東京の土人形 今戸焼? 今戸人形? いまどき人形 つれづれ

昔あった東京の人形を東京の土で、、、、

お知らせ「みそろぎ人形展」2021

2021-09-03 12:55:50 | 日々

 恒例の「みそろぎ人形展」のお知らせです。主催者より今回用のDMが送られてきました。
今年の開催は9月でも下旬になるようです。会場はいつもと同じく丸の内丸善オアゾ4Fのギャラリー。会場内の自分のブースもいつもと同じになるのではないかと思います。
 べにや民藝店さんでの作品展が終わって以来、新たに型抜きして支度していますが、今回はみそろぎ展に加えて、そのあとのお納めの支度が重なっていて、しんどいですが、みそろぎ展に関しては、いつものような展示ができることを目標としていますがどうなるでしようか。ひとつくらい新登場があったらよいのですが。

月命日に遅れて…

2021-08-13 01:05:29 | 日々
 
 べにや民芸店さんでの作品展。無事終了しました。ありがとうございました。期間中、訪ねてきくくださったお客様の中には、十五夜さんのことをお悔やみくださる方もおいででした。壁面に飾っていた広重の錦絵「浄るり町繁花の図」こそは、十五夜さんが行方不明になったとき我が家に舞い込んできたもので、嘉永5年の丸〆猫大流行の発端となった「武江年表」に記された物語そそのものの地をいくような出来事で十五夜さんの置土産だったのではないか、と思ったものでした。幸い当時、十五夜さんは再び家に戻って来てくれたのでした。
 今はなき、月見草の監督が「まあくん神の子不思議な子」という名言を残されましたが、我が家の十五夜さんもまさしく、「神の猫さん」だったのだとおもいます。
 会期中で8月の月命日にはお参りできませんでしたが、会期が終わったあとの一昨日板橋まで出かけてきました。暑いのと、コロナ対策のためか、お堂の玄関が珍しく開け放されていました。

 不思議なことに作品展の3日目の夜、帰宅して風呂に入った後、暫し休んでいたつかの間、十五夜さんが現れました。「こっちだよ。」といって呼んでいるのです。抱き上げるとすごく重い。いつもより饒舌な十五夜さん。というのも、よくよく考えると、いつもの十五夜さんの言葉ではなくて、日本語でした。声はオウムみたいだったとおもいます。
 月命日より前だったのに何か伝えることがあったのでしょうか。
作品展へ訪ねてきてくださったお客様と十五夜さんの思い出話に及ぶと、つい涙腺にこみ上げてきて、溢れないように必死でした。大人気ないかもしれませんが、今でも、無意識に名前を呼んでいたりします。
 やっとお参りできました。暑かったですが、涼しい風が吹きました。

残り2日と与市兵衛

2021-08-08 03:34:30 | 日々
 
 先週土曜から開催中の、べにや民藝店さんでの拙作の作品展。残すところ明日あさっての2日間となりました。巷での厳しい状況のなか、はるばる足を運んでくださるお客様、何度も足繁くお越しくださった方もおいででありがたく感じております。毎日更新される新規感染者数、猛暑などおもえば、そんななかお越しくださったみなさん、本当にありがとうございます。開催中には目の前のことで頭がいっぱいで開けた展示の様子など、この場でご紹介を、と思っていたのですが、叶いませんでした。申し訳ありません。
 開催前の記事でこういうものを完成させて出してみたいと記したもののうち、「与市兵衛」とか「火の用心」と巷で呼ばれている型の人形については、一番あとまわしになってしまって、先ほどやっと試し塗りしたところです。「与市兵衛」として塗ってみました。本郷、東大の構内あたり「真砂町遺跡」からこの型の色のとれてしまった人形が出土されているので、今戸でも作られていたのであろうという思いが先走りしていました。箱根山の西側にはご縁が薄く、これまで出かけたこと、指で数えるくらいしか機会がなく、郷土玩具、郷土人形についても箱根山の向こうのものには接する機会がないので、知らないことばかりですが、どこかの古民具の催事で大きなサイズのニス塗りされた「与市兵衛」らしき人形が並べられていたのを見た記憶がありましたが、稲畑人形かどこかのものかと思っていました。
 真砂町からみつかった人形にはどんな彩色がなされていたか皆目わかりませんし、相良人形で「火の用心」として作られていたものや伏見人形らしきものも見かけたことがありますが、芝居好きとしては、忠臣蔵5段目に出て来るお軽のお父さんとしてのなじみから、「与市兵衛」として塗ってみました。実際の舞台に登場する与市兵衛は羽織を身に着けておらず、裾をからげています。錦絵に描かれている姿ではまっ茶色(弁柄のような色)の着物に描かれていることが多いですが、実際舞台で観ている姿は絵の具の「代赭色(たいしゃいろ)」みたいな色なのでそのように塗りました。婿の勘平の為にお軽の身売りの代金を受け取りに出かけるので羽織を羽織ったりする礼儀で黒の羽織か?という勝手な推測。手にする小田原提灯は舞台では無地だったような気がしますが、試しに「与」の字を書いたもの、もしかすると大文字屋で借りた提灯なら「大文字屋」か店の紋入りでも…と空想したもの、あとひとつ、知り合いで舞台の小道具関係の人から聞いた話で院本狂言の世話屋台に掛けられている暖簾によくある早蕨みたいな文様が提灯に描かれている例もある、ということなので、そのようにも塗ってみました。
 あくまで空想して塗ったもので、「火の用心」の人形として塗るならば、もう少しカジュアルなお爺さんになるのだろうか?などと空想はつづきます。
 試作として塗った3体だけなのですが、毎度ご贔屓にしてくださるお客様が観てみたいというご要望なので、ご覧いただこうと思っています。
 台風通過の予報もありますが、明日は、店内の木机の上でひねり鳩の彩色をしてみては?というご提案をいただいたのでそうしてみようと思っています。

FANみそ!展前日インタビュー

2020-08-25 10:40:26 | 日々


 昨日今日でFANみそ!展の会期中日で、来週火曜日が最終日(最終日のみPM4:00で終了)までです。
昨夜主催者から会期前日の準備の様子の動画がら、私がインタビューを受けているところを編集したものができたというおしらせをいただきまして。その動画に映っている人形の中にはすでに売り切れてしまったもの(例えば「みみずく」)も含まれていますが、ご案内申し上げます。毎度のことながら、写真や動画に映っている己が姿を客観的に認識するということは、心臓に悪いというか、例えていうなら「がまの油」自分では作為的にこう動き、話しているつもりではないのですが、ひとことで言えば「変」です。「いかにも只者ではない」「妖しい」という感じ。このように生まれ落ちたことを憂うのではありますが、努力してどうなるものでもなく、たとえ変でもまっとうに生きているつもりです。見世物のようですがお時間あれば....。

こちらから→

ケロケロ初音(見沼田圃)

2020-05-10 20:34:33 | 日々

 一昨日の夜、越谷市内で勤務しているケロケロ好き仲間から電話があり、ついに田圃で初音が聞こえたたとのご注進。そして話の背後には合唱が聞こえたのでした。
 去年の今頃は越谷の合唱スポットを案内してもらたあと、新越駅前で乾杯して家路についたのでした。
 しかし今年はこういうご時世でもあり、乾杯などしていたらロシアンルーレットになるのか怖いし、電車やバスに乗りたくない。

 やっぱり初音を聴くなら見沼田圃のお気に入りスポットで、でも電車やバスに乗るのは嫌なので、昔のキネヅカをとってチャリで…。昔ウルイとかわらびや玉の大きな野蒜を取りに見沼まで来ていたのですが体力に自身がなくなって心配ではあるものの、思い切ってやってきました。

 やっぱり静かで木々や草花いっぱいでいいところ。ひばりの声。

 ぶどう棚や梨の棚の遥か遠くに多摩か秩父方面の山並みが、さいたま新都心のビル群も小さくみえます。

見沼代用水の東側の流れに沿って今辛うじて稲作がされている総持院付近、見山、加太を訪ねる積もりでした。 
 総持院の手前にあった巨大な龍。こういうの西新井大師近くの神社でもやっているけど、この大きさ‼

 総持院近くの流れはコンクリートとか鉄骨を使わない昔ながらの岸。

 そしてやっと着きました。総持院前の田圃です。



 まだ、水を流し入れて代掻きの時期なんですね。でも姿こそ見えないもののくわっくわっと鳴いているのは聞こえてきます♡
 畦にはヨメナの葉っぱ(たべられます)やヘビイチゴが…。 
 そしてさらに代用水をさかのぼって今日の北限、加太へ。

 こちらもまだ代掻きのようでした。でも鳴き声は聞こえてきました。


 畦に咲いているアザミみたいな花。

 カントウタンボポとセイヨウタンボポが絡まって咲いています。地面の栄養がよくてすくすく咲いています。


♫あかしやの雨にうーたれて このままーあ…♫

 これはミズキ???

 水面の枝にミドリガメ?
行きはよいよい 帰りはへとへとになったけれど、初音は聞こえたし大満足でした。

 埼玉県と東京都の県境の荒川大橋を渡ってぶじ帰宅できました。

彼岸の入り

2020-03-18 00:19:57 | 日々

 今日からお彼岸。雨の心配もないので、今戸の尾張屋さん(最後の生粋の今戸人形の作者であった 尾張屋・金澤春吉翁 明治元年〜昭和19年)のご墓所へお参りをはじめ自転車でかなり回ってきました。他の野暮用もバッティングしてしまったのですが、何よりもお参りが大切なので朝早々に家を出て今戸に向いました。急いでいたのでいつもお供えの花を頼んでいる北区神谷の花屋ではなく、途中、下谷の小野照崎神社近くの花屋さんでいつもと同じ予算で作ってもらったのですが、花屋さんで同じ予算で頼んでも嵩というかボリュームがこんなに違うのか?と思いました。お寺さまでお線香といっしょにいただいた「しきみ」を一緒にお供えしていますが、いつもにくらべて盛が良くない気がして尾張屋さんにお気の毒な感じがしています。その代わりでもありませんがお掃除は余計にじっくりさせてもらいました。

 お参りの後の野暮用というのは生まれてはじめてのことなのですが錦糸町にある警視庁の交通何とかというところへ「出頭」ということでした。あんまりうれしい話でもありませんが、錦糸町へ行く機会もありませんから、行く理由になりました。

 その代わりにうれしかったのは道すがら家を壊した更地でお天道様を浴びて染付の破片がキラキラしていたのでながめていたら、やっばり落ちていました。どろめん。

 ♫人生楽ありゃ苦もあるさ〜♫ の反対ですね。染付の破片も時代巾があって印判手もあれば初期伊万里風の色味のようなのもあったのですが専門ではないので…。

 錦糸町から両国まわりで神田に出て、古本でも…と思っていたのですが朝食以降何も食べていないし、おいしそうな店が山ほどあっても体に毒な気がして三味線堀、佐竹経由で湯島に出て、不忍池、根津、谷中、駒込、滝野川経由で帰りました。咲いている桜もいいけど若葉の柳がきれいでした。


4年に一度のご命日

2020-02-29 15:06:38 | 日々

 今戸人形の生粋の最後の作者であった 尾張屋・金澤春吉翁がお亡くなりになられたのが昭和19年の2月29日であったため、ご命日は4年に一回の閏年(うるうどし)にやってきます。例年は2月28日にお参りさせてだたいていますが、今年こそうるう年で29日にお参りさせていただきました。今日はこの上ないよい天気に恵まれ、自転車で往復してきましたが、道中ところどころでさまざまな花を目にすることができました。桜が咲いているところもあります。

 尾張屋さんに予め電話でお許しいただいてから出かけたわけですが、尾張屋さんは昨日お参りされたようで、新しいお花が既にお供えされていたところに私がお持ちした花も割り込ませていただいて何だか窮屈な感じになってしまいました。

 まずはお参りさせていただいて安堵しました。


ご開帳(尾張屋さんの今戸人形)

2020-02-15 13:35:21 | 日々

 昨日天気の崩れが無さそうなのを当て込んで現在開帳となっている尾張屋さん(最後の生粋の今戸人形の作者であった 尾張屋・金澤春吉翁 明治元年〜昭和19年)のご遺族から両国の江戸東京博物館へ寄贈されたお人形に会いに自転車で出かけてきました。

 画像は出口横の記念品売り場で図録とともに販売されていた絵葉書のひとつです。

 現在開催中の企画展のパーツのひとつとして三浦乾也と隅田川沿岸の窯業という

括りの中に展示されていたのでした。上の絵葉書の画像の人形がひととおり並んでいました。同じ括りのコーナーには三浦乾也の作品に加え、今戸人形の作家として名前の記録されている戸澤弁司による鳥井京山像という大型の肖像や百花園焼佐原きくう作の都鳥香合などと共に春吉翁の人形が雛壇式に180℃角度のガラスケースに展示されていました。

  残念だったのは乾也の作品や戸澤弁司の作品が360度から観ることができるケースだったのに、尾張屋さんの作品は180℃しか観えない展示になっていたこと。今戸の人形の多くは前面のみの彩色で裏は省略されていることが多いけれど裏面の彫りにも観るべきものはあり、展示者の独断により、その可能性が封じられてしまうのは悲しい限りでした。

 また展示コーナーにより撮影可否の表示が示されているのですが、春吉翁のケースは乾也やきくう、弁司と抱合せのためか、禁止ゾーンになっていました。既得利権とか記念品売り場のテナントの売上貢献のためかわかりませんが、過去の常設展示では撮影についてフラッシュ以外縛りのなかったものが今回は禁止になっているという不思議さ。

 まあそれでも春吉翁による(江戸以来続いた正真正銘の)今戸人形が開帳になっているのは目出度いこと。

余談ですけど会場出口の横で売られているにんぎょうは…?こう言っては何ですが便乗商法?春吉翁の娘さんのはなさんが最も危惧していたシチュエーションなのでは…とか案じてしまいました。


お納めで銀座へ

2020-01-25 00:00:37 | 日々

 このところお納めで動いていますが、今日は銀座の「たくみ」さんまで自転車で出かけてきました。その途中の不忍池。枯れた蓮の茎の温かみのある色が弁天堂の緑青色とのコントラスト。葉っぱのない柳の枝もなかなか。

 東京駅丸の内側の駅舎は大きすぎて全体が入りません。

 そして銀座「たくみ」さんへ。天気が崩れるのが心配で、とりあえず自転車用ポンチョやその下用のそでなしダウンベストも持っていきましたが使わなくてよかったです。途中寄り道したいところがたくさんありますが、今日はパス。何で自転車でわざわざといえば、電車とかバスとか人混みにはいるのが…。マスクをして出かけました。往復で唯一寄り道したのは末広町の近くの輸入食品屋さんで、最近気になっていた、デーツ?というナツメヤシの実の乾物をはじめてゲットしました。赤羽では探しても見つからなかったので今日がはじめてでした。

 「たくみ」さんへのお納めはまだ残しているものがあり、できあがったらまたお持ちしたいです。


心配 十五夜さん

2020-01-16 12:15:17 | 日々

 昨年の暮れ、ちょうど羽子板市の中日に十五夜さんが2泊3日で入院し、手術を受けました。それからもうすぐひと月けいか。途中年末年始に経過観察のため通院しました。抜糸も済みましたが、念のため次の通院まで重装備でいます。

 ここで困っていること。入院中から服薬のため粉薬をちゅーるに混ぜていたのですが、ちゅーる中毒のようになってしまっていることです。前から食べていたドライとウェットのご飯に口をつけず、とにかくちゅーるを要求目線なのです。

 服薬期間は薬のために混ぜて、余った分をご飯に混ぜれば忘れた頃にある程度食べてくれていたのですが、今ちゅーるはまだあるけれどあげないことに越したことはないのだけれど…。中毒から抜け出してほしいです。


民藝 2020年1月号

2019-12-28 15:06:50 | 日々

 先立って日本民藝館の学芸員の村上さんからの取材をいただき、雑誌「民藝」の誌面でお採り上げくださるというありがたいお話。昨日発行の1月号が今日届き拝見しました。

「世界の人形」という特集のなかで現在の制作者という括りのなかで、琉球張子の豊永盛人さんとならんでとりあげていただいています。

 身に余る光栄というか、とにかくありがとうございました。


お知恵をください。

2019-12-22 10:15:28 | 日々

 牛乳も豆乳も大好きでよく飲みますが、このところ悶々としているのが、豆乳の空きパック始末のこと。パッケージにはプラスチックのきゃっぷの取り外し方やパックの開き方とともに「リサイクル」と明示されています。しかし実際自分の住む東京北区の広報での「ゴミの出し方」「リサイクル」の欄には牛乳パックはリサイクル対象なのにアルミパックは「燃えるゴミ」として出すよう指示されているのです。裏側のアルミ箔さえ除去すれば新聞や古紙の準じて処理されるものなのかどうか?こんなにしっかり分厚い資材なら何か再利用できないものなのか。あるいは自転車で持ち込んでリサイクルに供してくれるところはないものか。お知恵をくださいませんか。


羽子板市 2019

2019-12-17 15:12:09 | 日々

 この数日、心配な腫れのほうは結果として小康状態ですが、ヘルニア由来の右脛から人差し指にかけての痛みがひどく直立できない場面があったりします。今日は整形外科のDr.の予約日。雨降っていますが、歩きと電車バスでの通院は試練のレベル。ポンチョで自転車での通院ならぱ、羽子板市の初日でもあり、浅草まで出かけ、お世話になっている吉徳さんの露店にお邪魔させてもらってから、病院にまわって帰宅。自転車を漕いで痛みが和らぐという期待もありました。赤羽を出たときは雨足弱かったですが、ポンチョで重装備でしたが、豊島、堀船、小台、宮の前、赤土小、宮地辺りまで進んだころ止んでいました。東日暮里、根岸、金杉、千束から国際通りに入って観音様に到着。

 早速お世話になっている「吉徳」さんの露店へごあいさつに。あいにくの雨ですが、朝から招き猫や干支のねずみのために待ってくださるお客様がみえたとのこと。ありがたいです。「大黒天ねずみ」はすでに売り切れ。ありがとうございます。「鳩笛はないか?」とお訊ねのお客様もおいでだったそうです。出せばよかったです。

 露店でお喋りしていたところ、お客様からたずねられたことなのですが、「仲見世で

吉田さんの丸〆猫そっくりの招き猫が売られていますが、吉田さんのお作ですか?」残念ながら拙作ではありません。仲見世の某店が拙作のを真似させて売っているのが現状です。大きさがちがいますが、圧倒的な違いは招く手の高さです。某店のは手を耳の高さを超えて不自然に高いです。拙作のはできるだけ昔のものに倣って不自然な創作をしたくないので手は耳の付け根の高さです。

 某店の旦那さんの理屈では江戸の招き猫は精一杯高くまねかなきゃいけない、ときいたことがありますが、それが本当であれば、出土品なり伝世品なり絵画なりに記録されているはずで、それを確認していれば、自分でとっくに造形していますが…。

 自分としてはあまりあざといことはしたくないです。こればかりはお客様のお好みしだいで、拙作のように小手の利かないぶっきらぼうな人形を好いてくたださる方、こてこてきれいきれいなのがお好きな方さまざまだと思います。

  

 吉徳さんの露店前でつい油を売ってしまいました。お世話いただいている皆さんにお礼申し上げ、病院へむかいました。その後雨が降らずラッキーでした。


国立劇場11月歌舞伎公演

2019-11-21 21:04:49 | 日々

 9月の歌舞伎座の秀山祭を見たいと思いつつ結局行けず、先日の入院中に偶然知ったこの公演、退院したらこれ観ずして後々の後悔とばかり今日出かけてきました。この演目「日向島」(今回の演題では嶋になってますね。)滅多に上演されることなく、昭和の戦後は現・吉右衛門丈の父上・初代 松本白鷗(8代目幸四郎)さんが昭和30年代に文楽座の綱大夫さん、弥七さんと組んで上演したというのが伝説のような話。その後昭和40年代にここ国立劇場で演じられた。そして現・吉右衛門丈が一度演じられたという話は聞いていますが、その時は観ていないので、今回はじめて観ました。能で「稀曲」という言葉があるように、この演目に関しては、戦後でも4回目くらいの上演という稀なもので、役者さんと義太夫節の技量がそろわなければできないもののようです。名前だけ歌舞伎雑誌や案内書の中で目にしたことはあっても観るのがはじめてです。昭和30年代の上演の際、文楽座の大夫さんが歌舞伎役者の舞台に出演するということがタブーだったと聞いています。今回の義太夫は歌舞伎の竹本の太夫さん(文楽座は大夫、歌舞伎は太夫)葵太夫さんがつとめていましたが、熱演されていました。日向島の場面、盲目になった景清の心の葛藤と絶望、実の娘との出会いによって源氏への恨み、平家への忠節を捨て、晴れ晴れとした船出までの流れが義太夫と役者さんの力の拮抗で進んでいくという感じ、いわゆるチョボという感じではないですねもっと圧の強い感じ。自分もそうだったのですが、目元に手がいってしまうお客さん少なくありませんでした。

 今日は奮発してすごくいい席。

正午開演なのでデパ地下で日本橋弁松か亀戸升本のお弁当を調達して行くつもりだったのが、時間の余裕がないので新宿駅構内の駅弁屋さんで買った弁当。

 普段の食事よりカロリーがありそうな感じですが、今日くらいはいいか?と、、、。

文楽での日向島の上演はあっても観たことがなく、歌舞伎ではじめて観れた、それも吉右衛門丈がいればこそ。歌舞伎座でも国立劇場でも吉右衛門丈のユニットによる上演は素晴らしいです。ここ数年の国立でも上演演目どれもよかった。

 本当は予習して舞台を観るのがいいのですが、、。岩波文庫の「素人浄瑠璃講釈」に「日向島」載っていたような気がするのですがどうだったか、買ったものが家のどこかにあるのに行方不明です。まあこの本「素人」と名がついているけれど難しい内容だという印象ですが、、。

 今日は行ってよかった。