パナソニックの傘下になった三洋電機。今では議決権比率は100%パナソニックの子会社だ。資本金は4億円。ほんとうにスリムになりました。
すでに三洋を後にした社員は9万人以上。(かつては10万人以上在籍)現在、パナソニックグループに残るのは約9000人だという。残っている人、去った人。リストラを前にしての対応は千差万別だと思います。
たかた登美子さん(人事カウンセラー)のブログに元三洋マンの2人のケースが紹介されていました。
お一人の亀井隆平さんはシリウス(東京・台東)の社長。三洋電機を辞めたのは、2010年4月、45歳。「自分が尊敬しているのは三洋電機の創業者、井植歳男さんであって、松下幸之助さんではありません。庶民にやさしい三洋電機、地球にやさしい三洋電機のために働いてきました。だからパナソニックのために働く気にはなれませんでした」と。
もう一人のケースは岡本浩之さん(元三洋電機人事部長)。岡本さんは約30年勤めた三洋電機から2012年に江崎グリコの広報部長に転職。いまも多くの三洋電機社員から転職の相談を受けるがアドバイスは「早まるな。いきなり辞めても次の職場で前よりいい処遇が得られる可能性は少ない。可能な限り今の会社にしがみついて、その間に納得して働ける新しい職場を探すべき。感情に任せて会社を辞め人生設計が狂った人を私は多く見てきました」
お二人とも「三洋後」をうまく再デザインできた幸運な特例のような気がします。
岡本さんも「あっちで活躍している、こっちで重宝がられている、という話は、うまくいっているから聞こえてくる。実際には会社から放り出されたあと、つらい人生を生きている人も多いはず。そういう人の話は聞こえてこない。彼らが何も言わないからです」と話していますが、その通りでしょう。多くの声なき声の苦悩の叫びが聞こえてきます・・。
自虐的にならず粘る
サラリーマン生活は「実力半分、運半分」。いや運が半分以上かもしれません。過酷なリストラを前にして自分を責めないことです。気のいい優しい人ほど自虐的になる傾向があります。日本では、一般的には転職歴はキャリアとして評価されません。それだけに慣れたところでなるべく粘ることです。遠隔地異動、異業種異動(出向)であっても受け入れ挑戦してみましょう。「退職分岐点」は、自分の体、特に心が壊れないがどうかです。新地や新業務も人生勉強と位置付けて一度は試してみましょう。食わず嫌いにならず。ギリギリまで粘ってください。心の栄養には、聖書や仏法など先人の古典名著に親しむのによい機会です。私の場合、心が折れそうな時には良く新約聖書を取り出し読みました。ピンチの時は普段の時よりも読みが深くなります。リストラに抗すにはある種、自分自身の「哲学」を確立することだと思います。
リストラを前に、孤独にたたかっているみなさん。
がんばってください!!
【大淘汰時代のサバイバル術】
http://www.advertimes.com/adobata/article/22560/cocosupport.blog.fc2.com/blog-entry-185.html/
【転職の時期を読み切れ 元三洋電機社員サバイバル】
http://business.nikkeibp.co.jp/article/interview/20140530/265848/?n_cid=nbpnbo_bv_ru
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