8.分類の発想 (中尾佐助著 1990年発行)
『地球上に生きている生物は、植物といわず、動物といわず、微生物といわず、いずれも、ある形式の分類能力を持っている。それは生物はことごとく原則として、有性生殖をしており、同種(スピーシス)の相手と有性的に結びつく能力を必要とするからである。
同種であっても、結合は異性であることが必要である。異性であっても、その異性が適期であることが必要である。サルでも、牛馬でも、鳥でも昆虫でも、たぶんミミズ、カタツムリ(雌雄同体)でも同様であろう。
これらは、いずれも他の動物から同種の動物を認識するという分類をなし、さらにその中から異性を認識するという分類をしている。このように生物が自己と同種の個体を認識、分類することを私はアイデンティティとよぶことにしよう。
生物はこのアイデンティティの能力を持つことによって、自己の種族を後世に伝え地球の歴史と共に生きつづけてきたわけである。このアイデンティティの能力は、生物に共通の特色で、それは生物体がことごとく、細胞から成立していると同様に、生物であることの基本要件となっている。
アイデンティティは生物が有性生殖という生殖法をとって生きはじめてから、欠くことのできない前提的能力になったのである。くだいていえば、分類学の始まりは、有性生殖の始まりから始まったということになろう。(アイデンティティ)』
『意識というものがないとされている植物界を見ると、アイデンティティの機構は意外にみごとに発達していることが、だんだん判ってきた。簡単な話で、サクラの花にナノハナの花粉をつけても、受精しない。
そういう分別能力が体内に遺伝的にビルド・インされている。このような場合に受精しない分別能力はほとんどすべての植物に共通しており、誰も不思議とは思わないが、それは、それぞれにアイデンティティの能力が備わっているからだと表現できよう。
ところでサクラもナノハナも雌雄同花で、一つの花の中に雄しべも雌しべもついており、花粉が出る。しかし同じ株の花の花粉が雌しべについても、受精はうまくできない。これは、自花不和合性といわれる現象で、植物界ではかなり普通な現象である。
ナシの二十世紀は自花不和合性で、その果樹園では、何本かに一本の割で別のナシの品種を植える。なぜなら二十世紀ナシ園の木は全部同じ親から接木した木であるから、隣の木は同じ木である。
日本中にある染井吉野も同じである。日本中にある染井吉野はただ一本の木だから気候の変化に応じて正しい反応をするのである。(自花不和合性)』
『タイクソンとは、あるシステムにのっとて、設定された分類の単位であると定義できよう。タイクソン(taxon)は分類、分類学と類縁語である。植物図鑑を見ると、種(スピーシス)というタイクソンは、属、科、目、網というマクロタイクソンに従って整然と配列されている。
クライテリオンとは、何かの物とか、あるいは概念などを分けて分類しようとすると、そのときには分けるための、何らかの分類のための標準、基準といったものが登場してくる、この標準、基準にあたるものがクライテリオン(criterion)で、範疇という難しい言葉でいう場合もある。全植物を例えば、寒帯植物、温帯植物、熱帯植物に分類することも、また人間が利用する見地に立つクライテリオンで、食用植物、繊維植物、用材植物、工芸植物、薬用植物、燃料植物、観賞植物といった分類もできる。』
中尾 佐助(1916年 - 1993年)は、植物学者。専門は遺伝育種学、栽培植物学。著書には、「栽培植物と農耕の起源」、「照葉樹林文化」「続照葉樹林文化」「料理の起源」「秘境ブータン」など。中尾は初め稲の起源をインドのアッサム地方としていたが、「照葉樹林文化」では東亜半月弧に変更する。東亜半月弧とは中国雲南省南部とタイ北部、ビルマ北部あたりの三日月形の地域で、ここから日本西南部にかけてを照葉樹林帯と名付けた。稲はこの東亜半月弧の焼畑農業から始まったとした。
焼畑の雑穀(ヒエ、アワ、陸稲など)から陸稲が選抜され、それを棚田に株分け(田植え)するようになったというものだ。
照葉樹林文化は焼畑農業、モチ種の嗜好、ヒエ、アワ、ダイズ、アズキ、稲、サトイモ、茶等々の栽培、納豆、漆器がセットになっている文化複合だとした。(第9回)