5. 原野の料理番 (坂本嵩著 1993年発行)
『お伽の国の老人は、枯れたとうきび畑の向こうから現れた。窪んだ目は、太く濃い眉と長いまつげに縁どられ、肩まである銀髪と見事な白いあごひげが没しようとする晩秋の西日に燃え立つように輝いていた。
背丈はせいぜい百五十五センチくらい、背中には旧式の単発銃を斜めにかけ、腰には大きなマキリ(短刀)を吊るしていた。原野の人達はこの老人を又吉爺さんと呼んでいた。年齢は八十近いというが、本人も正確なことはわからないという。
爺さんの記憶力は全くすばらしい何年何月何日、どこの川で鮭を何本獲ったかというようなことを実によく覚えている。爺さんが始めてシャモの娘を見たのは十六の頃だという。そして熊を初めて仕止めたのは二十歳。
ある日一人で鉄砲を背にやまべ釣りに行った時、ある沢でこくわの蔓がからんだ大きな木の太い枝に、中くらいの大きさの熊がでんとまたがって、こくわの蔓をたぐり寄せその実を食べている所に出くわした。
話が少しそれるが、こくわとはサルナシという。胸を高鳴らせながら静かに射程内に近づくと熊も彼に気づいて木の上から吠えかかる。初めて熊に銃を向けた又吉青年は手が震えて照準が定まらない。
ままよとばかりに、近くの小さな木の枝に手ぬぐいを裂いて銃身をしばりつけ固定し、しっかりと照準をあわせてぶっ放した。熊を目の前にしてこの冷静さ、むやみにぶっ放さなかったのはさすがに狩猟民族の血か。
弾丸は熊のどてっ腹に穴を開け、ドサリと木の上から落ちて来たが、致命傷ではない。向かってくるかと身構えたが、敵は傷口からはみ出した腸が枝に引っかかるのを引きちぎって逃げた。しばらく追うと草の中で息絶えていた。
ざっとこういうところが、又吉爺さんの輝かしい初陣である。それ以来数限りなく熊を撃ったが、八十にななんとする今も、野宿をしながら熊を執拗に追い詰めてゆく、このエネルギーはどこから来るか。我々農耕民族には計り知れないところがある。
追い詰めた熊は至近距離まで引きつけてからぶっ放す。熊は一定の縄張りをある期間を置いて巡回するという。永年の経験からこの道すじの草の中に先回りして待ち伏せる。何も知らない熊は、ガサゴソと草を踏んで近づいてくる。
至近距離まで引きつけておいて、おもむろに咳払いをする。熊は何ごとかと、後肢で立上がり、深い草の上に首を出してあたりをうかがう。その瞬間心臓めがけて銃をぶっ放す。
四つん這いで歩いている時は心臓に当てるのはむずかしいので、我々から見ると大胆不敵なまた危険この上もない方法をとるのだという。もし当たらなかったらどうするかと聞けば、「なに、わしゃ二間(4メートル弱)まで来なきゃブタないから目つぶても当たるよ」と涼しい顔である。
「不発したらどうするの」と僕たちは声をふるわせた尋ねた。「そんときは、熊の腹の下に飛び込むのよ。そしてマキリで心臓をえぐってやるのサ」爺さんは、ほとんど銃を肩で構えないという。腰のあたりに構え、熊の体に押しつけるようにして、撃つのだという。
鉄砲を見せて貰ったが、これが恐ろしい年代もので、台尻と銃身ゆるんでガタガタの単発銃である。その上照準も狂っている。爺さんにいわせると、手が届くくらいの近さで撃つので照準などいらないのだという。』
この文章の臨場感と又吉爺さんの姿は、孤独な、男らしさで、失われたアイヌ文化の郷愁を私は、感じた。(第6回)