ほんわかした感じに癒されます。
ほんわかした感じに癒されます。
ところは「いづみ緑道」大泉町(群馬)。
風の強い中、歩道にたたずむ「考える女性」ブロンズ像。
彫刻家、笹戸千津子の1982年(昭和57年)の作。
悩み多い若い女性の姿態。
制作者が同じ女性のせいか、裸像の人物の思索する「おもい」が素直に伝わってきます。
笹戸千津子さんは山口県生まれ。ご自身も佐藤忠良氏のモデルを長年務めたという。
いつも通り過ぎていた彫像ですが、今日はしみじみこの像に気持ちが重なりました。。
子をおもう母の想い・・
和製カレン・カーペンターズのシノンさんの歌声、いいですね♪♪
すわりごこちのいい椅子 | |
Sinon(シノン) | |
インディーズレーベル |
母の想ひ(シノン)
つくばから牛久に向けての車窓から突然大きな大仏様の姿が見えてきた。
これが牛久の大仏さまだ!
「牛久大仏」は台座を含めて高さ120メートル
総重量4000トン、青銅(ブロンズ)像としては世界最大としてギネスに登録されている。顔の長さが20メートル、耳の長さ10メートル・・
すべてがデカい!
このお盆期間中に拝観できたことは感激でした。
ところでこの大仏様、どこの宗派なのだろうか・・
「浄土真宗東本願寺派 本山東本願寺」
おお東本願寺!それなら真宗大谷派かと思いきや、ノーノーノー。
ウィキペディアに「浄土真宗東本願寺派」の詳細が書かれていました。
なんと真宗大谷派から独立したのが「牛久大仏」の本山東本願寺派。
「南無阿弥陀仏」が大谷派では「なむあみだぶつ」本願寺派では「なもあみだぶつ」。焼香の回数が本願寺派は1回、大谷派は2回・・。
なぜに分裂したのだろうか、部外者には経緯を読んでもさっぱりわかりません。
大仏様の大きな姿には圧倒されながらも宗派内の分裂騒動があったことを知ると何とも血なまぐさい俗物的なものを強く感じてしまいます。
宗教集団にかかわらず、一般に組織に分裂はつきもの。しかし政治党派や企業にも言えることですが大同団結して醜い内部抗争を克服、和解・統一の方向に力を合わせてほしいと願います・・ 合掌。
牛久大仏 茨城県牛久市
8月15日の正午には戦争終結の玉音放送が流れるその前夜、正確には15日0時23分から1時39分、米軍機B29による埼玉県熊谷市街への空襲がありました。
市内星川付近には焼死体が多数・・。今、その場に『戦災者慰霊の女神』像が置かれています。作者は北村西望(1884-1987)。長崎のおなじみの平和祈念像(垂直に掲げた右手男性像)の彫刻家だ。
熊谷空襲の死者は266人(戦災状況/総務省)、負傷者は約3千人。
正午には戦闘が停止されるというのに終戦間際での犠牲、なんとも無念でした。軍関係者の一部では終戦放送予定をすでに知り、まさかその直前の襲撃はないものと思っていた向きもあったとか・・。
彫刻家の北村西望は、軍による鋳鉄徴収に「銅像拠出委員会」を組織して抗議したという記録もあります。
熊谷空襲のお話を聞く会
群馬県千代田町役場前に250キロ爆弾のオブジェがあります。
説明書きによりますと昭和25年ごろ米軍爆撃機が故障して落下したものだといいいます。体長120cm、炸薬重量TNT約120kg。
昭和25年といえば、大泉町の中島飛行機製作所跡は進駐軍(米軍)の基地になっていた時代。
連合国の占領下にあったのは昭和20年(1945年)8月15日から昭和27年(1952年)4月28日まで。
戦時中、少年少女たちは「少国民」と呼ばれていました。戦後の占領下に生まれたこどもたちは、さしずめ「少米領民」だったのでしょうね。自覚はありませんでしたが・・
私はプレスリーが大好きで中学校の登下校のとき、友達と離れ一人になるとGIブルースを口ずさみながらハットゥースリー、フォーと歩いていたのを思い出します。
Elvis Presley - G.I.Blues
だいぶ前に撮った写真です。
長野県の旧丸子町役場(上田市)付近で見かけた母子像です。
しばらく見入りました・・。
風邪を引き病院からの帰り道、母に甘えておんぶをせがんだ昔の記憶がよみがえります。
着物姿の多かった母、昭和の時代を思い出します・・。
♪70年代初頭、 白川奈美の唄でひそかに?ヒットした『遠くはなれて子守唄』。母と別に暮らした私の子供の頃が目に浮かびます。
藤圭子 【遠くはなれて子守唄】
さいたま市の別所沼公園に置かれていた「浦和うなこちゃん」の石像の前で写真を撮ったのは3年前。この像、昨年11月に何者かに持ち去られてしまったまま・・。
うなこちゃんは、漫画家のやなせたかしさんがデザインしたものです。
「消えていくでござる。無駄な抵抗はせぬ。ゼロの世界に消えていくでござる」と言い残し他界したやなせたかし(享年94歳)さんももういない。
うなこちゃんはさいたま市内のうなぎ専門店でつくる「浦和のうなぎを育てる会」のキャラクター。別所沼公園の地名のように辺りは、かつて沼地が多く、うなぎがたくさん取れた。石像は2009年5月に同会から市に寄贈。写真のように高さ30センチ前後、足がボルトで台座に固定されていたにもかかわらず。
撮影データ2013/5/5 カメラ:Casio EX-ZR300 レンズ:絞りF3 シャッター1/250秒
浦和うなこちゃんによる「うなぎ小唄」
ポポロの広場のカテゴリーに新しく「彫像」を加えます。
初回は荻野吟子(おぎのぎんこ 1851-1913)女史の彫像です。
日本の女性の最初のお医者さん。その生地、埼玉県熊谷市(旧妻沼町)俵瀬には記念館と共に胸像が建てられています。
彼女は18歳で結婚。夫から性病を移されその治療検診時の屈辱が女性医師の必要性を強く感じ医師への道を志したと聞きます。
きりっと凛々しい吟子さんの表情には、ぐっと魅せら元気づけられます。
撮影データ2016/2/22 カメラ:オリンパスペンE-P5 レンズ:ズイコー14-42ミリ 絞りF6.3 シャッター1/200秒 手振れon ホワイトバランス auto SDカード 東芝16GB(SDHC USH-1)
日本最初の女医 荻野吟子