チェロ弾きの哲学ノート

徒然に日々想い浮かんだ断片を書きます。

種としての生命と一個体の誕生から死まで

2012-07-08 09:58:02 | 哲学

12. 種としての生命と一個体の誕生から死まで

 一粒のエンドウの種子を植えると、芽が出て、葉を広げ、葉緑体が日光と水と炭酸ガスをもとに糖類を合成し、花を咲かせ秋には枯れる。種子は、芽を出す条件が整わなければ、数年に渡って生きており、条件が整った時、芽を出します。時には、数百年後に芽を出すものもある。

 しかし、種子も一度死ぬと決して芽を出すことはない。このことは、生命は30億年前に誕生してから、進化し、多様化し、250万種又は1千万種のすべての個体は、一度も死を経験することなく(個体は死を経験する前に次の世代に命を繋いでる)、生き続けてきた存在である。

 生きるということは、エントロピーに逆走することである。生きている個体に於いては、エントロピー増大の法則のために個体の秩序を乱してくる。このために生物は、古い細胞を破壊して、自ら新しい細胞に入れ替える代謝によって、エントロピーに逆走している。人の体の各細胞も1年くらいですべて入れ替えるくらいの周期であることが放射線同位元素の動きによって確認されている。

 エントロピー増大の法則は、容赦なく、生体を構成する成分にも降りかかる。高分子は酸化され、分断される。集合体は離散し、反応は乱される。タンパク質は損傷を受けて変性する。

 しかし、もしやがて崩壊する構成成分をあえて、先回りして、分解し、このような乱雑さが蓄積せる速度よりも早く、常に再構築を行うことができれば、すなわち代謝によって、生命体の秩序を保つことができる。(生物と無生物のあいだ 福岡伸一)

 生物は個体発生の進化の歴史を繰り返して、誕生してくる。人間がどのように生まれるか、女性の卵巣には、子供の時代にすでに一生の間に排卵する分の卵子は用意されており、それが14~45才の間に、ランダムに生長し、月に1回程度の周期で排卵される。この時、精子を得てDNAが完成され、細胞分裂を行い、魚類、両生類、爬虫類、哺乳類、類人猿を経て、人間の赤ちゃんとして生まれてくる。

 DNAには、何か分岐点での標指板のような事柄が書かれているが、卵子の核からの細胞分裂は、ほとんどの部分は生き続けている卵子の中に存在する。母親の卵子は一見、母親の体の一部であるが一方では別の生命体である。受精した卵子は、血液型からそのDNAも別人格である。

 この事は、自分の卵子が生長するために、親は生きるための駆動力を得ているようにも見える。サケが産卵のために川を遡って、産卵して親魚の生命を終えるということは、卵巣の卵子が、生命のためのドライブの一つであると考えられる。個体としては死を迎えるが種としての生命体は、連続して生き続けている。

 動物のメスが、より美しい、より強いオスを選択して、その遺伝子と接合して、種としてより多様な適用力のある強い遺伝子プールを持つことによって、種としての生命の連続性を確保し、生命は種として、エントロピーに逆走している。(第15回)