べにや民芸店さんでの作品展。無事終了しました。ありがとうございました。期間中、訪ねてきくくださったお客様の中には、十五夜さんのことをお悔やみくださる方もおいででした。壁面に飾っていた広重の錦絵「浄るり町繁花の図」こそは、十五夜さんが行方不明になったとき我が家に舞い込んできたもので、嘉永5年の丸〆猫大流行の発端となった「武江年表」に記された物語そそのものの地をいくような出来事で十五夜さんの置土産だったのではないか、と思ったものでした。幸い当時、十五夜さんは再び家に戻って来てくれたのでした。
今はなき、月見草の監督が「まあくん神の子不思議な子」という名言を残されましたが、我が家の十五夜さんもまさしく、「神の猫さん」だったのだとおもいます。
会期中で8月の月命日にはお参りできませんでしたが、会期が終わったあとの一昨日板橋まで出かけてきました。暑いのと、コロナ対策のためか、お堂の玄関が珍しく開け放されていました。
不思議なことに作品展の3日目の夜、帰宅して風呂に入った後、暫し休んでいたつかの間、十五夜さんが現れました。「こっちだよ。」といって呼んでいるのです。抱き上げるとすごく重い。いつもより饒舌な十五夜さん。というのも、よくよく考えると、いつもの十五夜さんの言葉ではなくて、日本語でした。声はオウムみたいだったとおもいます。
月命日より前だったのに何か伝えることがあったのでしょうか。
作品展へ訪ねてきてくださったお客様と十五夜さんの思い出話に及ぶと、つい涙腺にこみ上げてきて、溢れないように必死でした。大人気ないかもしれませんが、今でも、無意識に名前を呼んでいたりします。
やっとお参りできました。暑かったですが、涼しい風が吹きました。