17. おわりに
「地球と太陽と水と生物のエントロピー逆走物語」を6月26日より42回に渡って、書いてきましたが、多くの名著に勇気づけられ、さらにはこの読者の方々に励まされたことを感謝いたします。最後にもう一度コンテンツを記載します。
地球と太陽と水と生物のエントロピー逆走物語
目次
1. はじめに
1.1 シュレデンガーの考察
1.2 エントロピーとは何か
1.3 代謝と循環のための駆動力
2. 水の風変わりな性質
3. 地球と太陽の絶妙な関係
4. 海洋大循環
5. 真水の大循環
6. 炭素の大循環
7. 窒素の大循環
8. リン(ミネラル)の大循環
9. 有機化合物の遼かな道
10.植物の葉緑体に於ける糖合成
11.動物のミトコンドリア内でのATP生成
12.種としての生命と一個体の誕生から死まで
13.共生と棲み分けによる緑の地球生物多様性
14.キーストーン(頂点捕食者)と生態系のバランス
14.1 ラッコとジャイアントケンプの海中林とウニ
14.2 コヨーテとチャパラル固有の鳥
14.3 ブナ林と昆虫と小鳥とタカ
15. 生物によって作られた芸術
15.1 昆虫によって創られたもの
15.2 鳥によって創られたもの
16. 人間が創ったもの
16.1 栽培作物(小麦、稲、トウモロコシ)
16.2 言語、文字、数式
16.3 火、鉄、蒸気機関、内燃機関、タービン、電気
16.4 都市、通貨、帝国主義、資本主義
16.5 芸術作品
17. おわりに
私がなぜエントロピーをここで持ち出す必要があったか。私も(おそらくシュレデンガーも)生命体なり、地球の生態系を説明するための便利な何かが存在すれば、そうしたでありましょうけど、その便利なものは今の所存在しません。
生命体とは、エントロピーに逆走する存在であり、エントロピーに逆走することを止めた時、すなわちその生命体は死を意味します。水の惑星地球も、生命体を構成する物質が、生命体を循環し、生態系を循環し、地球を循環し、生命多様性の緑の地球によって、エントロピーに逆走しながら、地球のキャパシティを蓄積してきた。
この水の惑星地球が、生命多様性の生態系と供に、エントロピーに逆走し続けることを祈ってペンを置きます。
2012年9月2日
日常をデザインする哲学庵
庵主 五十嵐玲二
16.5 芸術作品
エントロピー増大の法則に正しく逆走したものが、人類が残した文化遺産であり、芸術作品であると考えます。単にエネルギーをいくら投入しても、芸術作品は生まれない。そこで、芸術作品は、どのように生まれるのかを私なりに考察します。
芸術作品は、これまでの芸術分野の技術を一つ習得し、現実の世界を観察し、そこにある美的な何か、哲学、人間性などを抽出し、そこに自分の芸術観と工夫した技法を集積、集中させ、試行錯誤の後、いくらかの幸運を伴って完成され、後世にのこされ、多くの人々に感動を与えたものが、芸術作品である。
一般に一部の天才によって、芸術作品は、生み出されたと考えられるが、いくら天才でも、一人では芸術作品を生み出すことは出来ない。むしろ、その時代のその都市の空気(活気、豊かさ、文化的土壌)の中から、優れた芸術家は、生み出される。すなわち、天才を育てる、文化的土壌、ある種の豊かさ、ある種の活気が、その都市、その時代が持っている必要がある。
その前提のもとで天才が、何かに非常に高い価値を感じ、それを自分の持っているありたけの技術、英知、努力によって、ある作品を創造することが、可能となる。しかしながら、多くの作品のほんの少数が芸術作品として残ることが出来る。
芸術とは、自然の風景、植物、動物、人(女性)、思想、音(音楽)、機能、生きる美しさの中から、何かで統一された概念で価値を抽出し、それをある技法と哲学によって形あるものに表現することである。さらに芸術作品は、斬新なアイデアを精緻な技法によって、重層的に積み上げて行かなくてはならない。
どこかに矛盾が存在した時、そのために多くの作品は破綻する。それを克服して、その芸術作品に生命の輝きを吹き込み、見るもの、それを使用したものにある感動を与えたものが、ある幸運をによって芸術作品となる。人間には、何か芸術性を感じうる能力が存在しているが、これらは、過去の芸術文化の中から、自分が芸術性を感じるものを、選び出し、自分らしさを加えて、自分の芸術的感覚が備わる。
芸術作品を生み出すには、材料、道具、技法を修得しなければならない。ある場合には、何代かの又はその地域の技術と英知の集積がなければならない。さらには、それが芸術作品となるためには、その芸術を高く評価して、対価を支払う(活力ある都市)文化人の存在が必要である。
人類は、自然の中に美しいものを発見したり、より美しいものを創造しようとする欲求が存在し、これがエントロピー逆走エンジンである。そのためには、その欲求を修練によって、静的作品に、ある動的生気を見る(聞く)人々に感じさせる。(第42回)