1970年代、日本語放送を行っていた海外の放送局です。
モスクワ放送局
当時東西冷戦の真っ最中であり、米国・日本に対して敵対的な内容だったように思う。鉄のカーテンといわれていたソ連について知る術はほんとんど無かった中、ソ連からの一方的な内容とはいえ情報を得ることが出来た。信号は強力で、短波・中波で送信されていた。
ラジオオーストラリア
カワセミの鳴き声で始まった。信号は強くなく、当時周波数直読など出来るわけでもなく、探すのに苦労した。日本語放送は廃止になりました。
北京放送局 今の、中国国際放送局(CRI)
モスクワ放送と同じで、反米・反日の内容がほとんどだった。米国帝国主義・日本軍国主義と呼んでいた。しかし、受信レポートに対する返信は迅速で、いろいろおまけも送ってきた。年末になるとカレンダーまで送ってくれた。日中国交回復後、反日的な内容は影をひそめ、一般的な内容に変化した。信号は超強力で、簡単に受信できた。
BBC放送局 英国
ニュースのBBCといわれていたように、ワールドニュース主体の放送だったように記憶している。当時の真空管ラジオでは、受信するのに苦労した。日本語放送は廃止になりました。
その他、数局ありましたが、受信確認書は入手しておりません。
モスクワ放送局
当時東西冷戦の真っ最中であり、米国・日本に対して敵対的な内容だったように思う。鉄のカーテンといわれていたソ連について知る術はほんとんど無かった中、ソ連からの一方的な内容とはいえ情報を得ることが出来た。信号は強力で、短波・中波で送信されていた。
ラジオオーストラリア
カワセミの鳴き声で始まった。信号は強くなく、当時周波数直読など出来るわけでもなく、探すのに苦労した。日本語放送は廃止になりました。
北京放送局 今の、中国国際放送局(CRI)
モスクワ放送と同じで、反米・反日の内容がほとんどだった。米国帝国主義・日本軍国主義と呼んでいた。しかし、受信レポートに対する返信は迅速で、いろいろおまけも送ってきた。年末になるとカレンダーまで送ってくれた。日中国交回復後、反日的な内容は影をひそめ、一般的な内容に変化した。信号は超強力で、簡単に受信できた。
BBC放送局 英国
ニュースのBBCといわれていたように、ワールドニュース主体の放送だったように記憶している。当時の真空管ラジオでは、受信するのに苦労した。日本語放送は廃止になりました。
その他、数局ありましたが、受信確認書は入手しておりません。