7. 勝負 (升田幸三著 昭和45年発行)
『私の父というのが、大変力が強かった。三十貫(約百二十キロ)くらいの石を持ってグワッとさしあげる。これは大変な力ですよ、かかえあげるんじゃない、さしあげるんだから。
そういう力持ちでしたから、賃仕事にマキ割にいく。私は子供のとき、よくついて行ったもんですが、朝早く、まだ霧の深い時分から、親父はせっせと割るわけだ。日が出ると暑くなるから。
ところが日が高くなってから、六十がらみとも思われるじいさんが、やはりマキ割にやってくる。このじいさんが、来るのが遅いが、帰るのはまた早い。中途でなんべんも一服すったりして、斧の手入れをしている。
それでいて、親父よりもずっと量が多いんだな、その割っとる量が。別に力が強いわけでもなんでもない。親父のは斧がひっかかたりするんだが、そのじいさんは、ホイホイとかるく割る。
わたしゃ親父のほうへばかり悪いマキがくるんじゃないかと思ったくらい、じつに楽にやる。それが子供心にも、不思議でかなわんわけだ。それでじっと見とりますと、フシのついた木がくる。そのフシのついた木で、親父は難儀しとるんだ。
じいさんはフシがあってもなくても同じなんです。よく見るというとじいさんは、フシの上から撃つ。ところが、親父はフシを避けて叩くから、それで引っかかる。じいさんは、フシの目から叩きおろすんです。
それが私の記憶に残ってまして、のちになって、なるほどと思ったんですよ。そうだ、フシを避けるからいかん、フシにじかにぶつかればいい。人生、ここにあると。しかも親父は力で割ろうとしたからいけなっかた。
じいさんは斧で割るから、それでいつも斧の手入れをしとったわけだ。そこでね。これは私が、生きてゆくうえで、たいへん参考になったものでした。』(節を撃つ)
『スランプ、というのがありましょう?あれは、なかなかつらいもんです。つらいからよけい、安易に楽しよう楽しようということになるが、そうなるとかえって脱却できないのがスランプだ。
ところが、これじゃいかん、よし、苦労に直面してそのなかに自分を没入させてやろう。そう決心したとき、実はスランプから脱却できる光明がすでにさしてきているときといっていい。
これは私の長い経験からいうんですが、たとえば好きなタバコを絶つとか、対局中に相手の二倍ほど読んでみようとか、そこへ性根がすわったときが、もう正常に復調したときです。ここがスランプの面白いところだ。
私はサラリーマンになったことはありませんが仕事上の不調という点では、同じことがいえると察します。つまり仕事に没入してゆく以外に、不調から脱する道はないのだと。
よく、くさくさするからあすは一つ山へでも気晴らしに行くか・・・などと聞きますが、あれはうそだ。レクレーションにはなるかもしれないが、スランプから脱する手段にはなりません。
まっしぐらに行くんですよ、体当たりで、するともうその気魄だけでその人はなかば不調から脱したといってもいいくらいです。』(スランプ克服法)
升田幸三の功績は2つあります。 一つは羽生善治と並び史上最強の棋士とされる大山康晴名人に、香車という駒を引いて勝ってしまった事です。もう一つはマッカーサー司令部(GHQ)から将棋を守ったことです。 「チェスでは取った駒を殺すんだろ?それこそ捕虜の虐待だ。日本の将棋は敵の駒を殺さないで、それぞれに働き場所を与えている。常に駒が生きていて、それぞれの能力を尊重しようとする正しい思想である」この一件のお陰で吉田茂の外交がやりやすくなった話は政界において有名です。(第8回)