「一人芝居」ってどういうものか初めて見て、知りました。
足利工業大学の公開講座の特別講演でした。
演題は『決断 命のビザ』
ユダヤ人6000人にビザを発給したリトアニア領事官だった
杉原千畝=写真=の物語。
前途のある40歳の外交官が、本国の指令にあえて背き、出世や
職業を賭けて、人間の命を救うことを苦悩のうちに決断!
それを陰で支えた妻の存在。
ひとり語り演じる水澤氏の熱演に、涙しました
「世界共通語を普及させよう」と前橋の井上政夫さんの投稿が、きょうの上毛新聞ひろば欄に掲載されていました。
「英語重視の理由は・・アメリカが世界トップの座であるからなのか。共通語で書かれた本があれば語学の負担は減る。国際会議にも活用できる・・」という趣旨。
まったく同感です。私が最初に「英語が国際語」ということに疑問を感じたのは学校で英語を教わり始めた中学生の頃。英語は国際共通語だから覚えよ、という指導に納得できなかったらです。それなら英語圏で生まれた人は生まれながらに国際人、それ以外の人は英語ができて一人前の国際人、これってなんか不平等だ、と思いました。
中学の社会科教科書に、小さく一行「世界共通語としてエスペラントがある」と書かれていたのをはっきり覚えています。これだ!と思いました。
これまで子どもたちの教科書を注意して見ていましたが、今ではエスペラントにはどこにも触れていないようです。
英語を学ぶのは大切です。ただそれは外国語として理解し学ぶのであって一つの言語を世界語とまで断定することには、今も疑問を感じています。
1960年代、日本社会党は政権構想の政策の中で、義務教育でのエスペラント語の実施を掲げていました。
エスペラント者(Esperantisto)といいますと、2.26事件で連座して処刑された北一輝。無政府主義者の大杉栄、ベトナム戦争に抗議して焼身自殺を図った由比新之進さんらが思い浮かびます。
本ブログ、ポポロの広場のポポロ=popoloはエスペラントで「人々」の意味です。
単語の最後が「o」で終わるものはすべて名詞。「a」が形容詞、と規則正しく決められています。ただ創始者がポーランドの眼科医ザメンホフ氏であっただけにベースは漢字圏ではなく横文字アルファベット圏ではありますが。皆が同じ努力をして学ぶというのは意義あることではないでしょうか。
普仏戦争で、負傷した敵の兵士に近づき抱き上げると彼がエスペラントを話し、互いに敵味方を忘れ、友情を感じ合ったというエピソードも聞きました。
言葉の壁を乗り越えられれば、さらに人類の相互理解は進むと信じます