以前はそれほどいやでも(好きではないが)なかった頼られることが、最近は「非常に」いやになってきた。
自分でも気が付かないうちに、「やりすぎていた」「共依存になりかけていた」のを介護の会で指摘されて、その時は言われている意味が理解できないでいたが、最近は一歩も2歩も引いて、冷たい(冷静な)目でオット母Bこさんの事を見ている自分がいる。
歩けなくなってきたり、体の傾きがひどくなったり、背中の曲がりがひどくなったのは、たぶん他人なら、気の毒にと思うようなことかもしれない。(最近はもう言葉は悪いがミニクイとしか言えないような姿で、はっきり言って病院なんかでも、デパートを歩いていても、みんな避けているのがわかる。よけているのではなく避けている。)
こんな格好で座っているBこさん。
黒い枠が椅子の背で、緑がBこさんの体。眠っているわけではない。そのほうがたぶん楽なんだろうと思うけれど、このときは新聞を読んでいるが、食事中もこんな感じ。机の上ではなく、右下に茶碗をもってきて茶碗も傾いたまま食べているのだ。
ベットに横になれば真っすぐなるので、決して真っすぐできないわけではなくのに、なぜか傾いたままで、時々ぼんと真っすぐなる。
そんなことを言ってはいけないが、このままのたのた歩いて台所に入ってこられると迷惑でしかない。結局物は持てないから、こっちでもってやって、カメさんの後ろを動くのをじ~~と待たねばならぬ。これは修行でしかない。
なんて、感じてしまう。
鼻が悪くてずこずこずるずるしながら、頭がこっちに傾いてくるときなんて…思わずよけたくなる。が、かまわずふがふが頭が寄ってくるのだ。
と、はっきり言って内心は不快感しか感じていないのに、
「いいじゃない、よしこさんがなんでもしてくれるし、どこでも連れて行ってくれるから」と言われて、それに対してBこさんが、うれしそ~に、えへらえへら笑わっていたりすると、内心はぞぞぞ~~なんであります。
けっしてやりたくてやっているわけではない。
それが、まず、オットに伝わらない。もちろん、Bこさんにも。
そして、どんどん、私にやってほしいことが増えてきているのであります。
とっくに、介護人はオットに変更してあるはずなのに、いつの間にか私に戻ってしまい、それが当たり前と思っているケアマネさんの態度も一言申したい!
そして、とどめは還暦祝いの時の夫の一言であるよ。
その時、風船は割れちまったんであります。
でも、それは私の心の中だけの事で、それが、周りには伝わらないんですなあ。
でもですよ、このまま、介護だけでわたいの人生終わり?
そいつああ、ご勘弁願いたい。
こっちは老い先は長くはないのだ。Bこさんは(実家母Yこさんもだが)老い先長いと思っているらしいが、私は先は見えていると思っている。
人間、何があるかわからない。一寸先は闇じゃないっすか?
つう訳で、ぼんやり、変革をと思っていたんですが、この機を逃すことはできないというか、この機に一気に改革をと心に決めたのです。(なぜか?それは又のお楽しみ(^_^)v)
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