チェロ弾きの哲学ノート

徒然に日々想い浮かんだ断片を書きます。

火、鉄、蒸気機関、内燃機関、タービン、電気(その4)

2012-08-01 10:09:48 | 哲学

16.3 火、鉄、蒸気機関、内燃機関、タービン、電気(その4)

 オットーが熱効率のよい4サイクルのエンジンを世に出すと、もっと新しいエンジンを生み出そうとする人が現れた。ルドルフ・ディーゼルである(1844~1913)

 ディーゼルは、工業高校に入り、空気式ライターに興味を持って実験を繰り返した。それはガラス製の円筒状の長いシリンダーで、シリンダーの中にはピストンがあり、上部のふたから手で押すためのハンドル、下部のふたの中間には小さな発火部が置かれ、そこに燃料があれば、ピストンを手で圧縮すると内部の空気は熱くなり、発火する。

 そこでディーゼルは、理論的なカルノーサイクルをいかに現実のエンジンとするかを考えるようになった。ディーゼルの考えたエンジンは、基本動作サイクルはオットーの発明した4サイクルであるが、
 第1のストロークは、空気のみの吸入し
 第2のストロークは、空気のみを圧縮し
 第3のストロークは、燃料を高圧・高温の空気中に吹き込み等温燃焼させる
 第4のストロークで、排気バルブを開いて排気するサイクルを考えた。

 ディーゼルエンジンは空気のみの圧縮なので、いくら強く圧縮しても、異常燃焼の問題は発生しない。そこでディーゼルは1893年に試作機第1号エンジンを製作した。しかし、そのエンジンはそれまで経験したことのないほどの高圧縮のため、思いがけない力がエンジンを襲った。シリンダー、ピストンリング、エンジンバルブ、バルブスプリングなどが次々と壊れ、焼けただれた。

 初期には燃料のみの噴射を試みたがうまく供給できずに、エンジンもわずか1分間ほど回っただけで壊れ続けるという失敗の連続であった。エンジン部品の多くに不具合が発生したが対策は見当たらず、一時は開発を断念することを考えるほど追い込まれた。

 当時は現代のように微量の燃料を精度良く噴射する装置を作る加工技術がなっかたから、燃料の噴射量を揃えるのに苦労した結果、燃料と空気を混ぜた状態でシリンダーの中に吹き込む混合気噴射方式が採られた。

 最初はベンゼンで運転を試みると快調に回り出した。さらに灯油に切り換えてみると、もっと燃焼が静かで調子良く回った。このようにして1895年にディーゼルの考えた新しいエンジンが誕生した。(エンジン進化の軌跡 荒井久治)

 1976年のオットーの4ストロークルガスエンジンはボイラーを不要とし、その小型化と簡便性により、小規模工場にも歓迎された。オットーのガスエンジンがガス燃料を液体燃料に変えることにより、馬車に装着され自動車として誕生するのは1886年、即ち発明の十年後であった。ガソリンエンジンは、軽量化、小型化の道を歩み、乗用車、プロペラ機、オートバイ、工具の動力へと広汎に利用された。

 一方ディーゼルエンジンは液体燃料も自動車も既に存在していた1897年の発明であったにもかかわらず、その車両への搭載は1924年つまり発明の27年後までずれ込む。

 これは小型化、高速化が困難であったためで、最大の難関が小型の燃料噴射ポンプの開発が伴わなかったことにある。

 ディーゼルエンジンの外洋航路用の大型エンジンは燃焼室の容積は寸法の3乗に比例するが、冷却の表面積は2乗に比例するため熱負荷の対策が困難になる。このため今日でもシリンダーの直径は約980mm程度が限界である。もう一つの必要条件は燃料を均一に噴射してやる燃焼噴射システムの完成である。

さらに接岸時に必要な逆転機構が伴わなかったため、本格的には1927年に搭載された。それで、ディーゼルエンジンは、船舶、トラック、バス、重機に搭載され、石油エネルギーの時代に向かった。(20世紀のエンジン史 鈴木孝)(第30回)