このところ音信が途絶えているオーディオ仲間のM崎さんに久しぶりに連絡をとってみた。
「お元気ですか~、依然として音楽を聴いてますか?」
「もちろん!毎日4~5時間は聴いてるよ」
「エッ、そんなに聴いていてよく飽きがきませんね」
「毎日いろんな種類の違った音楽を聴いていると飽きがくるなんてことはないよ~、大体○○さん(自分のこと)は凝りすぎて同じ音楽ばかり聴きすぎるんじゃないの」
因みにM崎さんは大のクラシック愛好家でジャズやポピュラーにはほとんど見向きもされない方。
それにクラシックといってもバッハなどのバロックからモーツァルト、ベートーベンなどの古典派、それにロマン派、現代音楽まで極めて間口が広い愛好家で、そういう背景もあって自分に対して「同じ音楽ばかり聴きすぎる」という手厳しい(?)指摘には正直言って返す言葉がない。
たしかにお気に入りの曲目、たとえばモーツァルトの「魔笛」「ピアノ・ソナタ」、ベートーベンの「ピアノ・ソナタ32番」やブラームスの「ヴァイオリン協奏曲」などについてはとことんのめり込んで徹底的に指揮者の違う同じ曲を沢山集めてどれが自分にとっての「ベスト1」に該当するか確かめないと気がすまないところがあり、その分、外(ほか)の面がおろそかになる。
いわゆる「凝り性」というやつで「オーディオ」「読書」「魚釣り」なんかにもその性癖がよく表れており、それは決して好ましい面ばかりではないことも自覚しているところ。
それにしてもいろんな楽器がガチャガチャとうるさく鳴るだけの「現代音楽」にはどうしても追随できそうもないが、その点を申し上げるとM崎さんはそれは手持ちの「オーディオ」装置の音の響きの差だという趣旨のことをおっしゃる。
つまり現代音楽の良さは旋律ではなく音の響きにあるので聴いているオーディオ装置次第で好きにもなるし嫌いにもなるとのこと。ということは我が家のオーディオ装置は「響きが悪い」と暗に指していることになるが、もちろん、そういう(失礼な)ことはストレートには言われないが話の行き着く先はそういうことになる。
因みにM崎さんのスピーカー(SP)は「アポジー」というリボン型の平面スピーカーを2セット重ね合わせて聴いておられ、アンプは往年の名器「ケンウッド01A」(低域用と中高域用に2台:いずれもパワーアンプに改造)である。
「アポジー」
やや専門的な話になるが通常、低域用に用いられるSPユニットの素材はコーン紙が大半を占めており、自分の場合もJBLの130A(口径38cm)を長年使っているが、M崎さんの持論では大きな口径のコーン紙は(前後に振動するときに)それ自体の重さによって音声信号への応答性に問題があり中高域の信号に対して遅れ気味になるのでまず使う気にならないとのこと。
つまり低域信号の再生スピードと中高域の信号の再生スピードが合わないためそのクロス部分で音がきれいに重なり合わず響きが濁って聞こえるというわけ。
それに湿度の高い時期になるとコーン紙が益々湿気を含んでしまい重くなっていくのでさらに音質に要注意といったところ。
まあ、口径の大きいコーン紙を使った低域用ユニットはいいにつけ悪いにつけ独特の低音による持ち味(?)があり、それがいいという人もあって好みの問題でもあるのだが・・・。
もっとも、低域の質感つまり音階がはっきりしていて、それに量感が加わり、さらに中高域との音声信号とのつながりがいいとなれば、それがオーソドックスなオーディオの理想の姿といってもよかろう。
我が家の場合は前述したように口径38cmの低域用ユニット一発なのでその辺はいまだに満足出来るレベルに達しておらず今後の課題としていずれ何らかの対策を講じたいものだと楽しみにしている。ただしM崎さんによると自分が現在使っている中高域のユニット「アキシオム80」のスピード(応答特性)に対抗できる低域用ユニットは”そうそうはない”とのこと。
最新の高級スピーカーの動向を見ると、その対策として口径20cm前後のユニットを縦に片チャンネル4個ほど並べてボックスに入れ質感と量感の両立を図っているものが多いようだ。
口径が小さくなるほど音声信号への応答性が良くなるのでその理論は理解できるところ。ただし、4個をパラでつなぐと低インピーダンスの問題があり、アンプにとって大変な高負荷となるので口径25cmクラスのカーボン製みたいなごく軽いユニットを2個でもいいと思う。
自分でもヤル気になればユニットを購入しボックスを自作出来ないことはないし、経費もそれほどかかるとは思わないが、今の大きなボックス(ウェストミンスター)の始末に困るのが何といっても第一の課題で次に仰々しい改造になるので目立ちすぎてカミさんの目が気になるのが第二の課題。