16.4 都市、貨幣、帝国主義、資本主義(その7)
1849年にカルホルニアの「ゴールドラシュ」が始まり、1859年ペンシルバニア西部で石油が発見され「オイルラシュ」が始まり、ジョン・ロックフェラーは、1865年に製油所、パイプライン、油井を購入して、スタンダードオイルを設立した。(後にエクソン・モービルとシェブロンに分離した)
このように、アメリカの綿花栽培、小麦栽培、とうもろこし栽培を大規模耕作し、木材、石炭、鉄鉱石、金、石油など豊富な資源にめぐまれて、食料、工業原料の基盤ができた。
1880年には、トーマス・エジソンが、白熱電灯、発電、配電、ソケットの会社を設立し、GEに吸収された。1883年にエジソンの弟子のニコラ・テスラは電動モータの特許を取り、ウェステングハウス社によって実用化された。電動モーターは、小型から大型まで、容易に動力源を工場内のあらゆる所で供給できた。
1908年にヘンリーフォードは、製造ラインの互換性のある部品を採用して、T型フォードを生産し、年間の生産台数は1万台を超え、自動車の大衆化を実現した。自動車工業は、工作機械を発達させ、人工砥料による研削加工によって、内燃機関のシリンダーの精度を上げ、高速度工具鋼によって切削速度を4倍にした。
自動車工業は、タイヤに使用するゴムの需要を作り、燃料となる石油精製工業を発展させた。
1930年代から1938年までに、戦闘機が産・学・軍によって戦闘機を1千機ほど生産された。
1939年から1945年までに10万機以上が、陸軍、海軍に投入された。
第2次世界大戦後は、アメリカの軍事力は、イギリスを上回り、米ドル金為替本位制を中心としたIMF体制に移行し、アメリカは世界一の金保有を誇ったので、ドルは世界通貨となった。さらにアメリカは、大学、研究所、NASA,ペンタゴンを充実させ、世界の人材を結集し、ソ連との軍拡、宇宙開発を制し、ベルリンの壁崩壊、ソビエト連邦の分裂によって、アメリカ資本主義は、ほぼ完成した。
資本主義は、株式会社に代表される企業活動によって、資源、科学技術、資本、人材によって、製品を生産し、市場に供給し、利益を得る。企業は、競争原理によって、市場に於いて、優位に立ったものが、より大きな利益を得てさらに発展する。このためアメリカ型資本主義に於いては、頭角を現したのが、多国籍企業である。
アメリカ資本主義は、アメリカ軍と多国籍企業とウオール街企業によって、エントロピーにさらに逆走(暴走)する手段を手にした。(第38回)
16.4 都市、貨幣、帝国主義、資本主義(その6)
イギリスは、ワットの蒸気機関、自動織機による綿糸布の生産拡大、コークスによる銑鉄の生産性の向上、金融市場の発達、鉄道、工場、運河が建設され、海軍力の増強、植民地経営によって、大英帝国は完成した。
この大英帝国を第一次世界大戦(1914~1918年)まで、イギリスは、海軍力、および世界通貨としてのポンドの時代であった。この大英帝国を第2次世界大戦(1936~1941年)の後、アメリカ資本主義の飛躍的発展により、世界通貨はドル移行するが、何が、その要因を構成するのかをここで考察する。
それは、アメリカの独立戦争(1783年)の後から、第2次世界大戦(1941年)後の150年の間にほぼ達成した。独立戦争後、新政府は強い財産権と固定されない階級構造を造った。
合衆国憲法第1条第8節に「一定期間、著者と発明者にその著作や発見について排他的権利を与えることで、科学と有益な芸術の発展を促進する」とした。
1800年にエバンスが最初の高圧蒸気機関の一つを開発し、製造と修理を行う全米へのネットワークを作った。イーラィ・ホイットニーは、短繊維の綿花の種を綿の繊維から取り除く機械を開発し、必要な労力を50分の1にさせ、南部の綿花生産者の巨大な利益を生んだ。
つぎに、ホイットニーは、政府との契約で、マスケット銃を部品を正確で均一なものとし、部品の互換性を確立した。(大きな市場を背景に、部品の互換性と販売、修理のネットワークによって、さらにはT型フォードのシステム(1908年)までの芽が存在している)
1798年にシメオン・ノースがフライス盤を開発し、1819年トマス・ブランチャードが旋盤を開発し、1808年に有料道路と運河の建設を始めた。南北戦争戦争(1861~1865年)後の時代は、工業化の程度と範囲が急速に拡がり、それに付帯して、鉄道、電信・電話、内燃機関の技術の進歩が起こった。
1840年~1860年にかけて鉄道は、5,320kmから49,000kmまで伸び、1920年までには、406,000kmになり、かつ標準軌道となった。
18世紀に蒸気機関や鉄道および銃などの技術革新が鍛鉄と鋼の需要を高めた。
1850年に「ケリー=ベッセンマー法」によって、溶融鉄に空気を吹き込む方法を開発し、その温度を上げて不純物を取り出すことを容易にした。それによって、鋼価格を劇的に下げた。
1868年アンドリュー・カーネギーはケリー=ベッセマー法と新しいコークス製造法を統合し、鉄道幹線が集まるペンシルベニア・ブラドックに製鉄所を造って、石炭、鉄鉱石を運河と鉄道で運んで垂直統合した、カーネギー製鋼会社は、イギリス一国よりも多くの鋼を生産し、レールを鉄道で輸送し、さらに鉄道は延びた。(ウィキペディア アメリカ合衆国の技術と産業の歴史)(第37回)