チェロ弾きの哲学ノート

徒然に日々想い浮かんだ断片を書きます。

ブックハンター「植村直己と山で一泊」

2012-09-22 08:18:48 | 独学

6. 植村直己と山で一泊 (ビーパル編集部編 1993年発行)

 『入部する前に、ちょっと様子を見てみようと思って、おそるおそる地下にあった山岳部を覗きにいったんです。たちまち上級生らしい部員につかまりました。それで三日後に白馬で新人歓迎合宿をやるからお前もぜひ来いという。

 白馬がどこにあるかも知らないんだからポカンとしていると、靴はこれを履け、ズボンとシャツはちょうどいいのがあるから貸してやる。ザックとピッケルは部屋にあるからそれを使えと、あれよあれよというまえに勝手に向こうに決められてしまった。ま、半分ペテンにかかったようなものです。(笑)

 八方尾根にあった山岳部の小屋に入るまでは楽しかったんです。北アルプスの山を初めて見て驚いたりしてましたから。翌日からの白馬登山がすごかった。新人はいきなり三、四十キロのザックを背負わされ、休みなしで一時間も急斜面を歩かされる。雪道に入って足をすべらせて転ぶと「なにやってんだバカモン」です。上級生は鬼だと思いましたね。

 僕は新人の中でいちばん小柄で、まあ体力も弱くて、最初にバテちゃったんですが、バテたからって許してくれるどころか、ピッケルで尻とか足を小突いたりぶったりですからね。それから雪上トレーニング。

 新人の中でも高校時代に山に行っててピッケルの使い方を知ってる人もいるわけですが、僕は初めてでしょう。「バカ、鈍い」てピッケルで尻を叩かれぱなしでした。しまいには、これはへたすると殺されるんじゃないのかて、本気で思ったですよ。

 帰ってきて、もうやめようかと思い、その後も何度かやめようと思ったんですが、自分でも意地があったんでしょうね。今から思うと、苦しかったのは自分ひとりじゃなくて、新人はやっぱりヒーヒーいってたんですね。

 合宿のたびに一人欠け、二人欠けしていって、最初二十人ほどいた一年生が、二年になると五人になっていましたから。まあこちらは、しがみついているのが精一杯でまじめに合宿に参加して、年に百二、三十日は山に入っていました。』


 『(BP)ヒマラヤの本格的登山までいかなくても日本のやまなどで服装の上で注意すべきポイントは何でしょうか。
意外に大事なのは、下着の替えを常に持っていることです。極地でも山でも、体を濡らさないことが、体力の消耗を防ぐ大事なポイントです。

 山で濡れたら、おっくうがらずに、寒いのを我慢して、乾いたシャツに替えることです。これによって体力の消耗が大幅に違ってきます。下着、セータ、雨合羽この三つは必ず持つ習慣をつけるのがいいと思います。』

 日本人初のエベレスト登頂や、北極点犬ぞり単独行、アマゾン川6千キロ筏下り、グリーンランド単独犬ぞり横断など、さまざまな冒険に挑み、成功した男が最後の冒険に出かける前に、ビーパルのスタッフとともに一泊二日のキャンプを楽しんだ。焚き火に顔を火照らせながら、とつとつと彼でしかありえない生き方を語る。翌1984年冬、マッキンリーで消息を絶ってしまう。(第7回)