16.4 都市、貨幣、帝国主義、資本主義(その5)
エネルギーは、より均一な、すなわちエントロピー増大 ΔS=dq/Tに向かうが、貨幣の流れは、より多くの財のある方に流れる。一つは、貨幣を貸すと利息が付き、米国の5%の高額所得者の所得は、より高い伸びとなっている。
人類は、火をコントロールすることによって、他の動物と比べて優位に立った。紀元前12世紀に鉄器を持った国家と持たないものとは、勝負は明らかである。産業革命で蒸気船と大砲を持った国と持たない国では、持った国が優位である。
イギリスは、産業革命以後、海軍力、綿糸布、製鉄製鋼の輸出、更に東インド会社をはじめとする植民地経営によって、大英帝国を築き上げた。イギリス資本市場の発達は、17世紀に始まり、18世紀に本格化し、19世紀に全面開花する。
ワットとボルトンの蒸気機関が製造業と輸送業の変貌をもたらし、運河や鉄道、蒸気機関で動く工場といった新発明の建設は、どれも巨額の資本を吸収していった。イギリスの紡績工場にある自動織機の数は、1813年から1850年の間に100倍に増え、銑鉄の生産量は、1806年から1873年までの間に30倍以上増えている。
イギリスの資本は、イギリス国内あよびヨーロッパ諸国の鉄道、工場、運河の建設のためだけでなく、勢いよく発展しているものの現金が不足している旧植民地にも注がれた。パジョットは、1873年の主だった金融都市の資金量を表にしている。
ロンドン:1億2千万ポンド、パリ:1300万ポンド、ニューヨーク:4千万ポンド、ドイツ帝国:800万ポンド。
この表で最も衝撃的なのは、当時イギリスのGDPはフランスのそれよりも28%大きいだけだったにもかかわらず、ロンドンとパリの金融市場の規模に、9倍もの開が存在したという点である。しかも、イギリスはロンドン以外にも活発な金融市場をもっていたが、フランスの地方都市に於ける金融活動は無視できる程度のものでしかなかった。ではなぜ、フランスでは、金融市場がこれほどに小規模だったのだろうか。
もちろん、銀行預金は金融市場の厳密な尺度ではないが、フランスやドイツでは、銀行の外にたっぷりと現金が存在するが、だが、その現金は、いわゆる「金融市場資金」ではない。利用出来ないお金なのである。100万ポンドが一人の銀行家の手にあれば、それは強大な力となるだろう。
借り手は銀行家が100万ポンドを持っていると知っていれば、銀行家のもとをおとずれる。だが同じ100万ポンドが国中に10ポンド、50ポンドと細分されてちらばっており、金がどこにあるか、あるいは誰に頼めば貸してくれるのか、誰も解らないのであれば、そこにはいかなる力も生じない。(「豊かさ」の誕生 ウィリアム・バーンスタイン)(第36回)