビールを口にしながらの鑑賞でしたが、身内の出場とあっては、
緊張でまったく酔えず。
しかし、YEBISUビールはしっかりいただきました(笑)
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【中学下宿記】(2) 三洋電機構内で迷子に

2009年09月17日 | 中学生下宿放浪記
初めて母が勤める大泉町の東京三洋電機を訪ねました。
前橋駅から伊勢崎までは両毛線、伊勢崎から東武線。太田で
また乗り継いで行く。東武線に乗ったのは初めてでした。

西小泉駅には売店があり、民家も多くそれなりの賑いでした。
しかし、それから徒歩で三洋東門までの距離が長く感じられ
ました。門で守衛さんに女子寮に行く道を教えてもらったの
ですが、特徴のない大きな建物ばかりの構内。とうとう迷子に
なってしまい泣きべそをかくはめに。だがちょうどその時、
さきほど話をした守衛さんが自転車でやってきました。
守衛さんは交代どきだったのか、それとも私が気になったの
でしょうか、ともかく自転車の後ろに乗せてもらいなんとか
女子寮に到着しました。緊張が解けてやっと母に会えたことで
早くも涙が・・

一昨日、洋友会(三洋のOB,OG会)で東京製作所見学会があり
ましたが、今では、構内は自宅のようにすべて知り尽くして
います。しかし初めて訪れた人には、大人でも戸惑う広い工場
敷地だと思います。
米軍占領下では、正方形の構内を、兵士たちは母国にたとえ
カルフォニア通り、フロリダストリートなどと命名していた
ようです。
旧後楽園球場60個、甲子園球場40個に相当する面積ですから、
小学校を卒業したばかりの中学生にとっては、見たことのない
大きな白い怪物のような建物のジャングルに感じました。

構内にはまだ、米軍が使用していた形跡が残っていてところ
どころに英文の注意書きがありました。買ったばかりの英語
の辞書で一つひとつ意味を調べたものです。
なになに?寮の階段の文字は・・
「雨の日はスリップに気をつけよ」など。

前橋から大泉、さらに徒歩で延々行進。入った構内はなんだか異国のよう。
母はずいぶん遠く変わったところで働いているのだな、と思ったものです。
(つづく)

【写真】当時の正門に掲げられた会社案内図。愛機のマミヤ35Sで撮る。

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「中学生下宿放浪記」を始めます(1)

2009年09月12日 | 中学生下宿放浪記
自分の人生をふりかえってみますと、特異な経験としましては、
なんといっても中学生時代の下宿生活ではないかと思います。
中学3年間に9軒のご家庭にお世話になりました。下宿といっても
いわゆる専門の下宿屋さんは少なく、多くが普通の家庭にそれぞれ
ご厄介になりました。
家族同然に温かく、そして時には居候(いそうろう)のような気持ちに。


両親の協議離婚後、母の元に引き取られた私は4歳から、母ひとり子ひとりの
生活を前橋市内で過ごしました。母は結婚するまでの若い頃、川崎市の東京芝浦
電気小向工場の従業員寄宿舎(寮)の舎監(寮母)に徴用でなく志願で入社し、
その任務についていました。「お国にため命を捧げる覚悟だった」とも。

軍需工場の東芝を狙った米軍機の空襲には何度も遭い、ある晩、手をつないで
一緒に逃げていた寮生が敵機の機銃掃射で目前で落命した地獄絵も見たといいます。
それだけに生前の母は時々「九死に一生を得て今生きているのが不思議だ」と
しみじみ感慨深そうに話していました。ただ東芝での舎監の仕事は、使命感を感じ
やり甲斐があったと懐かしんでいました。

私が小6の時、群馬県に進出する関西の電機会社が、新たに女子寮をつくるに
当たり経験者を探しているという話が、県庁に勤めていた叔父経由で母の耳に
入りました。

母は、三洋電機での就職を決意するに当たって小学生の私に「女子寮勤務は
住み込みが前提で別居になるけれど一人で大丈夫か」と心配そうに何回も
尋ねました。その頃の私は、もう子供じゃないという気持ちから問われる
たびに「平気さ。時々会いに行くからぜんぜん心配ないよ」と強気の返事でした。

まもなくして私は中学に入り、母は大泉町の東京三洋電機で勤め始めました。
私は祖母と叔父の住む前橋市相生町に、それまで母と住んでいた国領町から
移りました。

今では、前橋~大泉間は車で1時間程度で簡単に行けますが、当時は列車か
乗合いバス。大泉町は、とても遠いところと思いました。

別れの日、前橋駅から両毛線伊勢崎方面行きに乗る母は着物姿で列車は蒸気
機関車(SL)でした。
初めて母との別離。前橋駅まで見送りに行き、母を乗せた列車が静かに
遠ざかると、なんと自分では少しも予想していなかったほど、急に胸が締め
つけられ、目頭も熱くなり不安な気持ちになってしまったのを、
今でも覚えています。
これまでの母の厚い庇護から脱し、いよいよ甘えッ子、一郎の乳離れの始まりでした。
  (つづく)


(写真は、中学1年生の筆者と叔母)
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秋の高校野球 農二、快進撃

2009年09月08日 | スポーツ・健康
地元、太田東、西邑楽が出場とあって、太田市運動公園野球場に
行きました。日差しはきつく残暑らしい中での観戦になりました

“応援の太田東”も秋は自慢のチアガールの姿はなく、野球部員と
保護者たちだけの応援。一方の東京農大二高も同じように部員たち
と父母の編成団=写真。

しかしさすがに“甲子園校”。農二側の人数は太田東の倍以上で
声援にも活気がありました。
農二は1回戦で高崎商を5-0で下してのこの試合、7-0の8回コールド
ゲームで太東に快勝でした。

秋の大会は黄昏の季節感と重なるせいもあってか球場全体がとても
地味。どことなく落ち着いた“中高年”の雰囲気が漂っているよう
にも感じられて、なかなかオツなものです


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太田高、全国高校クイズ大会でもベスト8

2009年09月05日 | 教育・文化
昨夜放映の「全国高等学校クイズ選手権」(日本テレビ読売系 司会菊川
怜 ほか)で、太田高校がベスト8。
今年は県硬式野球でも準々決勝に。こちらは“知力甲子園”、全国大会
ですから一段とその注目度は高かったと思います。

3時間番組で、私は後半の1時間を見ました。残念ながら母校の熱戦は
見逃してしまいました。
それにしても出題内容は難解なマニアック?なものばかり。
「火星で一番高い山」の名前など、どれもまったく見当がつきません。

しかし全国の名だたる名門校の一角を陣取り、太高の名が電波に乗って
流れただけでも気持ちがいいものです

【全国大会優勝】 奈良・東大寺学園高

【準優勝】
鹿児島・ラ・サール高

【ベスト4】
東京・開成高  奈良・東大寺学園高
埼玉・浦和高  鹿児島・ラ・サール高

【ベスト8】
北海道・旭川東高
群馬・太田高   栃木・宇都宮高
埼玉・浦和高   東京・開成高
奈良・東大寺学園高 福岡・久留米大附高
鹿児島・ラ・サール高


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国の合併推進課が解消

2009年09月03日 | 地域・合併問題
総務省は、来年4月に省内の2003年設置の「合併推進課」を
「市町村体制整備課」に改組することを発表しました。
平成の大合併は一区切り。
これからは、
市町村間の広域連携を支援し、合併推進の看板は外すことに。

きょう、旧尾島町内で「区民運動会」のポスターを目にしました。
「区民」という文字が目に入り、東京都ではないし区民とは・・
大泉町の場合は、町内にある区単位は多数あるだけに、何かなと
思いましたが、よく見ると、これは旧尾島町を指しているようだ。
旧尾島町が尾島地区、なるほど。
かつての町民体育祭が「区民運動会」に変わったのだろうな、と
察しがつきました。

尾島に住む友人と話しましたが、彼は太田市との合併には今も満足
していませんでした。
総務省の方針がどう変わろうが、合併進めるのも止めるのも大切なのは
そこの住民大衆の意思。
住民が求め、後悔しない市町村再編なら大いに歓迎です。



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