チェロ弾きの哲学ノート

徒然に日々想い浮かんだ断片を書きます。

ブックハンター「武士の娘」

2012-09-30 10:33:06 | 独学

9. 武士の娘 (杉本鉞子著 1994年発行)

 本書は、「A DAUGHTER OF THE SAMURAI」として、1966年に米国で出版された。杉本鉞子は、1873年(明治6年)、越後長岡藩の家老稲垣家にうまれ、武士の娘としてのきびしい躾と教養を身につける。渡米し貿易商杉本氏と結婚。夫の死後ニューヨークに住み雑誌「アジア」に「武士の娘」を連載、7ヶ国語に訳され好評を得る。コロンビア大学で日本文化史を講義するなど活躍した。

 『初めて私が牛肉というものを口にいたしましたのは、八歳の頃でございました。殺生を禁ずる仏教が伝わってから千二百年間というものは、日本人は獣の肉はいただきませんでした。

 今でもよく憶えておりますが、ある日私が学校から帰って参りますと、家中の者がみな心配そうな顔をしておりました。玄関に入りますと、すぐに、何か重苦しい空気が感ぜられました。母が女中になにか申しつけている声も低く、調子もぎこちなく、唯ならぬ気配でございました。

 畳に手をついて、小さな声で「お祖母さま、ただいま帰りました」と、いつものように挨拶いたしました。祖母は、それに応えて、やさしく微笑みましたが、いつになく厳しい顔つきでした。

 祖母と女中とは金と黒漆とで塗られたお仏壇の前に座りました。傍らには、障子紙を載せた大きなお盆があり、女中は仏壇の扉にめばりをしているところでございました。

 「お祖母さま、どなたか、どなたかお亡くなりになりそうなのでございますか」祖母は半ばおかしそうな、半ばびっくりしたような顔をいたし、「エツ坊や、そんな思い切ったもののいいかたは、まるで男の子のようではありませんか。

 女の子というものは、そんな不作法な口の利き方をしてはいけません」と申しましたので、私は「相済みませんでした」とは申しましたものの、やはり気になりますので、もう一度「でも、お仏壇にめばりがしてあるではございませんか」と尋ねました。

 やがて祖母は腰をのばして、私の方へふりむき、ゆっくりした口調で、「お父さまが家中で牛肉を食べようとおしゃったのでね。何でも、異国風の医学を勉強なされたお医者様が、お肉を頂けば、お父様のお身体も強くなり、お前たちも異人さんのように、丈夫で賢い子になれるとおしゃったそうでね。

 もうじき牛肉が届くという事ですから、仏様を穢してはもったいないと、こうしてめばりをしているわけなのです」と申しました。

 その夜、私達一家は、肉の入った汁をそえた、ものものしい夕食を頂きましたが、お仏壇の扉はすっかり閉されており、ご先祖様と一緒でなかったことは、ものさびしゅうございました。その夜、私は祖母に、何故、みんなと一緒に召上らなかったのですかと尋ねますと、

 「異人さんのように強くなりたくもなし、賢くなりたくもありません。ご先祖様方が召上った通りのものを頂くのが祖母(ばば)には一番よろしいがの」と、悲しそうに申しました。

 姉と私は二人で、そっとお肉の美味しかったことを話し合いましたが、他の誰にもこんなことは申しませんでした。二人とも、幼いながらも、大事なお祖母様の心にそむくことはいけないことだと思っていたのでございましょう。』(旧と新)


 『嫁してこの家を離れ、他家の人となる姉はご先祖にいとまごいをいたしました。深く頭をたれた姉のそばに、にじりよった母は、美しい箱をさしだしました。それは松竹梅の模様をちりばめた美しいもので、おばあさまのお手になったものでした。

 それから母は、戦いにいでたつ武士のようにおおしく、新しい生涯に立ち向かうようにと、おきまりの門出のことばを言いきかせ、ついで「毎日、この鏡をごらんなさい。もし心にわがままや勝ち気があれば、かならず顔にあらわれるのです。よくごらんなさい。

 松のように強く、竹のようにものやわらかに、すなおで、しかも雪に咲きほこる梅のように、女のみさおを守りなさい」と申しました。』(二つの冒険)(第10回)