先日の「日経新聞」一面のコラム「春秋」に次のような記事が掲載されていた。
文面から官僚の「悲哀とため息」が聞こえてきそうな記事である。
「金儲けに興味はない、国のグランドデザインを描きたい」と高邁な理想を掲げて入省した官僚たちの夢は今いずこ。
随分昔の話だが戦後日本の目覚ましい復興を担ったのは、「勤勉な国民性」とともに「官僚が優秀だったから」という説が根強くある。
しかし、日本経済のさらなる発展、国際的な地位の向上など一流国家の仲間入りとともに官僚たちの役割が相対的に低下し、法律に無頓着の政治家たちが我が物顔に跳梁跋扈(ちょうりょうばっこ)するようになった。
与党は首相を始めとしてむやみやたらに官僚の人事権を振りかざすし、野党は何か問題が起きるたびに当該省庁の官僚を呼び出して膝詰め談判をしているが、国民の目からすると当たり所がないので、(両党ともに)「物言えぬ」官僚に対して「弱い者いじめ」をしているようにしか見えない。
もちろん官僚の味方をしているわけではない。
「官尊民卑」の風潮は明らかに良くないが現在のように粗末にしても良くない、もっと(政治家が)うまくヤル気を引き出して使いこなせばいいのにといつも思う。
このままだと、記事にあるように「私たちはやがて大切なものを失うのではないか・・・」
まったく同感である。
国家の命運と品格を左右するのは政治家と官僚の双肩にかかっており、経済界(企業)なんかの金儲け主義とはワケが違う。
「政と官」という本がある。
著者は「後藤田正晴」氏(故人)で、警察庁長官を務めた後に政治家に転身し、以後内閣官房長官などの要職を務めて大いに辣腕を振るわれた方である。
「官僚は腹の底では政治家をバカにしているが、獲得した票にはそれなりの重みがあるので敬意を払う必要がある」というようなことが書いてあった記憶があるが、「政治家の役割」と「官僚の役割」について両者の視点から明解に述べられた本書を関係者は今一度紐解いて欲しい気がする。
そして、何よりも焦眉の急は「政治改革」こそにある。
まず手始めに「参議院」を血祭りに上げよう!
コスト面とスピーディの面から、いまや日本国内で一番大きな無駄ともいえる存在だし、このままでは某国のような共産党一党独裁にしてやられて遅れをとるばかりである。
「言論の自由」と「民主主義」に手間と時間がかかるのは仕方がないが、やはりそれなりの改革は必要だ。
試しに「参議院不要論」でググってみると、まことにごもっともな意見が百花繚乱のように述べられている。
しかし政治家側から声を上げることは、自らの首を差し出すようなものなのでまず期待できそうもない。
そこで、国民側から一斉に大合唱といきたいものだが、まあ無理かな~(笑)。
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