慰霊の旅の拡大解釈か
2015年4月11日
天皇、皇后陛下はパラオへの戦没者慰霊の訪問を終えました。陛下の念願の旅、戦後70周年ということもあり、テレビ、新聞は手厚い報道ぶりでした。ちょっと気になったのは、「旅の意味をそこまで拡大解釈すると、天皇の政治利用になるのでは」という懸念でした。天皇家の思いは思いとして、それを現実の政策論争に巻き込んではなりません。
訪問初日、テレビ朝日の「報道ステーション」をみていましたら、延々、冒頭の30分前後も時間を割いていたでしょうか。グループ企業の朝日新聞を含め、皇室には距離をおくテレ朝にしては「随分と長いな」と、思ったのが第一印象です。翌日もキメ細かくフォローしていました。
戦没者慰霊碑における供花、澄み切った太平洋の海の彼方を鎮めて見つめるお二人の姿のシーンなどは、鎮魂、慰霊という言葉がよくあてはまりました。お二人の行動の紹介にあわせ、テレ朝は昭和天皇が戦争に突き進んだことを悔やむ様子やそれをめぐるお言葉、悲惨な敗戦後の社会の姿などを十分すぎるほど伝えておりました。現在の天皇が皇太子だった頃の疎開の話、帰京して目にした焼け野原のフィルム映像も写しだしました。
皇太子の誕生日談話まで引用
昭和天皇、今上天皇に加え、今の皇太子の誕生日の談話(2月23日、55歳)も改めて紹介しました。この談話は中国、韓国など海外でも話題になりました。「戦後70年を迎える本年、平和の尊さを心に刻み、平和への思いを新たにする機会になればと思っています」、「戦争の惨禍を再び繰り返すことのないよう過去の歴史に対する認識を深め、平和を愛する心を育んでいくことが大切です」あたりの部分は、安倍政権の一連の安全保障政策への注文ないし間接的な批判を示唆したと受け取る国もありました。
それにしても、パラオ慰霊の番組を見ながら、「丁寧すぎるほど、皇室の平和への願い、歴史認識への思いを紹介しているのはなぜだろう」と、思いましたね。「なるほどそういう計算か」と思ったのは、古舘キャスターが次のテーマに移る前に、「さて、国会では安全保障政策の議論が深まっていきます」というような意味のことをしゃべった時です。実際に、国内外には「日本は再び昔の道に戻ろうとしている」との批判が聞かれます。
狙いは安保法制論議か
3代にわたる天皇家の部分は事実であるにしても、長々とそれを紹介したのは、現在の日本が集団的自衛権行使への整備を含めた安全保障法制を全面的に見直しに取り組んでおり、それは天皇家の平和への思い、戦争への反省に反するという結論に結びつけるためだったのではないかという疑念です。表立って番組関係者に聞けば、「客観的な事実を報道したまでで、そんな意図はありません」と返答するでしょう。でもそうなのでしょうか。
番組の真の狙いについて、「天皇家を持ち出して、安保法制に反対する国民感情を刺激しようとした」という人、「天皇家は本当に戦争への反省と平和主義に徹しているのだから、そのくらいは当然ではないか」という人など、いろいろでしょう。いろいろであっても、「天皇に対するある種の政治利用」、つまり国内の政治議論への誘導を図るという狙いがあれば、これは問題です。
テレ朝ばかりでなく、たとえば、日経新聞の社会面の「両陛下、記憶喚起の旅」という同行記者の記事にも気になるところがありました。「旅の目的である慰霊以上の意義があり、それは記憶喚起だった」とし、「ここ数年、周辺から聞こえてくるのは、歴史の忘却に対する天皇陛下の憂慮である」、「日本人が戦争の犠牲を無駄にしないために何に立脚して次の時代を生きるべきか」と、記事は結んでいました。
天皇家の思いを巻き込むな
天皇家には、太平洋戦争の惨禍への悔恨と責任感から、反戦平和の気持ちが強いようですね。それを伝えることは必要です。ただし、現在の国内の政治・外交論争に結びついてしまわないよう十分に神経を配らなければならない、と思います。
「天皇は象徴である。国政に関する権能を有しない」というのが基本的な規定であり、個別の政策、議論における「政治利用」を慎まなければなりません。、特に、厳しい国際環境の中で、日本の安全保障政策のあり方を修正しようという動き、それを阻止しようとする動きが対立しています。天皇家の思いは尊重しつつも、それを政策選択の議論につなげると、「天皇の政治利用」になってしまう、ということへの注意深さは必要なのですね。