東京の土人形 今戸焼? 今戸人形? いまどき人形 つれづれ

昔あった東京の人形を東京の土で、、、、

吉徳さんまで…(羽子板市風の展示販売の件)

2020-11-19 18:46:52 | 日々

 昨日は11月も後半だというのに暖かくおだやかな天気の一日でした。このところ昼夜逆転ぎみの生活リズムになって夜なべ作業をしていますが、ストーブなしでちっとも寒くなく、土や水が冷たくて痺れるという感じもありません。
 昨日朝6時頃床に入って起きたのが「エール」のお昼の放送がやっている頃でゆうべご飯を炊くのを忘れていたので身支度して自転車で浅草橋の「人形は顔がいのち」の吉徳さんへ向かう途中の定食屋さんで遅い朝食と服薬を済ませてギコギコ行きました。

 浅草橋江戸通りに面する吉徳本店の正面自動ドアガラス張りのスペースに特設のコーナーを設けていただいて拙作の人形を並べていただいているのをはじめて拝見しました。実をいうと、10月下旬からの「人形うらら展」に向けて出来上がった人形を運びにお邪魔していらい足を運んでいなかったので昨日はじめて拝見した次第です。「うらら展」の期間以降も拙作のものは続行して飾ってくださっていて感謝しています。 
 さて、昨日お邪魔したのは、浅草の観音様の恒例の羽子板市は今年コロナのため規模縮小して の開催のため、吉徳さんの露店は今回はご出店されない代わりに、12月3日から本店店頭か店前に羽子板市風の飾り付けをして販売をされる予定だそうで、拙作の人形も併せて並べてくださるというご配慮。(ありがとうございます)
 ついては羽子板市風販売に向け、できた人形があれぱ、、、というご厚意で、そのためにも現在の人形の様子を把握させていただこうとお伺いしたのでした。
 途中で上州の鉄砲狐のお納めモードが挟まったので、これから干支をはじめ取り組み途中のものが間に合えば、12月3日に並べていただきたく思っていますが、段階的に羽子板市期間くらいまでは加えていただけるそうなので、お近くに足をお運びの際には羽子板をご覧のついでに浅草橋の吉徳さんへお寄りください。ついでに拙作のものもご高覧いただければ幸いです。
 とりあえずは画像のような人形を並べていただいていますが、さらに新しく間に合うものについてはこの場にてにて紹介させていただきます。
どうぞよろしくお願いします。

 帰宅途中に通りかかった夕暮れの「おかず横丁」と「佐竹のアーケード街」の様子。昔にくらべるとちょっとさびしい感じです。ついでに寄った東上野の桐箱屋さんあたりは真っ暗なのでそれに比べれば暗闇の中のあたたかそうな景色ではありますが、、、。


NINGYO Art and Beauty of Japanese dolls

2020-10-18 23:02:16 | 日々

 昨年、お世話くださる方からのお導きで国際交流基金による海外での巡回「日本の人形展」のための人形制作のお話をいただきました。郷土人形の枠内で他の作品との兼ね合いで「叶福助」と「おかめの火入れ」とを作ってお納めしました。すっかり忘れていた先日、大きな茶封筒が届き、お歳暮カタログか何かだとおもって置いたままだったのですが、開けてびっくり。

 海外での巡回展だと聞いてはいたけど、英語だらけ。
展示の展開として
①節句人形(子供の成長を祈るための人形)
②美術人形
③庶民の人形
④人形文化の広がり
となっていて、うちの叶福助は③のところで紹介されているようです。

 こうして自分で作ったものが、展示してもらえたり印刷物に紹介してもらえるのはありがたいことです。ありがとうございました。
 巡回展は8月下旬から9月下旬までクロアチア プーラ市立博物館で、10月1日から来年1月までカナダ トロント日本文化センターで開催中のようです。

吉徳これくしょん展「災いを払う 人形の役目」

2020-09-28 23:46:04 | 日々

 昨日は暑くも寒くもない久しぶりのよい天気。前日から予報を聞いて、チャリで浅草橋の「人形は顔が命」の吉徳さんまで特別展を観に行こうと思っていました。

 先々代吉徳当主だった山田徳兵衛さん。戦前から生涯人形や玩具についての著作を多く残され、また人形の芸術性の発展にも尽力された方。今日の人形玩具研究の基礎を築かれた方。また著作の中には気楽に楽める「人形百話」というコラム集があって、その中で、最後の生粋の今戸人形師だった 尾張屋 金澤春吉翁(明治元年〜昭和19年)との交流の思い出、言葉のやりとりが出てくる件、江戸の落語のような楽しさで、何度も読み返してしまうサワリです。  
 吉徳これくしょんは先々代徳兵衛さんが整理収集された人形玩具やそれにまつわる古今の文献、絵画、写真等、人形玩具について研究される人々に貴重な情報を提供してくれます。

 折々のテーマに沿った展示がされていますが、今回は今年のコロナウイルス流行にも関わるもので、人形や玩具が様々な病や災いからヒトを護る役割をになったてきたことを示す資料たちで構成されています。今年のコレラ除けに「アマビエ」のキャラに脚光が当たっていますが、昔はいろいろあったのです。今、お雛様の下に敷く赤いぬの(毛氈)は魔除け、厄除け、病除けの願いから赤いようです。ついでに5月のお節句には緑色の布を敷いていますが、これはそんなに古いことではなくて、もともとはやはり赤い布を敷いていたようです。

 お雛様の原型ともいえる、アマガツとホウコ。
 
 犬筥(いぬばこ)犬は魔を除け、多産だというイメージから産室の護りとして置かれた容器。

 鍾馗さま。 

 金太郎さん。  


 赤絵のいろいろ。疱瘡神は赤い色を好むので、大事な子のそばに赤く刷られた絵を置くことで子供の病除けになる、という願いから描かれたもの。



 金太郎、だるまさん、ミミズク、鯛、など赤にちなむキャラクター。
 仙台 堤人形の猩々。能楽の猩々の面や頭、装束も赤いので赤のキャラクター。酒瓶の瓶垂れのタッチがいいですね。
 そしてびっくりしてしまったのがこれ。拙作の「朱鍾馗」。尾張屋さんの人形を手本として作ったものです。

 さらにもうひとつ、かなり昔作った「ぶら人形」。今見るとはずかしいですけど20年以上前に一生懸命に作ったものではあります。
ありがとうございます。

 この展示30日までやってます。

日本民藝館展 2019

2019-12-11 09:57:28 | 日々

 今日東京駒場の日本民藝館で授賞式と各部門の講評会があるそうです。あいにくきょうは自分の通院が入っているので参加できませんが、べにや民藝店さんからはこんかいの結果についてお知らせいただきました。

 今年も出品するつもりで型抜き、素焼き、やすりがけに地塗りまで進めていたのですが、途中で再発病して当初出品する予定だった全ては無理となり、その一部だけですがべにやさんにお願いして入院したのでした。

 努力100%に及ばず、不本意なかたちでの出品だったので結果も厳しいかな?と半ば諦めもありましたが、お伝えいただいた結果では、出品したもの全て入選したとのことでうれしいです。

 今日の講評会には参加できませんが、会期中に再入院などがなくて可能なら自分も民藝館まで出かけてみたいとおもいます。

 


秋のお彼岸・お参り(今戸〜清川)

2019-09-25 19:32:12 | 日々

 お彼岸の入りの翌日9月21日、最後の生粋の今戸人形の作者だった尾張屋・金沢春吉翁(明治元年〜昭和19年)のこ墓所のお参りのお許しをいただいて自転車で今戸まで出かけてきました。午後3じ過ぎの遅い出発でしたが、お寺さまの開門中に間に合い、無事お参りさせてもらうことができました。

 その帰りに寄った昔の今戸河岸の現在。焼きものの燃料となった薪などかつては茨城の利根川沿岸域から水運で運ばれてきて、ここ今戸河岸でにあげされていとか…。また出来上がった製品がここから積まれて出荷されていたとか。上流に広重の錦絵にも描かれた橋場の渡しがあったそうです。その橋場には銭座があったといいます。

 またかつて尾張屋さんのキセル窯があった場所にも寄ってきました。

 続いて清川の玉姫稲荷さま。

 夕暮れ時、境内で地元の子ども会が花火大会をしているところでした。

 御本殿横にお祀りされている口入稲荷。今戸人形の口入狐に由縁のお稲荷さまです。

 

 春吉翁と同じ時代まで今戸町内長昌寺そばで焼き芋屋の傍ら家業の今戸人形作りをしていた屋号「あぶ愡」の鈴木たつ という人がここ口入稲荷奉納用専門に狐を作っているそうです。現在は素焼きの木地を仕入れて彩色のみこちらの奉職されている方々がされているものが並んでいます。羽織狐の股引きの部分を黒く塗りつぶしているところなど「あぶ愡」の彩色を意識して塗られている感じがします。 

 ガラス越しに撮影した内部の様子です。


舟形5時間

2019-08-19 22:18:56 | 日々

 叔父(亡父の弟)の法事で舟形へ強行軍で出かけてきました。

 大宮6時38分発の始発の山形新幹線で、新庄に9時55分着。迎えに来てくれた従弟のお兄さんの車で舟形へ。このところ寝不足気味だったせいか行きの車窓はあまり憶えておらず、うとうとしている間に新庄に着いたという印象。それにしても山形、天童を過ぎてから乗っていた車両はひとり貸し切り状態のようでした。時間ぎりぎりに法要に滑り込み、そのあとみんなでお墓参り、そしてお斎。お斎が済んでから亡父の実家へ移動して喪服から普段着に着替えて近所を散策。

 亡父の生まれた家。今はトタンで葺いてありますが、もともと茅葺でした。山形によくみられる「兜造り」の家。

 普通にわらびが生えています。

 辛そう、、、。でもきれいな色。

 土地が豊かなので花でも何でもすくすくと育ちますね。

 小国川の畔。下流の方向。あと4キロくらい下流で最上川に合流します。

 上流の方向。一番奥の方向が瀬見温泉のある方向。更に進めば鳴子温泉。昔はこの時期川遊びや芋煮会をしている人が川原にいたものですが、、、。ちなみにこの辺りの芋煮は里芋ではなくてジャガイモ。牛肉ではなくて川で突いたカジカを入れたり、カジカが獲れないときときはシャケ缶を入れて代用。味付けは味噌でした。クジラの皮を入れたりするのもあったような、、。(50年以上前の記憶です。)

 帰りの指定席を取っていなかったのと、日帰り往復の心配から新庄発15時17分発の上り新幹線に合わせて新庄の駅まで送ってもらったものの、指定席が満席で焦って、急いで自由席特急券を買って、自由席の車両を物色。発車10分前くらいでもほぼ満員。空いていますか?と尋ねてぎりぎり空いていた席があってよかった、、、。そんなわけでお土産も何も買う時間のない帰路でした。せっかく子供の頃からのあこがれの土地を踏みながら、、、。まあ仕様がないですね。冷房のため、鼻風邪をひいていて、嗅覚も麻痺していたので、せっかくの田舎の香りも味わっていなかったのがもったいないです。

 

 


歌舞伎座6月興行

2019-06-20 21:27:32 | 日々

 先週末まで入院していたので、まだ尾を引いている感もあり、食事の準備や洗濯などの家事で手一杯という感じで、先の東博での救王護国寺の特別展も観に行けず、今月の歌舞伎座の昼も無理だろう、、と

思っていたのですが、知人から招待券をいただき、本日昼の部へ出かけてきました。ただ、家から出るには家人の食事や水分補給を準備してからでないと出かけられないので、昼の部の最初からは無理で、せめて吉右衛門丈の「石切梶原」と仁左衛門丈の「封印切」だけは見逃したくないという思いで12時過ぎに家を出ました。あまり足に負担をかけたくないので、東京駅からタクシーで歌舞伎座まで、と思ったのが甘かった。八重洲のタクシー乗り場には直線にしたら100m以上にもなりそうな行列。諦めて京橋方面まで歩いてタクシーを拾いましたが、かなりの時間のロスで、歌舞伎座の座席に着いたのは「石切梶原」が既に開演している時間になってしまいました。ちょうど「刀の目利き」の件が済んで、これから「二つ胴の試し切」にかかる辺りでした。

 それでも今日最高の梶原を目にできただけでも幸い。こうした狂言、理屈で考えると馬鹿馬鹿しいですが、うまい役者さんが「ほくほくしながら」じっくり演じているところが絶妙なので満足しました。ただ、客席の雰囲気が昔とは違うんだな、、、と思うこと今日に始まったことではないのですが、「手水鉢の試し切り」のあとで「切り手も切り手」「刀も刀」という乗りで大向うから「役者も役者」という声が掛からないのです。びっくりともがっかりともしました。ここで縁者も客席も一緒に楽しむところだったんですが、、、、。

 仁左衛門丈の「封印切」。最近出なくなった狂言ですが、仁左衛門丈が大阪の和事の役柄を照れを感じずに演じていられるということが何よりの見もの。主演だけでなく脇のひとりひとりから醸しだされる上方の空気というものが、観客にも今後馴染まなくなっていく狂言なのだろうかと思いました。今日としては最高の忠兵衛とおえんさん(秀太郎丈)でこの上を望むことはできない舞台だと思いますが、客席の反応がただの「笑劇」というか「あちゃらか」に対する笑いみたいなものが多かったように感じました。

 全演目を観ることができませんでしたが、上記2演目を目にすることができただけでも願福だったと思います。


ケロケロ(同声合唱)

2019-05-19 01:25:40 | 日々

 先週の土曜日、例によって歌舞伎つながりの知人より、越谷の田圃での鳴き始め情報をもらい、実際案内してもらえる、という約束であったのが、突然の発熱やら鼻孔や喉の腫れのため残念ながら延期とお願いしていたのですが、本日またお誘いいただいたので出かけてきました。ここは越谷市の川柳という地区です。しっかり田の面に水が張ってあり、田植えも済んでいます。

 先日の見沼田圃の見山付近に比べて木々の茂みとかは少なく、以前はまとまった田園地帯だったところが宅地化によって田が減っている地域という印象です。時間は6時半過ぎ、実際は画像以上に薄暗い空でした。それまで聞こえていたひばりの声が止むと、にわかにかえるの声が、、、。人気や車の音で止んでしまいますが、しばらくして向こうからこちらからと次第に合唱の様相になりました。

 田圃の縁を踏んでみても飛び込む様子はないので、水の中で鳴いているのでしょうか。アマガエルとかシュレゲールアオガエルのようなカスタネットの音のような甲高い声ではなくてゲコゲコ、ビッビッ、という感じの声の合唱。姿は全く見えないのですが、ツチガエルとかトノサマガエルの仲間のようなカエルたちでしょうか。

 それにしても今年はじめて聞くカエルの合唱です。来てよかった、、。


縄文展へ

2018-08-29 23:52:59 | 日々

 結論を言えば、もっと早く出かけるべきだったと思いました。会期が煮詰まってきているので当然平日でも混んでいます。この夏、前半は宮城県大崎市内の稲荷神社への半堤式の稲荷の納で手一杯だったのと、この暑さで自転車で出かけるのが心配でした。それと深夜の作業のほうが少しでもしやすいので夜型生活になって日中眠気に苛まれていた。幸い今日はは照っていないので幾分ひりつくような暑さでもなく、雨が心配ではあったものの展示を観終わるまで天気が持ってくれさえすれば帰りはずぶ濡れでもいいかと思って自転車で出かけました。

 平成館の建物入口のテントのところで入場規制をしていました。せいぜい5分10分くらいの待ちだったですが混んでいます。会場内撮影OKではあったのですが、カメラを携帯するのを忘れたのと、ケースが黒山の人だかりで展示品が見えず、しぶとく並ぶのも体力が必要なので無理と思うところは流して近づけるところだけ観て帰ってきました。(これが会期はじめの頃だったら見直しに出かける考えも湧いたかも、、。)

 第一展示室、第二展示室とも集まったという感じの豪華さでしたね。この勢揃いも空前絶後のサミット的な感じで、ひとつひとつを現地に追いかけて観に行くというのは無理でしょう。すべてをじっくり味わったと言えないのですが、第一展示室のはじめのほうにあった尖底土器の単独ケースに入っていたものに何だかわかりませんが粘土紐を編んだような細長い装飾がありすごいと思いました。何を表しているのだろう?、、と。これまであんまり気を入れて眺めることをしなかったので今回改めて驚いたのですが、土器でも土偶でもどうやって作っていたのだろう、、信じられないということを感じました。火焔土器でも尖底土器でもひもづくりで底から積み上げていったのでしょうが、大きさに比べそんなに厚みがないという印象。乾燥させて焼き上げてあの大きさなので成形するときはもっと大きいはずなのと積み上げながら下のほうがへたることがありそうなのに、、。当時の特別な職の人が作ったのでしょうが、地面を掘って土を採取することから始めて、当時は水簸(すいひ)などしなかっただろうから、不純物を取り除きながら練り込むところから始まりますね。

 縄目で文様をつける前に装飾の凹凸をつける道具として2本平行に爪を持つへらのようなもので平行曲線をつけるんでしょうね。NHK特集で紹介されていたように火焔風の装飾に空いている孔がトローチの笛のように入口と出口の孔の間に空間があるようで、観る方向から二つの孔のずれによって月の満ち欠けを感じさせるというのもすごいです。基本的にシンメトリーに展開する文様と「ねじれシンメトリーとも」いうべき配置を持つものもありました。土色もそれぞれ微妙に異なり、当然焼具合も異なるのでしょうが、発掘された遺跡=作られたところ とは限らないのでしょうね。例えば身びいきになりますが、山形県舟形町西の前遺跡出土の土偶が舟形の土なのかということです。ヒップの表現の感じが長野出土のものに感じが似ていますし、群馬出土のハート顔土偶の足腰にも似ています。

 びっくりしたのはまた土器に赤漆が塗られたいるものがあったこと。縄文で既に漆の技術があった?漆って耐熱性があるとかいいますが、塗り終わって乾くまでは傷んだり扱いが難しいとか聞いたような、、。

 第二室の後半から出てくる容器に顔がついている式のものは確かに縄文ではあるのに何か牧歌的な感じがして面白いと思います。どこの何かは思いつきませんが、同じような印象を持ったものが海外にあったような気がします。

 会場では心行くまでじっくりということができず、同時に早くここから脱出したいという気持ちとで葛藤しましたが、これから図録でじっくり味わいたいと思います。(本当なら図録を観てからもう一度観るのが贅沢。)

 本館の仏像や陶磁なども観たかったのですが体力の限界で、そそくさと自転車で帰路につきました。

 博物館を離れ、谷中の裏道の静けさの中で持参のお茶で一息。

 旧・藍染川の流れだった道沿いに北上して田端のお不動様前。可愛い箱庭っぽくて楽しいと思いませんか。

 霜降橋近辺の路地裏で見かけたおしろい花。黄色の花が混じっておらず、ピンクも淡い。あまり観たことがことがないので撮ってみました。昼抜きでお腹が空いていたので急いで赤羽まで戻って最近お気に入りの麻婆豆腐麺とハイボールで一杯やりました。

 

 


お盆さがして東へ西へ

2018-08-23 14:05:25 | 日々

 今すぐ急がなくてもよかったのですが、秋口の催事では小さなどろめんだとかひねり鳩など細かなものはお盆に並べて落ちたりしないようにしていて、例年「みそろぎ人形展」で使っている3枚の角長盆の一枚だけみつかって残り2枚が行方不明なので、探しておこうかと思いつくと、もう我慢できない性分(♪あーどぉにも止まらない♪)で暑さが戻った一昨日の午後は自転車で赤羽→志村→仲宿→十条(パンクして自転車屋さんで直してもらい)→王子→梶原→大関横丁→山谷→かっぱ橋→入谷→日暮里→神谷→東十条→赤羽とまわって心当たりの道具屋やリサイクルを探してみたのですが、「さがすと見つからない」のが常。これまで使ってきた3枚もどちらかといえば何気なく入った店にたまたまあって安かったから先々のことを思って買ってあったというもの。新品を正札で買う根性はなく、ネットで見てもいい感じの中古が見当たらない、、、、、。そこで思い出したのがNHKの「72時間」で観た多摩市永山のBookoffでした。

 そして昨日夕方京王線の橋本行きに乗って出かけてきました。昔明大前にあった高校へ通っていた頃に比べると電車がものすごい高速運転になったみたいで、調布から先の区間はかなり速いですね。京王多摩川以南は数えるくらいしか出かけたことがないので車窓から見える景色も珍しく、梨畑とかかなり山里風の風景の中に開発されたSFチックな家並みが見えたり、ここなら絶対狸が出そうとかカエルが合唱していそうという景色もありました。永山の駅から送迎のバスがあるという前情報は耳に入っていたものの着いたのがもう夕暮れ時だったのでタクシーで行ったのですが道をくねくね、案外遠い感じで知らずに探し探し歩いたら大変なことになっていたかも、、。

 店内に入って食器のコーナーへ。案の定さすが長角盆だけでもかなり揃っています。それと安い。ただ希望どおり100パーセントというものは、、。とりあえず控えの品として2枚ゲット。

 ついでに古着売り場もチェック。お目にかかったことのある方であればご存知かと思いますが、服のサイズで苦労しています。日本のサイズで3L。西洋サイズだとLかXL、場合によってはMでも入ることがありますが、やっぱりこういう大きな店舗でも自分の着れるサイズというとなかなか、、一枚だけ嫌いではない感じで入るのをゲット。古書のコーナーはざっと観て欲しいものはなく、ついでにCDコーナーを観ていたらちょっと聴いてみたいのがあってゲット。

 みつけたお盆はというと、、。この鉄線の花みたいのが残念。でもサイズとしては合格、何とかサンドペーパーをかけるなりして絵をなくしたいですね。もったいない。卵に疵。

 もう一枚のは如何にも蕎麦屋の出前用という感じで抵抗はありません。

 話の顛末をいうと結局行方不明だった2枚が出てきて、、、、

 結局前の3枚のほうがよかったという話。

 それでも「隠れ鉄」というか電車に乗るのと知らない土地に行くのは大好きなので結構楽しかったです。記憶での最古の永山だったか多摩センターだったか、高校生の頃「多摩八十八箇所」歩こうとこの辺りに来たときは車窓から茅葺の古民家が自然に残っていたし、鶴川方面にに抜けるバスのコースが信じられないのどかさだったのを思い出しました。帰りは送迎バスで永山の駅へ、夜も8時すぎくらいだったか多摩市の辺りでは月の光がとても澄んでいて秋風らしき涼やかな風が吹いてました。新宿に戻ってホームの外気がまた熱帯風でマレーシアかどこかに降り立ったような感じでした。同じ都内でこうも違うとは、、、。

※慌てて出かけたのでカメラを持参するのを忘れ、現地や店内の画像は他のサイトからお借りしました。

 

 

 

 

 


濡れ手で粟

2018-08-14 01:00:34 | 日々

 昨日は定期的な通院日で例によって自転車で王子から権現坂を関東ローム層に上がり、昔の藍染川沿いに出かけてきました。陽射しが強い中、しんどい感じでしたが、病院に着く前あたりから空がゴロゴロし始め、病院に着いたところで稲光やらものすごい雨が降り出しました。診察や会計が済んで、帰ろうとしましたが、あんまり強い降りなので待合室でうとうと小一時間待って、まだ止まないので、どうせ暑さでバケツを被ったようになるのと変わらないと腹を据え染井経由でずぶ濡れになって帰りました。雨のせいか気温も楽になり行きほどしんどくはありません。例によって駒込と染井の間にある小さな庭。ここにはミニ田圃があるのでもしや、、、と思い寄ってみました。

 鳴き声はしませんが、畔を踏むと一匹の泥カエルがぽちゃん。雨降っているのに鳴いていないですが遭えてよかったです。

 写真には撮れなかったのですが、、。

 このあいだ気が付かなったですが、ウドの大木。

 東屋からの眺め。いい感じです。

 庭を離れて染井霊園へ向け自転車を進めていると取り壊したばかりの更地が目に入り、ままよ、、、と自転車を降りて地面を見ると、、、、、。

 ぼけぼけですが何だかわかりますか。「竿の雫か 濡れ手で粟 思いがけなく手に入るどろめん こいつあ夏から縁起がいいわえ 」

文字通りずぶ濡れなので粟のようについてきてくれたのでしょうか。

ひととおり周りも物色しましたが、これだけです。昔、豊島区の遺跡報告書で染井の遺跡という巻で今戸の羽織狐(尾張屋型ではなく「あぶ惣」型)の出土が報告されていたのを観て、染井は本郷の外ではあるけれど、植木だの人の往来の盛んなところだったから出てきたのだろう、と思っていたのでその時の印象とつながった感じです。

 染井霊園内のけいとう。雨に表れて葉っぱがつややかな感じ。

 明治通りを越えて石神井川傍の緑地のぽんぽん百日草。美しいというよりキッチュな感じで農家の庭先なんかによく植えてある花。日持ちがよくてすぐに切って仏さまにお供えしているのを昔よく見ました。そういう意味で懐かしい夏らしい花だと思います。由美かおるさんとか水原弘さんの傍に咲いているというイメージです。この花は雨で濡れているより強い日差しの中カラカラな感じに咲いているほうが似つかわしいかと思います。それと染井の辺りで焙烙で迎え火をやっているお宅がありました。わが家は先月済ませたので今日が入りの日だというのをうっかりしていました。

 家に帰って古歯ブラシでそーっと洗って、、。蜘蛛の巣の模様のようです。

薄葉紙で擦りだしてみました。妖術とか妖怪とか子供好みの趣向でしょうか。


どろめん三昧

2018-08-03 23:49:00 | 日々

 今日は千葉市のどろめんの研究家の田中和夫さんのご厚意ではるばる赤羽まで資料をお運びいただき、4時間弱の間、ひとつひとつの資料についてご説明をいただきました。わが家の中では整理が悪くてお通しできないので、町内の自治会館の一室を貸していただいてテーブルの上で拝見しました。田中さんの資料は全て千葉県内の畑から出土したものだそうで、40年近く拾い集められた集積で、私も若い分畑を歩いたことがあるので、その時の印象と重ね合わせてお話を拝聴しました。畑からはいかにも今戸の土色のどろめんに限らず、投網の重しだとかガラス製のおはじきだったり石蹴りだったりと、幅のある年代のものが表土に表れていたもので、なぜ、畑から出てくるようになったのかということについてもお話を聞いて目から鱗な内容でした。

 同じ地域にある畑でもこうしたものが出てくる畑とそうでない畑がある理由として、その当時畑だったところには豊作を願って土に埋める風習があり、牧場だったところはそうではなかったということです。また江戸市中の厠から汲みだされる肥に混ざって泥めんや人形のかけらが混ざって運ばれ、畑に播かれたものが結果として土製のものが地中に残ったという説を私も聞き憶えていたものですが、江戸の近世遺跡の遺構の厠から畑から見つかるような土製品がみつかるという例はないそうで、「肥に混ざって」という説はほどんど可能性がない、ということです。

 ガラス製のおはじき、めんこ、石蹴りの形状と製作方法、形の意味するもの、背景など、ひとつひとつ追及された内容をご紹介いただきました。興信牛乳の蓋だったという磁器製の破片もありました。

 昨日日どりが決まってお声かけした中から足を運んでくださったみなさんもありがとうございました。画像は「亀乗り童子」と呼んだらよいでしょうか。片面の人形で3センチ余りの大きさですが彫が細かくよくできた人形で、「どろめん」というより一文人形の一種というのでしょうか。フルコースのようにたくさんの資料を拝見した中で一番好きな人形です。

わざわざ運んで貴重な資料とその背景について丁寧にお話くださった田中さん、足を運んでくださったみなさんありがとうございました。まさに眼福、耳福の午後でした。


ネタ集め

2018-04-28 03:25:38 | 日々

 

 今日はどんよりとした曇り空で雨が降るかもしれない、という予報も聞いていたのですが、朝から自転車で走りまわっていました。わが家の地主であるお寺さんへ行き、区民事務所に寄り、王子の区役所、それと病院に手続きに行き、それならついでに、上野に寄って今後の作業のためのネタを集めて来ようと足を延ばしました。不忍池の水面に顔を出している蓮の新芽。

 昔聞いた話では、「蓮めし」という季節の料理が池の畔の料理屋の名物だったそうで、それは蓮根ではなく、若い葉っぱを刻んで炊き込んだものらしいのです。

 不忍通り沿いの入口から動物園に入りました。近い割には近年いつも素通りしていたので本当に久しぶり。ただ急いでいたので西園だけに寄りました。子供の頃は両親とじっくり観てまわったもので、まだ「お猿の電車」があった頃でした。今パンダで大盛況のようですが、見学の制限があるようです。知らなかったのですが、今はキリンは西園なんですね。勘違いかわかりませんが、昔は東園ではなかったかと、、。

 じっくり見学したいところですが、用を足して自転車で再び移動。

 アメ横「二木の菓子」向いの「摩利支天さま」へ。この辺りは人出が多いので自転車は降りて押しながら進みます。

 法華太鼓の音が賑やかで、外国からの観光の人々も物珍しそうに境内に引き寄せられてきます。寺務所の方に質問をして教えていただいて帰ってきました。今日も図らずも「藍染川」の流れだったところを往来してきたという感じです。話では藍染川の流れは染井の辺りから始まると記されていますが、もともとは石神井川が滝野川から南下して作った谷間だという話もあり、駒込、田端、道灌山下、谷中、根津を経て不忍池に注ぎ、池から三橋(今でも甘味の「みはし」がある)から南下、現在のアメ横あたりを東に曲がり昭和通りを過ぎて、清洲橋通り辺りでまた南下して「三味線堀」につながっていたというので、まさに摩利支天さままではほぼ藍染川に沿っての移動でした。いつ雨が降るか心配だったのでまっすぐ帰りましたが、寄りたいところあまたありもったいないですね。でもとりあえずネタは少しでも手に入ったので満足です。


思い出人形展

2016-09-28 23:19:02 | 日々

 昨日今日と明治神宮へ行っていました。

今週末はもう10月。日曜日10月2日は明治神宮の「人形感謝祭」です。長年生活を共にした大切な人形に感謝しながらお別れする日です。それに伴って、あさって9月30日(金)より人形感謝祭当日まで神宮神殿の東側にある社務所1Fにて例年とおり「思い出人形展」が開催されます。午前9時~午後4時。(入場無料です)

 毎年ブログでもご紹介していますが、この展示は「人形感謝祭」が始まった年から昨年まで、神宮へお別れに持って来られた人形たちの中で、資料的な価値のあるものをお祓いのあと、神宮宝物殿となりの倉庫で保存されてきているもので構成される展示会です。私も毎年この展示の準備や片付け、「人形感謝祭」当日の資料選定や収納などの作業をお手伝いさせてもらっています。

 日本人と人形とのつながりといいますか付き合い方というのは、独特だと言われているようですが、多くの場合、顔や体のあるものというものは一緒に遊んだり、過ごしているうちに家族兄弟のように親しく、情の湧いてくるもので、一生一緒でいられることが理想ですが、人生の中の節目でどうしてもお別れしなければならない機会があったりします。そのとき顔のついたお人形でもぬいぐるみでもロボットのような姿のものでも、簡単に「ゴミ」として捨てることには抵抗があると思います。そうしてお寺様だと「人形供養」、神社だと「感謝際」という形で最後のお別れをして、神職の方のお祓いを受けて、穢れや魂を抜いて、さよならするという感じでしょうか。毎年本殿の回廊に集まった人形たちと名残を惜しんで、記念写真を撮っていらっしゃるご家族の姿を目にします。そういう中から資料として保存されているお人形が、ここで展示されています。ひとくちに人形といっても古今東西幅が広いですね。お雛様や五月の節句飾りから抱き人形、縫いぐるみ、その時代時代の流行のキャラクターやヒーロー、また作家や名工による作品、郷土玩具にこけし、世界の風俗人形までさまざまです。先日倉庫から出して虫干し、選定された人形を、昨日今日で、ここの会場に展示作業をしました。

 さまざまなものが並んでいますが、きっと、「こういうの家もにあった」とか「持っていた」とか懐かしい人形に出会えるのではないかと思います。

 現在神宮本殿の回廊のメンテナンス中のため本殿への通路が通常とは異なるそうですが、ここの展示会場はその迂回通路脇にありますので、近くにお出かけの方、神宮へのお参りの方、お寄りになられてはいかがでしょうか。

明治神宮「人形感謝祭」のサイトへ→