ポポロ通信舎

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9回出撃、不死身の特攻兵

2024年11月15日 | 研究・書籍
「生きているだけで価値がある!」
「生きててくれよ!死にたくなるような世の中やめたいですよ!」
山本太郎(れいわ新選組)の絶叫フレーズ。


「生きているだけで」の言葉を聞くとわたしは、若くして亡くなった特攻隊員のことを想ってしまう。
人それぞれに歴史あり。それにしてもすごい人生だ。佐々木友次=敬称略=(陸軍伍長)、9回出撃、9回生きて帰った特攻隊員。

不死身の特攻兵』(講談社新書 2017年)鴻上正史(こうがみしょうじ)著、軍神はなぜ上官に反抗したか。驚きの実話でした。

「貴様、船はどれでもいい。見つけ次第突っ込め!」と度重なる帰還に怒り罵倒した参謀長・・。その参謀長とは終戦後、帰国し市ヶ谷の第一復員省でばったり。詫びるわけでもなく平然と復員係官におさまっていた。殴っても殴り足りない奴だったが、ぐっとこらえた佐々木。
わたしがこれまで知識としてもっていた「特攻隊、特攻兵」の実像を、本書はより深く、内情を解説してくれた。著者の取材力には敬意を表したい。特攻隊研究には必読の一冊と思う。

終戦後、“特攻軍神”佐々木は生きて故郷に帰ってきた。マニラから栄養失調状態で函館に着く。そこで見たのは若い日本の女性がアメリカ兵とふざけあっている姿。戦地では米軍が上陸すれば日本女性たちは貞操を守って自決すると話していた、しかし・・・。「何のための体当たり攻撃だったのか!」

死んだはずの軍神が故郷に戻ったことで、「お前帰ってきたんやか」と素直に喜ぶ母、それとは対照的な父。国(役場)からは、支給された死亡賜金3000円の返却を求める連絡があり勲章とともに返納する。

わたしは映画『あゝ、江田島』の印象が強く、特攻は海軍兵学校や陸軍士官学校の学生が中心かと思っていた。士官学校は2年、大学より短く年齢も若くして参謀にもなるという。特攻は一般学生出身の予備士官や20歳前後の予科練、下士官も多かった、とも。

度重なる出撃でも命を落とさなかったのは、戦場では「むだに死ぬな!!!!」と励ましてくれた善意の上官、岩本大尉の存在。佐々木に同情してくれた整備兵が命令違反覚悟で、本来の攻撃方法=爆弾投下操縦できるように機体を整えてくれていた。

生還できたのは佐々木友次が攻撃の目的は死ぬことでなく、敵艦にいかにダメージを与えることではないかの強い信念を持ち上官に抵抗、それにまれにみる操縦技能に秀でた人であったからだ。

特攻機を先導し成果を見届ける直掩機(ちょくえんき)が飛んでいたことも本書で知った。4回目の出撃では直掩隊長が同情してくれた。その時は特攻機1機に、なんと直掩機6機だったという。


「この国で一番偉いの誰?」
「皆さんですよ」「自分は生きてていいのか」「生きててくれよ!」
「死にたくなるような世の中やめにしたいです」

時代を超えて、秋空に山本太郎の言葉が「特攻隊」を想うこころにしみます。合掌。


 



私の孤独Ma Solitude/ジョルジュ・ムスタキGeorges Moustaki
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1 コメント

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Unknown (新田ママ)
2024-12-03 10:41:51
こんにちは!
戦争のことは知らないことばかりです。
生き証人がご存命中にいろんなことを教えていただきたいです!
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