同じ人形に関する記事でちょっとしつこいかな?とも思いますが、、、。
先日大量の裃雛をお納めしたのは浅草橋の「顔が命」の吉徳さんです。吉徳さんの旧本社ビルは昨年取り壊しになり、新築工事が進んでいましたが、この8月にめでたく落成となる運びだそうです。そして落成の新本社ビルのお披露目が予定されているそうです。その記念として関係者方々への記念品として、今回「裃雛」を作ることをお任せいただいていたのです。
吉徳さんは数年前に創業300年を迎えられた老舗で、創業以来現在の地で代々営業を続けられてきたそうです。話は昨年取り壊された旧本社ビルが新築工事にあった昭和40年代のはじめ、地面から木箱が発見されその中から大量の裃雛や鉄砲狐などの今戸人形が色の取れかかった状態で出てきたことに始まり、嘗て吉徳さんで今戸人形を取り扱っていたことを裏付けることになります。
また実際今戸人形最後の作者であった尾張屋・金澤春吉翁(明治元年~昭和19年)が箱庭細工を吉徳さんへお納めしていたこともあったそうです。吉徳さんでは春吉翁を「土春さん」と呼んでいたそうです。現在吉徳資料室長を務めていらっしゃる小林すみ江先生も幼い頃、法事に春吉翁が来たのを観たそうです。
同じ土地に今回新築落成の記念として、木箱から出てきた色の取れた裃雛から型どりして、材料の土も吉徳さんの地面の土を使って作ったのが画像の人形です。
普通人形から型どりして人形を作ると、土の収縮から最低でも8割以上小さくなるものですが、今回はあまり小さくならないよう、ちょっと工夫して収縮を抑えたつもりです。
お納めが滞ってご迷惑おかけしないよう、あまりひどい出来だと申し訳ない、など心配しながら作るのをすすめてきましたが、数日前無事お届けしてほーっとしました。
自分として今回作らせていただいて、身に余る名誉なことだと感謝しています。
次は例年のように浅草三社様境内の「被官稲荷さま」の鉄砲狐を作り貯めしていくと同時に頼まれている丸〆猫やその他の人形、来年の干支も急いで始めなければなりません。
来年の干支は「羊」という地味なものなので、どうなりますことやら、昔の今戸人形としてお手本になる作例はひとつしか確認できません。
古い時代の裃雛については過去の記事でとりあげていますのでご参考までにどうぞ。
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