万事に亘って「広く浅く」の「雑学人間」だと自認しているので、雑学系の本は大好きで図書館で見かけたら片っ端に借りてくる。このところオーディオがらみの話ばかりなのでたまには息抜きも必要だろう(笑)。
本書は私たちの身の回りにある森羅万象の「ふしぎ」の中から313個を選んだユニークな本だった。
以下、興味を引いたものをいくつか抜粋してみた。「そんなことはとっくの昔に知ってるよ。」という方がおられるだろうが、どうか悪しからず。
☆ なぜ「ご馳走」という言葉に「走」という字が入っているのか?
普段は粗食の禅宗のお寺でもお客が来ると精進料理ではあるけれど何品かでもてなした。しかし常備してある食材には限りがある。
そのため、食材集めに「まかない」が方々を「走り回って」(=馳走)集めた。そこから客をもてなす特別な料理のことを「馳走」と呼び、それが今の「ご馳走」につながった。禅宗には今も台所に「韋駄天」(いだてん)を祭っているところがある。これは走り回る神様である。
☆ 女性や子供の「甲高い声」をなぜ「黄色い声」というのか?
黄色い声というのは仏教のお経から来た言葉である。お経といえば眠くなるような単調な響きだが、中国から伝わってきたばかりの飛鳥時代にはもっと音楽的な高低強弱の響きがあった。
そして、どの箇所を高くし、どの箇所を低くするかはお経の文字の横に色で印が付けられていた。その色のうち「一番高い音」が黄色だった。そこから「甲高い声」を「黄色い声」というようになった。
今のように高低をつけず一本調子でお経をあげるようになったのは平安時代以降である。
☆ ひどく嫌うことをなぜ「毛嫌いする」というのか?
「毛嫌いする」というのはただ嫌いというのではなく、徹底して相手を受け入れないという意味合いが強い。しかも女性が特定の男性を嫌う場合に使われる。
それもそのはず、これは競馬の世界で血統馬の雌に種牡馬をかけ合わせるとき、オスがメスにどうしても受け入れてもらえない場合に「毛嫌いされた」と言っていたものだからである。だから、毛嫌いの毛とは栗毛、葦毛、黒毛などの馬の毛のことだ。
☆ 裁判官はなぜ黒い衣装をまとっているのか?
近頃は女性裁判官もちらほら見かけるようになったが、男女を問わず全員黒い衣装を身にまとっている。この衣装は法服と呼ばれ最高裁判所規則の中で制服ということになっている。
制服だから全員が着用しているわけだが、その色が黒なのは「どんな色にも染まらない」「どんな意見にも左右されない」という意味が込められているのだそうである。
☆ なぜ「匙を投げる」が諦めることになるのか?
匙(さじ)を投げることがなぜ諦めることになるのかと不思議に思わないだろうか。
この匙は昔、医者が薬を調合するときに使った「薬さじ」のことである。つまり、「どんないい薬を調合しても治る見込みがない病気」と医者が見立ててついに匙を投げたのである。
この医学用語が一般でも諦めるという意味で使われるようになった。
☆ なぜ「女心と秋の空」といわれるのか?
女心は秋の天気のように目まぐるしく変わるというのが「女心と秋の空」だが、秋は運動会や遠足が行われ晴天続きでそんなに目まぐるしく天気が変わるという印象はない。
むしろ春のほうが霞がかかったり満開の桜に雪や雨が降ったりと変わりやすい。しかし、この言い回しはやはり秋でなくてはならないのである。なぜなら「秋」と「飽き」をかけ、女心は飽きっぽく変わりやすいと言いたいからだ。
☆ 歌舞伎界のことをなぜ「梨園」というのか?
中国・唐の時代といえば「楊貴妃」とのロマンスで知られる玄宗皇帝がよく知られている。この皇帝は音楽に興ずるだけでなく宮廷音楽を演奏する人々の子弟を庭園に集め、音楽を教え、舞を習わせ、芸能活動に力を入れたことでも有名である。
その庭園に梨が植えられていたことからこの子弟たちは「皇帝梨園の弟子」と呼ばれた。
この故事から芸能のことを日本でも梨園というようになったが、江戸時代になると歌舞伎が盛んになり「梨園」といえば歌舞伎界を指すようになったとのこと。
以上のとおり、身近な生活の中で何気なしに言ったり使ったりしていることに意外と深い意味が込められていることを実感した。